撮影進行とは? わかりやすく解説

撮影進行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 09:35 UTC 版)

七人の侍」の記事における「撮影進行」の解説

1953年5月27日豪農家の門前で利吉と万造言い争いをするシーンクランクインした。撮影初旬黒澤体調優れず7月10日サナダ虫入院して2週間撮影中断した9月までに伊豆でのロケーション水車小屋木賃宿室内シーン、町のオープンセットでの侍探し果し合いシーンなどを撮影した裏山での勝四郎志乃ラブシーンは、シナリオではスミレ花畑想定していたが、季節的にスミレ咲いておらず、スタッフ全員で山の中で野菊の花を摘み、それを植えて花畑再現した。このシーン箱根長尾峠越えた国道下の暗い森の中で撮影で、十分な光量得られなかったため、スタッフ宿泊していた旅館の鏡を総動員し国道から鏡を並べて太陽光リレーのように鏡で反射させて現場まで持って行ったこの方法は『羅生門』でも用いていた。しかし、志乃役の津島恵子は、鏡の反射による強い太陽光直接眼にキャッチライト入れられそれ以来眼が弱くなったという。 当初10月上旬封切りスケジュール組まれ撮影期間90日、完成9月17日予定していたが、実際の撮影進行は大幅に遅れた助監督堀川弘通はその理由として、ひとつのを別々の場所で撮影したこと、野外撮影中心のため天候左右されやすかったこと、その上にこの年異常気象だったこと、スタッフスケール大き活劇不慣れだったことを挙げている。9月入ってもまだ全体3分の1しか撮影しておらず、当初予算使い果たしていた。スタッフには「いつクランクアップするか」の賭けをする人もいた。東宝重役会では「続行か、中止か」で揉め撮影中断となり、その間黒澤多摩川鯉釣りをして過ごした黒澤千秋実に「資本家というのは、いったん出した金は必ず回収する。まあまあ釣りでもしてろ」と語ったという。結局会社側は製作続行決めて追加予算出し11月撮影所前のオープンセット撮影再開した。 それでも撮影は遅れ、しびれを切らした会社今まで撮影分を編集して見せるように要求し1954年1月に再び撮影中断した黒澤粗編集したフィルム会社幹部の前で試写したが、そのフィルム菊千代屋根旗印立てて、「ウアー、来やがった、来やがった!」というシーン終わっていた。クライマックス決戦シーンは、豪雨セット滅茶苦茶になることが初めから分かっていたため、予定後回しにしており、会社に対して意図的にスケジュール組んだわけではなかったが、このままでは完成させようがないため、撮影続行となったこうした撮影遅延により、6月頃の設定である豪雨決戦シーン真冬2月撮影した1月24日大雪オープンセットには30センチ積もりスタッフ消防団学生アルバイト動員し3日かけてホース撒いてを溶かした。地面は膝までつかるほど泥でぬかるみ、そこに数台の消防ポンプ降らせたため、撮影極寒過酷な状況下で行われた3月19日野武士山塞焼き討ちするシーンクランクアップした。このシーン撮影では、スタッフセットガソリンをかけ過ぎたため、本番火を付ける想像以上火勢激しくなり、利吉役の土屋嘉男山塞中にいる女房に近づこうとするところでバックドラフト現象遭遇し顔面火ぶくれになった

※この「撮影進行」の解説は、「七人の侍」の解説の一部です。
「撮影進行」を含む「七人の侍」の記事については、「七人の侍」の概要を参照ください。


撮影進行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 17:42 UTC 版)

太陽を盗んだ男」の記事における「撮影進行」の解説

スタート時から1億7000万円足りないという現実があり、撮影日数問題もあったが、長谷川山本長い脚本一切切らず全部撮ることにした。東宝とは2時間20前後にするという契約のため、約1時間分は未使用となった山本は「無駄の中に映画魅力拡げるものがある」という自身プロデューサー判断述べている。なお、最終的な制作費は3億9千万円、撮影期間1979年4月25日より8月8日撮影日数86日)、撮影使用フィルム17フィート19フィート(約35時間分)となっている。これを1万3千フィート編集通常の日本映画の3~4倍のフィルム使用した1979年4月25日クランクイントップスター沢田研二スケジュールここから7月まで、丸3ヵ月開けさせた。ナベプロからは「夏は絶対、歌の興行全国回りますから、7月撮影終えて下さい」と引導を渡された。この年沢田の夏ツアーは、全国ツアー以外にもシンガポール公演始め外国人初めての中国でのコンサート予定があった。大半撮影規模大きく撮り切れない部分積み重なった長谷川は何かを見切れるまで撮影続けるため、毎日徹夜予想通り7月撮影終わらず沢田を一旦手放したスケジュールその段階でかなり混乱した8月後半沢田抜きで高速道路の車の走りなどを撮った撮影遅延によりスタッフ契約期間全員切れ、長谷川イライラして怒鳴り散らしたしたため次の日から来なくなる者、次の現場に行く者も増えてきて、その間スタッフ1人欠け2人欠けで、沢田現場戻って来てくれたとき、助監督残っていたのはチーフ助監の相米慎二だけになっていた。照明部も熊谷秀夫1人だけで、伊地智啓弁当配りをやり、沢田スケジュール動かせないため、残った者で準備撮影をやった。最後米粒コツコツ拾うみたいな現場になった黒沢清は「撮影遅延が数週間なら珍しくないが、数ヵ月も遅れるというのは特殊な現場だった。その特殊な伝統が後に相米慎二さんに受け継がれていくんです」と話している。途中逃げだしたセカンド助監の榎戸耕は「『太陽を盗んだ男』だけは思い出したくない」と話していたという。このためノンクレジットの一番下っ端製作進行でまだ学生だった黒沢清助監督らを全部飛び越し、B班のプロデューサーになっていた。黒沢プロデューサーということで数10万数百お金預けられ、僕が逃げたどうするつもりなのかなと考えたという。黒沢ディレクターズ・カンパニー参加したのはこれが切っ掛け1979年9月初めクランクアップ

※この「撮影進行」の解説は、「太陽を盗んだ男」の解説の一部です。
「撮影進行」を含む「太陽を盗んだ男」の記事については、「太陽を盗んだ男」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「撮影進行」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「撮影進行」の関連用語

撮影進行のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



撮影進行のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの七人の侍 (改訂履歴)、太陽を盗んだ男 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS