植村家次とは? わかりやすく解説

植村家次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/18 02:14 UTC 版)

 
植村 家次
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永禄10年(1567年
死没 慶長4年10月11日1599年11月28日
別名 通称:新六郎
主君 徳川家康
氏族 植村氏
父母 父:植村氏明:不詳
兄弟 家次石川康通正室
家政、直宗
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植村 家次(うえむら いえつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将徳川氏の家臣。植村家存の子。

生涯

永禄10年(1567年)、徳川氏の家臣・植村家存の子として誕生。

11歳の時に父の家存が死去し、徳川家康の子・松平信康の小姓となるが、罪を受けて信康が切腹すると、流浪の身となる。のちに榊原清政の勧めにより徳川家臣の榊原康政に仕えた。康政の推挙により再び徳川家康に仕え、上野国邑楽郡内に500石を給される。

慶長4年10月11日1599年11月28日)、死去。墓は群馬県館林市大島町の春昌寺にある。

家督は子の家政が継いだ。なお、家政は徳川秀忠の小姓から、大名に出世している。

関連作品

  • 宮崎仁良『安祥譜代三河植村氏の研究』




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