隼人とは?

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はやと 【隼人】 ◇


はや と [1] 【隼

〔「はやひと」の転〕
古代薩摩大隅居住した人々敏捷・勇敢なことで知られ、たびたび反乱起こしたが、八世紀には朝廷服属して、宮門警衛などにあたった。はいと。
鹿児島県男子の称。 「薩摩-」

はや ひと 【隼人】

はやと(隼人)」に同じ。 「 -の名に負ふ夜声いちしろく/万葉集 2497

隼人

読み方:ハヤトhayato

古代西南地方居住していた人の呼称


隼人

駅名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

隼人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/17 01:59 UTC 版)

隼人(はやと)とは、古代日本において、薩摩大隅日向(現在の鹿児島県宮崎県)に居住した人々。「はやひと(はやびと)」、「はいと」とも呼ばれ、「ハヤブサのような人」の形容とも[1]方位の象徴となる四神に関する言葉のなかから、南を示す「鳥隼」の「隼」の字によって名付けられたとも[2](あくまで隼人は大和側の呼称)。風俗習慣を異にして、しばしば大和の政権に反抗した。やがてヤマト王権の支配下に組み込まれ、律令制に基づく官職のひとつとなった。兵部省被官隼人司に属した。百官名のひとつとなり、東百官には、隼人助(はやとのすけ)がある。現在は、日本人男性の人名としても用いられる。




注釈

  1. ^ 熊襲の後裔を隼人とする説もあるが、「クマ」も「ソ」も、隼人の阿多や大隅も九州南部の地名であり、大和政権に従わないいくつかの部族に対する名称と近年では解されている(系譜的というより独特の文化を継承した部族)[4]
  2. ^ 古事記』では、「曽婆訶理(ソバカリ)」、『日本書紀』では、「刺領巾(サシヒレ)」の名で登場し、仁徳没後、一方の皇子に命じられ、自ら従えていた皇子(主君)を殺害するも、酒を飲まされ、寝返った皇子に殺害されてしまう。体制外の武力として隼人が利用された語りである[6]
  3. ^ 小山修三国立民族学博物館)が数理的に推計した結果では、古墳時代土師器時代)の列島人口は約540万人とされる。[13]奈良時代に至っても総人口は600万に満たない(近代以前の日本の人口統計も参照)事からも、隼人の人口は総人口の100分の1前後と想定される。
  4. ^ 日本書紀』に隼人が門番を務め、その時、遠吠えする風習(悪霊から門を守る為)があった事が記されている。
  5. ^ 『日本書紀』天武朝(7世紀末)の記述として、隼人が朝廷で相撲を取った記述があるが、大和の相撲と異質であったとは記されていない。天武天皇11年(682年)、大隅隼人と阿多隼人が相撲を取り、大隅隼人が勝った記述の他、持統天皇9年(695年)、飛鳥寺の西の木の下で、隼人が相撲を取り、民衆が観戦したとある。
  6. ^ 様々な形で竹の文化を有していた為、『竹取物語』が南山城、つまり隼人の居住地で生まれた可能性も指摘されている。[14]。また、コノハナサクヤヒメのお産の際、へその緒を竹の刀で切るのも関連するものと見られる[15]。『延喜式』隼人司の記述では、竹笠の製作も担当していた。
  7. ^ 正倉院には現在の京田辺市大住周辺住民の課税記録である『山城国隼人計帳』が保存され、大隅隼人が大部分を占め、一部阿多隼人が混在していた事が分かる。中世には「隼人荘」と呼ばれるなど、奈良盆地南部と共に近畿における隼人の二大居住地であり、武埴安彦命の伝承に基本的に反映しているものとされる[16]
  8. ^ 続日本紀養老6年(721年)4月16日条の記述として、「陸奥の蝦夷・薩摩の隼人らを征討した将軍(以下略)、通訳者に地位・功績に応じて勲位を授ける」とあり、通訳者を必要とした。
  9. ^ 風土が異なる事からとされる[17]。地理的・風土的孤立から九州南部は、弥生文化の普及が遅れ、現在でも血液指数・指紋指数が特殊な数値を示し、身長が低いなどの人類学的特徴があり、これゆえにインドネシア系種族と見る説も出た[18]。『大宝律令』では、「異人」とも記している。
  10. ^ 『古事記』『日本書紀』に「代々朝廷で舞っていた」と記され、民俗だけでなく、中央政権にとって服従の示しとして認知されていた舞を、「有名であった」とする表現に問題はないと考えられる。
  11. ^ 『古事記』、『日本書紀』及び『続日本紀』に隼人舞は度々記述され、朝廷に御調を貢進すると共に行われ、あるいは海外異国の客人の前でも舞われていたが、その後途絶えてしまい、具体的な芸態は不明であり、その実態については諸説にわかれている。現在、ネット上の動画でみられる地方芸能の「隼人舞」は復元と自称しているが実際は近代の創作である。
  12. ^ 地下式横穴墓」は日向・大隅・薩摩にまたがるが、「地下式板石積石室墓(現在では板石積石棺墓)」はほとんど薩摩地方に限られている。この事から考古学者の小田富士雄は、前者が隼人に広く普及した墓制であり、後者は阿多隼人独特の墓制と推測した[24]
  13. ^ 『古事記』に、ホデリの命が頭を下げ、「私はこれからのちは、あなた様の昼夜の守護人(もりびと)となってお仕えいたしましょう」と申し、それで今日に至るまでホデリの命の子孫たる隼人は、その海水に溺れた時の様々のしぐさを絶える事なく、演じて、宮廷にお仕え申しているのである、とある[35]
  14. ^ 「隼人が乱舞をして宮廷に仕える事の起源説明」とあり、隼人舞はその種族の独自の舞であるのを溺れる様の真似と説明した、と記す。[36]
  15. ^ コノハナサクヤヒメ伝説がバナナ型神話の類型とし、これが大和の『古事記』に導入された[38][39]
  16. ^ 西北九州弥生人は、この地方の縄文人が弥生文化を取り入れた事でそのまま弥生人へと移行したと考えられている[42]
  17. ^ 森浩一も『古代史を解く『鍵』』(pp.190-191)で当論文から内陸隼人を縄文系に近く、沿岸隼人を渡来系ではと解している。また、『肥前国風土記』で五島列島に隼人に似た人々がいたとする記述も、内陸隼人と同様に骨格上から西北九州弥生人にルーツを求めるのであれば、一定の説明はつく。
  18. ^ 先述のように、地下式横穴墓出土遺物などの古墳時代資料を用いた隼人研究は今日支持されていないことにも留意すべきである。

