植村家政とは? わかりやすく解説

植村家政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 13:24 UTC 版)

 
植村家政
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 天正17年(1589年
死没 慶安3年閏10月23日1650年12月16日
改名 幸千代(幼名)、家政
別名 新六郎(通称
諡号 芦羽
戒名 了覚日栄本真院
墓所 東京都港区の如来寺
官位 従五位下、志摩守、出羽
幕府 江戸幕府
主君 徳川秀忠家光
大和国高取藩
氏族 植村氏
父母 父:植村家次、母:依田信蕃の娘
兄弟 家政、直宗
植村泰忠の娘
家俊(長男)、八助、家貞、政春(四男)、娘(安部信之正室)、娘(三宅重吉室)、娘(中根正勝正室)
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植村 家政(うえむら いえまさ)は、江戸時代初期の旗本。のちに大和高取藩の初代藩主。

来歴

天正17年(1589年)、徳川家の家臣・植村家次の長男として生まれる。慶長4年(1599年)10月19日、家督を継いで500石の旗本となり、徳川秀忠付の小姓に任じられた。慶長13年(1608年)、御徒頭に任じられ、従五位下、志摩守に叙位・任官される。慶長19年(1614年)からの大坂の陣では徳川方の斥候を務め、戦後にその功績で1000石を加増され、出羽守に遷任された。

寛永2年(1625年)、第3代将軍・徳川家光付となり、大番頭に任じられ、3500石の加増を受ける。寛永10年(1633年)4月には4000石を加増されて9000石の旗本となる。寛永17年(1640年)10月19日、1万6000石を加増されて2万5000石の大名、大和高取藩の初代藩主となった。

慶安3年(1650年)閏10月23日に死去した。享年62。跡を三男の家貞が継いだ。

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