撮影開始
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「海辺の生と死 (映画)」の記事における「撮影開始」の解説
脚本は奄美にルーツを持つ満島監修のもと2015年5月に完成し、7月にはロケハンも行われた。舞台はミホの故郷である加計呂麻島の押角(おしかく)地区に設定されたが、地区は過疎で荒廃が進んでいたため、奄美大島を中心に撮影が行われた。撮影は2015年9月29日から10月17日にかけて行われ、この際『死の棘』映画化(1990年)で使われた震洋の模型が使われている。また押角地区の言葉を再現するため、夫婦の息子である島尾伸三が台本を読み上げる作業に協力した。 作中で使われた奄美島唄は、加計呂麻島出身の朝崎郁恵が歌唱指導に当たった。朝崎はミホの過ごした押角地区に隣接する花富(けどぅみ)地区の出身であり、作中トエが歌う「朝花節」も朝崎の母親が同地区で採取したものである。本来は押角地区の歌ではないが、島の外の人と契りを結んではならないとする歌詞に惚れ込んだ越川は、満島と相談して採用を決めたという。他にも、ミホが敏雄に捧げた奄美方言の歌「千鳥浜(チジュラハマ)」が作中に盛り込まれている。 また満島は、朝崎の元で歌唱指導を受ける傍ら、実際に奄美に向かって現地の住民と交流を重ねた。『文學界』2017年6月号のインタビューで満島は「この映画は、島で撮るとはいえ、都会の人間が作る作品です。そこにルーツがあるのは私しかいなかったから、責任を持って島を守らなきゃ、と必死でした」と語っている。満島は実物を体感する自らの役作りについて、「俳優の仕事はペテン師だとは思っているけど、うそだけはつきたくない」とし、リアリズムを追求する上で必要なものだと述べた。リアリズムを追求する方針は永山も同じであり、満島は永山とふたり演技が続けられずに止まってしまったこともあると述懐している。また満島は、加計呂麻島で過ごした間狗神の夢をよく見たとし、これがミホのイメージに繋がったと述べた。島での撮影について彼女は、「映画の中でなくとも、島に帰ったら島の子の顔になっちゃいます。はじめはみんなから『都会の顔して戻ってきたね』とか言われたけど」と回想しているほか、完成披露舞台挨拶では「映画の撮影をしながらも故郷に戻って、上京した13歳からの生活をやり直してるような不思議な感覚でした」と述べた。毎日新聞のインタビューでは、自分の原風景を再確認できたと明かした。 越川は、「奄美の人たちの空気感は、東京から連れて行った人たちでは出せないから」とし、主要キャスト以外は奄美の住民を使うことにした。慈父(うんじゅ)として慕われるトエの父には、「沖縄出身で島を知っている人」であることから津嘉山正種が選ばれた。また大坪役の井之脇海、隼人少尉役の川瀬陽太は、越川の信用も厚いキャスティングであった。越川は島尾敏雄に相当する朔中尉について、「強いマレビトにしたくはなかった」としており、どこか弱々しさ・初々しさを匂わせる永山絢斗は適役だったと回想している。また永山にとっては実在の人物をモデルにした初めての役であり、撮影前から頭を丸刈りにする入れ込みようであった。永山はこのことについて、「台本には、歌や、細かい自然への描写なんかも書いてありましたけど、そこは想像しかできないので、奄美という島に行ってしまうのが早いのではないかと思って、予定よりも早く坊主にして奄美に入りました」と回想している。満島を加えた5人以外の出演者は、全て俳優ではなく地元住民である。 越川は島尾夫妻の作品を愛読した経験から奄美に深い思い入れを持っており、撮影の上でも「島の時間」を大切にすることを重要視した。作中隼人をはじめとした軍人たちが、トエの家で「同期の桜」を歌うシーンは、越川が「奄美に乗り込んでいって映画を撮影している僕たちの姿を、自戒を込めて描いたつもり」として撮影したものである。出演した永山は、「2人だけでなく、島が主役になった作品だと思います。島の子供たちを始め、地元の方々にも出ていただいて、島がちゃんと映っている作品になっていると思います」と回想している。また作品では『死の棘』のような狂気ではなく夫婦の出会いが重要視されたが、朔が煙草を吸うところにトエが迫るシーンだけは、『死の棘』での狂気に至るきっかけとして撮影された。さらに越川は、『死の棘』のような敏雄視点ではなく、トエ、つまりミホの側から描くことを意識した。 撮影は槇憲治、照明は鳥羽宏文、美術は沖原正純、装飾は藤田徹、音響は菊池信之が担当した。衣装デザインは伊藤佐智子が担当したが、東京暮らしをしていたミホに合わせ、当時の資料を探し設計されたことが越川によって明かされている。また制作の上では伊藤と満島が話し合いを重ね、「彼女が新しい世界に憧れていて、おしゃれが好きだということを表すため」(満島談)の衣装がデザインされた。撮影では、長回しが多用された。また越川は前々から宇波拓に音楽を任せたいと考えており、宇波は奄美の楽器を使わずに島の音楽を再現することに挑戦した。
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