吉井藩とは? わかりやすく解説

吉井藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/07 04:15 UTC 版)

吉井藩(よしいはん)は、上野国多胡郡吉井村(現在の群馬県高崎市吉井町吉井)を居所とした。徳川家康の関東入国以来、譜代大名である菅沼家・堀田家の藩が断続的に存在したが、1709年に鷹司松平家が入封し、10代続いて幕末を迎えた。鷹司松平家は当初矢田村(現在の高崎市吉井町矢田)に陣屋を置いたため、矢田藩(やたはん[注釈 1])とも呼ばれる。鷹司松平家は五摂家の一つ・鷹司家の流れを汲む家であり、江戸幕府の下では1万石の小藩主ながら高い家格を有した。明治初年に藩主家は家名を「吉井」に改め、1869年に自ら廃藩した。


注釈

  1. ^ 矢田は「やた」と読む[1]。ただし、少なからぬ書籍が「矢田藩」の「矢田」に「やだ」と振り仮名を振っている[2] [3]
  2. ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
  3. ^ 『寛政譜』奥平家の譜によれば、寛永2年(1625年)に信昌が死去すると、忠政は加納藩10万石の藩主となった[8]

出典

  1. ^ 郵便番号検索 > 群馬県 > 高崎市”. 日本郵政. 2024年6月19日閲覧。
  2. ^ a b c 『藩と城下町の事典』, p. 143.
  3. ^ 吉井藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2024年6月20日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 吉井藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2024年6月19日閲覧。
  5. ^ a b c d e 吉井村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2024年6月19日閲覧。
  6. ^ a b 吉井村”. 日本歴史地名大系. 2024年6月20日閲覧。
  7. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第三百二「菅沼」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.648
  8. ^ a b c d e f g 『寛政重修諸家譜』巻第三百二「菅沼」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.649
  9. ^ 松平忠政(1)”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2024年6月20日閲覧。
  10. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第五百四十六「奥平」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第三輯』p.969
  11. ^ a b 吉井藩陣屋跡”. 日本歴史地名大系. 2024年6月20日閲覧。
  12. ^ a b c 矢田村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2024年6月19日閲覧。
  13. ^ a b c 吉井藩主家資料”. 高崎市文化財情報. 高崎市. 2024年6月20日閲覧。
  14. ^ a b c d e f g 代官ぬで島家三代の墓”. 高崎市文化財情報. 高崎市. 2024年6月20日閲覧。
  15. ^ a b 多胡旧記・他80品目”. 高崎市文化財情報. 高崎市. 2024年6月20日閲覧。


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