国立民族学博物館とは? わかりやすく解説

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こくりつ‐みんぞくがくはくぶつかん〔‐ミンゾクガクハクブツクワン〕【国立民族学博物館】


国立民族学博物館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/03 15:18 UTC 版)

国立民族学博物館
National Museum of Ethnology
国立民族学博物館の位置
施設情報
愛称 民博、みんぱく
専門分野 民族学文化人類学
研究職員 54人(客員含まず)
管理運営 大学共同利用機関法人人間文化研究機構
年運営費 29億7400万円(2007年度)
延床面積 5万1225平方メートル
開館 1977年11月
所在地 565-8511
大阪府吹田市千里万博公園10-1
位置 北緯34度48分46.30秒 東経135度31分46.86秒 / 北緯34.8128611度 東経135.5296833度 / 34.8128611; 135.5296833 (国立民族学博物館)座標: 北緯34度48分46.30秒 東経135度31分46.86秒 / 北緯34.8128611度 東経135.5296833度 / 34.8128611; 135.5296833 (国立民族学博物館)
外部リンク www.minpaku.ac.jp
プロジェクト:GLAM
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渋沢敬三
前庭のトーテムポール

国立民族学博物館(こくりつみんぞくがくはくぶつかん、National Museum of Ethnology)は、人間文化研究機構を構成する大学共同利用機関である[1]民族学文化人類学とその関連分野の研究行い、研究結果を論文等での発表だけではなく展示という手法も通じて公開している[1]。略称はみんぱく(民博)[1]大阪府吹田市万博記念公園にある。総合研究大学院大学の先端学術院先端学術専攻・人類文化研究コースが併設されている[1][2]。根拠法は、国立大学法人法第2条の3項・4項。

機構長は木部暢子。館長は関雄二[1]

沿革

アチック・ミューゼアム

現在の民博のコレクションの大きな割合を占めるコレクションに「保谷民博コレクション」があり、そのコレクション形成の初期を担ったのは渋沢敬三を中心とするアチック・ミュージアムの民具研究者であった[3][4]。そのため、みんぱくはアチック・ミューゼアムを原点と位置付けている[5]

1921年(大正10年)、東京帝国大学経済学部を卒業し横浜正金銀行に入行した渋沢敬三(後の蔵相日銀総裁)は中学時代からの友人であった宮本璋、鈴木醇らとアチック・ミューゼアム・ソサエティという集まり(のちにアチック・ミュージアムと名称を変更)を結成し、三田の邸宅の車庫の二階(屋根裏)に収集した品々を陳列した博物館をおいた[6][7]。アチック・ミューゼアムでは設立当初には渋沢らが幼少期から収集していた化石や貝殻類が陳列されたが、その後、郷土玩具や民具(民俗品)が収集対象に加わった[8]。定期的にアチック・ミューゼアムの集まりは実施され清水正雄、中山正則田中薫、内山敏らが参加した[6]

1922年(大正11年)9月、渋沢は横浜正金銀行のロンドン支店へ転勤となったため、アチック・ミューゼアムの活動は停止した[9]。イギリス滞在中、渋沢はヨーロッパ各国を回り、オスロー野外博物館やスカンセン、コペンハーゲン人類学博物館、ウィーン美術史博物館、ロンドンのナショナルギャラリーバーリントンハウス大英博物館ロンドン自然史博物館ヴィクトリア&アルバート博物館などを見学し、民族学に強い関心を寄せるとともに、日本国内での野外博物館の設置実現を願うようになった[9][10]。1925年(大正14年)、渋沢がイギリスから帰国すると、同年12月にはアチック・ミューゼアムの活動は再開し、本格的な民具の収集に取り組み始めた[9]

1929年(昭和4年)頃、渋沢は邸宅の改造に着手し、アチック・ミューゼアムが邸宅内に新たに建てられ、収集品は屋根裏から移された[11]

