明石藩とは? わかりやすく解説

明石藩

読み方:アカシハン(akashihan)

播磨明石郡明石藩名


明石藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/24 00:36 UTC 版)

明石藩(あかしはん)は、播磨国明石郡、播磨国美嚢郡(兵庫県明石市神戸市西区、神戸市垂水区、兵庫県三木市)を領した藩。藩庁は明石城に置かれた。

明石城跡

藩史

譜代御家門大名が頻繁に入れ替わった。

譜代大名家時代

江戸時代初頭は播磨一国を支配する姫路藩池田家の所領であった。元和3年(1617年)、池田光政鳥取藩に転封となると、播磨の所領は、松平信康の娘・峯高院が嫁いだ小笠原秀政の明石藩10万石と、同じく妙高院が嫁いだ本多忠政の姫路藩15万石およびその部屋住料10万石、忠政の次男本多政朝龍野藩5万石、徳川家康の娘・良正院の遺領を分配した赤穂藩3.5万石、平福藩2.5万石、山崎藩3.8万石とその池田家一族の鵤藩1万石、林田藩1万石の中小藩に分割された。そのうちの一つが明石藩である。

立藩は池田家が転封となった元和3年である。信濃国松本藩より秀政の嫡男・小笠原忠真が10万石で入封したことに始まる。忠真はそれまでこの地方の拠点であった、三木城、船上城(ふなげじょう)を廃し、明石城を建設した。この城の持つ性格は、海上交通の監視、西国大名への押さえの拠点城郭の一つとなったことである。寛永9年(1632年)、忠真は豊前国小倉藩に転封となった。

寛永10年(1633年)、信濃国松本藩より松平(戸田)庸直が7万石で入封した。翌年18歳で死去したため、兄・忠光の子・光重が継いだが、寛永16年(1639年)に美濃国加納藩へ転封となった。同地より交代で大久保忠職が7万石で入封したが、慶安4年(1649年)に肥前国唐津藩へ転封となった。同年、丹波国篠山藩より松平(藤井)忠国が7万石で入封する。嗣子・信之の時代に弟・信重に5千石を分知したため、6万5千石となった。延宝7年(1679年)、信之は大和国郡山藩に転封となった。なお、信之は名君の誉れ高く、新田開発を進めた。郡山転封後は老中となっている。同地より交代で、本多政利が6万石で入封する。過酷な政策を強いた罪により、天和2年(1682年)に陸奥国岩瀬藩1万石に減封の上、転封となった。

明石松平家時代

天和2年(1682年)、越前国大野藩より松平直明が6万石にて入封し、越前松平家の支配が廃藩置県まで続いた。8代・斉宣は11代将軍家斉の二十五男で、この時2万石の加増を受け、8万石(10万石格)となった。

しかし、将軍家の子息を迎えることで莫大な費用を要し、財政難に一層の拍車がかかった。幕末には御家門の立場上佐幕派となり、鳥羽・伏見の戦いでも幕府方として参戦した。その後、明治政府方に帰順した。明治4年(1871年)、廃藩置県により明石県となり、姫路県・飾磨県を経て兵庫県に編入されている。越前松平家は明治17年(1884年)、華族令により子爵となった。

歴代藩主

小笠原家

譜代 10万石 (1617年 - 1632年)

  1. 忠真

戸田松平家

譜代 7万石 (1633年 - 1639年)

  1. 庸直
  2. 光重

大久保家

譜代 7万石 (1639年 - 1649年)

  1. 忠職

藤井松平家

譜代 7万石→6万5千石 (1649年 - 1679年)

  1. 忠国
  2. 信之 分知により6万5千石

本多家

譜代 6万石 (1679年 - 1682年)

  1. 政利

明石松平家

親藩 6万石→8万石(10万石格) (1682年 - 1871年)

  1. 直明
  2. 直常
  3. 直純
  4. 直泰
  5. 直之
  6. 直周
  7. 斉韶
  8. 斉宣 8万石に加増
  9. 慶憲
  10. 直致

幕末の領地

関連項目

参考文献

外部リンク

先代
播磨国
行政区の変遷
1617年 - 1871年 (明石藩→明石県)
次代
姫路県

明石藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 15:28 UTC 版)

十三人の刺客」の記事における「明石藩」の解説

松平左兵衛督斉韶 - 明石藩主。

※この「明石藩」の解説は、「十三人の刺客」の解説の一部です。
「明石藩」を含む「十三人の刺客」の記事については、「十三人の刺客」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「明石藩」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「明石藩」の関連用語

明石藩のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



明石藩のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの明石藩 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの十三人の刺客 (改訂履歴)、十三人の刺客 (小説) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS