奥平昌暢とは? わかりやすく解説

奥平昌暢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 06:35 UTC 版)

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奥平昌暢
奥平昌暢像(自性寺蔵)
時代 江戸時代後期
生誕 文化6年1月25日1809年3月10日
死没 天保3年11月30日1832年12月21日
改名 恒丸・九八郎(幼名)、昌暢
戒名 探源院殿心厳道轍大居士
墓所 東京都品川区南品川東海寺清光院
官位 従四位下美作守大膳大夫
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
豊前中津藩
氏族 奥平氏
父母 奥平昌高、歌子
兄弟 軽姫、富之進、昌暢、得之助、圭太郎、
昌猷加藤泰理室、永井尚典室、
生駒親愛、鉄姫、成瀬正住室、
稲葉幾通室、池田慶政、金之助、
生駒親道島津忠寛室、青木一咸
牧野忠直、フチ、隼之丞、菅沼新八郎室、銈姫、内藤頼愛室、操姫、鍼姫
徳川斉敦娘国子、照寿院
昌服、儀姫ら
昌猷
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奥平 昌暢(おくだいら まさのぶ)は、豊前国中津藩6代藩主。中津藩奥平家10代。

生涯

文化6年(1809年)1月25日、第5代藩主・奥平昌高の次男として江戸で生まれる。長兄が早世していたため、生まれてすぐに世子となった。文政5年(1822年)12月16日に従四位下・美作守に叙位・任官する。文政8年(1825年)5月6日、父の隠居により家督を継ぎ、大膳大夫に遷任した。

藩政は隠居した父と協力して行い、新田開発や藩法改正などの改革を積極的に行うなどしたが、父に先立って天保3年(1832年)11月30日に江戸で死去した。享年24。

子の昌服は3歳の幼少だったため、弟の昌猷が跡を継いだ。

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