永井尚佐とは? わかりやすく解説

永井尚佐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 19:42 UTC 版)

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永井尚佐
永井尚佐
時代 江戸時代後期
生誕 1783年天明3年)
死没 1839年6月28日天保10年5月18日
改名 友吉(幼名)→直弼(初名)→尚佐
諡号 仁山義顕正改院
官位 従五位下山城守出羽守肥前守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
美濃加納藩
氏族 太田氏永井氏
父母 父:太田直熹、養父:永井直旧
正室:戸田忠寛の娘
尚典、贇成、直幹、岡田善功正室、永井尚応正室、酒井忠毗継室
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永井 尚佐(ながい なおすけ)は、美濃加納藩の第4代藩主。尚庸系永井家7代。

旗本太田直熹(永井尚備の次男)の次男。官位は従五位下、山城守、出羽守、肥前守。幼名は友吉、初名は直弼。

経歴

寛政2年(1790年)10月29日、先代永井直旧が嗣子なくして死去したため、従弟にあたる尚佐が末期養子となって9歳で家督を継いだ。寛政10年(1798年)12月16日、従五位下山城守に叙任された。後に出羽守、肥前守に改める。幕府から大坂加番を命じられた。寛政10年から翌年にかけて、領内では洪水を契機として百姓一揆が起こり、藩政では多難を極めた。

文化5年(1808年)、を直弼から尚佐と改めた。文政2年(1819年)7月8日、奏者番に任じられた。西の丸年寄を経て文政10年12月20日、若年寄に任じられた。のち大御所徳川家斉付となった。

天保10年(1839年)5月18日、57歳で死去した。法号は仁山義顕正改院。跡を次男の尚典が継いだ。

系譜

父母

正室

側室

  • 浦江

子女

  • 永井尚典(三男)生母はお喜勢(正室)
  • 牧野贇成
  • 永井直幹(七男)生母は浦江(側室) - 一族の大和国新庄藩主永井直養の養子となり、跡を継いだ。
  • 岡田善功正室
  • 永井尚応正室
  • 越前国敦賀藩主酒井忠毗継室






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