小浜広隆とは? わかりやすく解説

小浜広隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/08 03:31 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

小浜 広隆(おはま ひろたか、慶安5年(1652年) - 宝永2年5月13日1705年7月3日))は、江戸時代中期の旗本小浜嘉隆の子。母は牧野信成の娘。通称は孫三郎、民部。兄に小浜直隆(知隆)、弟に小浜良隆(小浜重隆養子)。正室は永井尚政の娘、継室は安部信之の娘。子に亀之助、大久保忠明室(のちに離縁)、小浜行隆

兄の小浜直隆(知隆)が父より先に21歳で承応3年(1654年)に没し、その子の三之助も万治元年(1658年)に7歳で没したため、嫡男となる。父が寛文4年(1664年)に没すると家督(5000石)を継ぎ寄合に列する。寛文10年(1670年)、領地が海水に浸食され復旧の見込みがないことを言上し、相模国三浦郡武蔵国秩父郡安房国北三郡内に1000石加増の上移される。貞享2年(1685年)8月13日、大坂御船手となり、10月26日に領地を摂津国西成郡東成郡住吉郡の内に移される。元禄2年12月27日(1690年)、布衣を着ることを許される。元禄11年12月26日(1699年)、時服三領、黄金5枚を賜る。宝永元年(1704年)6月7日に公務を退き、宝永2年(1675年)に54歳で没する。法名は道起。墓所は、東京都文京区駒込の吉祥寺。

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小浜広隆」の関連用語

小浜広隆のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小浜広隆のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小浜広隆 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS