安部信友
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永15年(1638年) |
死没 | 元禄14年3月18日(1701年4月25日) |
改名 | 弥一郎(幼名)、信友 |
戒名 | 乾徳院徹応宗澄 |
墓所 | 埼玉県深谷市の源勝院 |
官位 | 従五位下摂津守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱、綱吉 |
藩 | 武蔵岡部藩主 |
氏族 | 安部氏 |
父母 | 父:安部信之、母:植村家政娘 |
兄弟 | 信友、信厚、信世、信治、池田政武正室、松平忠明室、小浜広隆継室、秋鹿道重室、一色範風室 |
妻 | 正室:内藤忠政娘 |
子 | 信峯、信方(次男)、逸見義教(三男)、一信(四男)、安部信峯養女、中根正利正室 |
安部 信友(あんべ のぶとも)は、江戸時代前期の大名。武蔵国岡部藩3代藩主。官位は従五位下・摂津守。
経歴
寛永15年(1638年)、2代藩主・安部信之の長男として誕生。寛文8年(1668年)12月、従五位下・摂津守に叙位・任官する。延宝6年(1678年)4月2日、父の隠居により家督を継いだ。このとき、弟・信厚に新田1000石を分与している。
天和2年(1682年)1月に大番頭に任じられ、4月に丹波国天田郡で2000石を加増されて、岡部藩は2万2250石の所領となる。貞享3年(1686年)8月に大坂定番に任じられる。元禄14年(1701年)3月18日に大坂で死去した。享年64。跡を長男・信峯が継いだ。
『土芥寇讎記』では仁義あって領民をよく統治し、領内は穏やかであるとされている。
系譜
- 父:安部信之(1604-1683)
- 母:植村家政の娘
- 正室:内藤忠政の娘
- 長男:安部信峯(1659-1706)
- 生母不明の子女
- 次男:安部信方
- 三男:逸見義教
- 四男:安部一信
- 女子:安部信峯養女
- 女子:中根正利正室
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