出典

  1. ^ a b 日本史教育研究会 2001, pp. 62.
  2. ^ 鐘江 2008, pp. 95.
  3. ^ a b 近藤, 藤沢 & 小田 1973, pp. 163(参考論文はこれより古いと見られる)
  4. ^ 武光 1999,p.223の脚注より
  5. ^ 門脇 & 森 1995, pp. 186.
  6. ^ 笹山 1975
  7. ^ 笹山1975(武光1999のpp=223にも同じ記述あり)
  8. ^ 中村 2001.
  9. ^ 門脇 & 森 1995, pp. 196.
  10. ^ 中村 1993.
  11. ^ a b 永山 2009.
  12. ^ 宮原 2014, pp. 118-121(原論文発表、1986年)
  13. ^ 森 1986,pp.131
  14. ^ 森浩一(企画),1992,pp.45
  15. ^ 門脇&森,1995,pp.186
  16. ^ 森浩一(企画),1992,pp.43-44(pp.45に南山城を隼人の居住地とも記す)
  17. ^ 近藤&藤沢&小田 1973,pp.158
  18. ^ 武光 1999,p.223の脚注より
  19. ^ 門脇 & 森 1995, pp. 183-184(pp.184に波邪の国は隼人と解し、邪古は「ヤク」であり、屋久島を指し、多尼は「タネ」であり、種子島であると述べている。)
  20. ^ 鹿屋市 1967上巻ではこの説が採用されている。
  21. ^ 乙益 1970.
  22. ^ 上村 1984.
  23. ^ 門脇 & 森 1995, pp. 184-185.
  24. ^ 近藤&藤沢&小田,1973,pp=163
  25. ^ 下山 1995.
  26. ^ 宮崎考古学会 1998.
  27. ^ 永山 1998, pp. 10–11.
  28. ^ a b 原口 2008.
  29. ^ a b 橋本 2009.
  30. ^ a b 原口 2011.
  31. ^ a b 白石 2012, pp. 20.
  32. ^ 橋本 & 藤井 2007, pp. 12.
  33. ^ 門脇 & 森 1995, pp. 187.
  34. ^ 橋本 2012, pp. 142.
  35. ^ 次田1977(2001年版)pp.205
  36. ^ 武田1969(初版 1956)pp.69脚注より
  37. ^ 次田 1977, pp. 205(2001版)
  38. ^ 松村武雄『日本神話の研究』第二巻
  39. ^ 大林太良『日本神話の起源』。
  40. ^ 熊谷 2001, pp. 288.
  41. ^ a b 松下 1990.
  42. ^ 上田正昭他『日本古代史の謎再考(エコール・ド・ロイヤル 古代日本を考える1)』 学生社 1983年 pp.52より
  43. ^ 文化庁 2008.
  44. ^ 橋本 2012, pp. 139-146.
  45. ^ a b 加藤 1991, pp. 98.
  46. ^ 加藤 1991, pp. 97.
  47. ^ 加藤 1991, pp. 99.
  48. ^ 谷畑 & 宮代 2005.
  49. ^ 茂山 1979, pp. 3-20.
  50. ^ 群馬県古墳時代研究会 1995, pp. 27-28.
  51. ^ 文化庁 1997.
  52. ^ 門脇 & 森 1995, pp. 197.
  53. ^ 門脇 & 森 1995, pp. 197-198.
  54. ^ 大阪府立近つ飛鳥博物館 2004, pp. 26.
  55. ^ 森本 2012, pp. 110.
  56. ^ a b c 上田 1983, pp. 33.
  57. ^ 武光 1999, pp. 233.
  58. ^ 角林 1998, pp. 15-31.
  59. ^ 石上 1987.



隼人

出典:『Wiktionary』 (2009/04/21 13:31 UTC 版)

名詞

(はやと, はやひと)

  1. 日本古代において、鹿児島地方居住していた人々
  2. 鹿児島県男子

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