米沢新田藩とは? わかりやすく解説

米沢新田藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 08:50 UTC 版)

米沢藩」の記事における「米沢新田藩」の解説

米沢新田藩(よねざわしんでんはん)は、米沢藩支藩外様間詰。代々駿河守称し駿府城加番役を務めた享保4年1719年)に5代藩主吉憲が弟の勝周に領内新田1万石を分与し成立した藩主2代勝承以降男子生まれず、以後3代宗家歴代藩主の弟を養子迎えている。新田藩主は米沢藩内では「支侯」と呼ばれた米沢城二の丸藩庁を置き、居所としていた。武鑑では江戸藩邸麻布上屋敷があったとしているが、これは宗家中屋敷一部与えられたものである。後に上屋敷所在表記飯倉片町となる。 また、文政年間武鑑新田藩家老である高梨左近宗家用人兼務しているように表記されたり、上杉藩の史料「紹襲録」でも文政元年1818年)に宗家側役であった留守善次郎新田藩主の勝義用人になっているのが見られる加えて米沢城内に新田藩役所藩主御殿があり、上杉鷹山隠居所である餐霞館は元は新田藩主の御殿であったものを流用したものであり、鷹山死去以降に支侯御殿戻っている。 このように特定の領地城地持たないだけでなく、支配機構財政家臣団居住地さらには後継者まで全て宗家米沢藩依存しており、江戸幕府御三卿にかなり近い藩内分であった明治維新後、宗家所領削減もあって存続難しくなり、明治2年1869年)に米沢藩併合された。なお、廃藩後子爵家として存続したが、宗家当主の弟を養子とすることが支藩時代同様に続いた

※この「米沢新田藩」の解説は、「米沢藩」の解説の一部です。
「米沢新田藩」を含む「米沢藩」の記事については、「米沢藩」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「米沢新田藩」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「米沢新田藩」の関連用語

米沢新田藩のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



米沢新田藩のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの米沢藩 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS