大田原富清とは? わかりやすく解説

大田原富清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/14 15:19 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
大田原 富清
時代 江戸時代後期(幕末
生誕 天保7年7月7日1836年8月18日
死没 文久2年9月2日1862年10月24日
改名 牲三郎(幼名)、富清
諡号 静斎
戒名 護邦院殿徳雲清潤大居士
墓所 栃木県大田原市光真寺
官位 従五位下、飛騨
幕府 江戸幕府
下野大田原藩
氏族 九鬼氏大田原氏
父母 父:九鬼隆都、母:板倉勝俊の娘
養父:大田原広清、養母:黒田長韶の娘
兄弟 九鬼隆備富清九鬼隆義一柳末徳
九鬼寧隆
正室:大田原清徳(大田原庸清四男)の長女
一清、松平忠良

大田原 富清(おおたわら とみきよ)は、下野大田原藩の第13代藩主。

天保7年(1836年)7月7日、丹波綾部藩の第9代藩主・九鬼隆都の次男として生まれる。嘉永4年(1851年)に大田原藩の第12代藩主・大田原広清が死去したため、その養子となって家督を継いだ。12月28日に従五位下・飛騨守に叙位・任官する。

嘉永6年(1853年)9月から嘉永7年(1854年)9月まで駿府城加番を務めた。安政5年(1858年)8月から安政6年(1859年)まで大坂城加番を務めた。文久2年(1862年)閏8月からも大坂加番に任じられて任地に赴くが、間もなく病に倒れて9月2日に大坂で死去した。享年27。跡を長男・一清が継いだ。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大田原富清」の関連用語

大田原富清のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大田原富清のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大田原富清 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS