永井尚典とは? わかりやすく解説

永井尚典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 19:46 UTC 版)

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永井尚典
永井尚典
時代 江戸時代後期(幕末) - 明治時代
生誕 文化7年7月27日1810年8月16日[1]
死没 明治18年(1885年1月7日
別名 銑之助(幼名)
戒名 正明殿正五位尚典日厳大居士
官位 従五位下、山城守、肥前守、伊豆
幕府 江戸幕府奏者番
美濃加納藩
氏族 永井氏
父母 父:永井尚佐、母:戸田忠寛の娘・お喜勢
正室:奥平昌高の娘
娘(板倉勝貞正室)、娘(永井尚服正室)
養子:尚服
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永井 尚典(ながい なおのり)は、美濃加納藩の第5代藩主。尚庸系永井家8代。

文化7年(1810年)7月27日、第4代藩主永井尚佐の三男として生まれる。幼名は銑之助。長兄陽之助、次兄大学の早世により、嫡子となる。文政10年(1827年)12月16日、従五位下伊豆守に叙任する。後に山城守、肥前守に改める。天保10年(1839年)7月10日、父の死去により家督を継いだ。

各門番や麻布山アメリカ合衆国公使館警固などを務めたのち、文久元年(1861年)8月22日、奏者番に任ぜられる。文久2年(1862年)閏8月23日、免職となる。同年10月2日に隠居し、3人の男子はいずれも早世していたため、家督は養子の尚服に譲った。隠居後は松涛と号した。

明治18年(1885年)正月7日に死去した。

系譜

父母

正室

子女

婿養子

脚注

  1. ^ 永井尚典』 - コトバンク




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