米沢秋吉の撮影日誌とは? わかりやすく解説

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米沢秋吉の撮影日誌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/12 12:52 UTC 版)

南京 (戦線後方記録映画)」の記事における「米沢秋吉の撮影日誌」の解説

南京陥落1937年12月13日以降日誌には、映画撮影班の次の内容記されている。このうち12月17日撮影され入城式の場面は、はじめから天覧供することが決まっていた 1937年12月13日 - 南京に入る前日敗残兵便衣兵参照)の暴行の話を聞き器材掠奪されることを恐れていた。 12月14日 - 南京に入る。南京は、南京城北部掃蕩中であり、撮影班は掃蕩思しき激し銃声聞いた 12月15日 - 城内撮影開始訪れた江門(ゆうこうもん)の附近ではまだ掃蕩が行われていた 12月16日 - 紫金山麓、郊外遊園地である中山陵附近音楽堂撮影その際には悠々と歩いていた 12月17日 - 日本軍による南京入城式が撮影された。天覧供するため、そのフィルム直ち空輸されている 12月24日 - 30万人南京避難民撮影した。非常に哀れであった。子どもを探してキャラメル与えている日本兵風景見た美し風景であった 12月31日 - 水道設備建設風景撮影した 1938年1月2日 - 中国人捕虜対す施療風景撮影した 当時南京には日本の新聞記者カメラマンが約120人も占領同時に入城し取材にあたっていた。その中でこの映画の撮影班は軍特務撮影であったため、新聞社ニュース班の撮れないところでも自由な撮影許されるということ記されている

※この「米沢秋吉の撮影日誌」の解説は、「南京 (戦線後方記録映画)」の解説の一部です。
「米沢秋吉の撮影日誌」を含む「南京 (戦線後方記録映画)」の記事については、「南京 (戦線後方記録映画)」の概要を参照ください。

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