撮影開始までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 07:09 UTC 版)
「ディープ・インパクト (映画)」の記事における「撮影開始までの経緯」の解説
本作の起源は、フィリップ・ワイリーとエドウィン・バーマーが1933年に共著で発表したSF小説『地球最後の日』(When Worlds Collide)、および1951年にパラマウント映画によって製作されたその同名の映画化版(邦題は『地球最后の日』)である。1970年代の中頃、映画プロデューサーのリチャード・ザナックとデビッド・ブラウンがこの映画のリメイク権をパラマウント映画から取得。監督ジョン・フランケンハイマー、アントニー・バージェス脚本で製作準備に入ったが作業が進まず、結局計画休止状態に陥ることとなった。 一方、彼らとは別にアーサー・C・クラークの短編SF小説『神の鉄槌』(The Hammer of God)の映画化をスティーヴン・スピルバーグ率いるドリームワークスが計画していた。スピルバーグは『続・激突! カージャック』や『ジョーズ』でザナックらと面識があった。 これら2つの作品はいずれも地球へ迫り来る天体の恐怖を描いているため、同時期に完成すれば激しい競合を招くことになると容易に想像できた。このため2作の製作計画は最終的に統合され、製作はザナックとブラウン、監督はスピルバーグ、配給はドリームワークス・パラマウント共同というかたちで再スタートした。新たな脚本は、1993年にブルース・ジョエル・ルービンが執筆を開始し、さらにルービンから引き継いだマイケル・トルキンによって完成された。 しかし、監督として予定されていたスピルバーグは同じ頃『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』、『アミスタッド』、『プライベート・ライアン』とスケジュールが埋まっており、本作に時間を割くことが非常に困難であった。こうした事情から、彼は監督を辞退してエグゼクティブプロデューサー(製作総指揮)に退き、かわりにドリームワークス第一作『ピースメーカー』を監督したミミ・レダーが新たに迎え入れられた。約20年にもわたる紆余曲折を経た本作はここにきてようやく、撮影開始にこぎつけたのである。
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