保谷民博

1935年(昭和10年)、岡正雄の提唱により、日本民族学会およびその附属研究所が創設され、白鳥庫吉が理事長に就任した[12]。渋沢はこのとき、学会の枠組みづくりや呼びかけに協力した[12]。この頃、渋沢や白鳥を中心に民族博博物館の構想が持ち上がったものの、実現しなかった[13]。その後1937年(昭和12年)には、渋沢は保谷の土地に博物館を建てアチック・ミュージアムから同博物館へ同人の収集した民具等の資料1万点余りを移管するとともに、土地建物並びに民具資料を日本民族学会に寄贈した[14][15]。附属博物館及び研究所の人件費はすべて渋沢が負担したとされている[16]

1942年(昭和17年)、国立の民族研究所と日本民族学協会が設置されると、附属博物館の経営が日本民族学協会に移され、日本民族学会とその附属研究所は解散した[17]。同年、渋沢が日銀副総裁に就任するとアチック・ミューゼアムの活動は縮小していき、名称は日本常民文化研究所と改められたが、その後民族学会とは関係を薄めていき、細々と研究活動を続けるにとどまった[17][18]

1943年(昭和18年)頃には、政府は紀元二千六百年記念事業として国史館の設立が企画されており、その一環として「民族学博物館」の設置も構想されていた。また、大東亜省を中心に「大東亜博物館」も企画されていたが、敷地等の事情から実現されなかった[15]。この頃、附属博物館の建物の一部が東京高等師範学校附属小学校の学童疎開の施設となったため公的な活動は中断された[15]

戦後の動き

戦後、日本民族学協会は日本人類学会日本社会学会日本言語学会、民間伝承の会(のちの日本民俗学会)、日本地理学会日本宗教学会などと連合を深めた[19]。また、連合軍総司令部民間情報教育局からの示唆をうけ『日本社会民俗辞典』の編纂に着手するなどした[19]。附属博物館は1952年(昭和27年)に正式に博物館としての登録を受けて、資料の調査、収集、展示を進めた[20]。資料が充実すると、附属博物館の敷地の一部には二谷国松によるアイヌの伝統住居や木曽の水車、奄美大島の高倉などが作られた[20]

調査団の派遣、資料の収集、調査、展示が行われ、多くの人々の関心を集める一方で、日本民族学協会の財政は厳しい状況であり、資料の管理が十分に行うことが困難であったため、附属博物館の標本資料を一括してより完全な施設、設備で保存、管理する必要があるという声が上がるようになった[21]。また、所蔵されている資料の重要性、規模から、一財団によって管理可能な範囲を超えているため、国が管理を行うべきという意見も見られた[21]。そのような背景から、1962年(昭和37年)に、日本民族学協会は附属博物館の標本資料をすべて(文献類を除く)国に寄付し、それらは東京都品川区豊町の文部省大学学術課資料館(後の国文学研究資料館・史料館)の収蔵庫へ移され、附属博物館の活動は実質的に停止された[21]。この際、将来、国立民族学博物館が設置された場合には、資料を同館に移すようにという要望も併せて行われた[21]

1950年後半から1960年前半にかけて、国立民族学博物館の設立に向けて、関係者の間で議論が行われた[22]。この頃、総理府や文化庁では明治百年記念事業として国立の歴史民俗博物館の設立が計画され、日本民族学会会員の一部は日本民族学協会附属博物館から門部長史料館に移されていた資料を歴史民俗博物館の民族部門で活用すべきと主張した[22]

一方で、独立の国立民族学研究博物館を設立するべきという意見も高まり、日本民族学会では博物館設立に向けた対策委員会が設置された[22]。1964年(昭和39年)7月、日本民族学会は日本人類学会、日本考古学協会、日本民俗学会、日本民族学協会と連名で、国立民族学研究博物館設置の要望書を日本学術会議会長、文部大臣などの各方面に提出した[23]

1970年万博

1965年には日本学術会議が総理大臣に国立民族学研究博物館の設置を勧告した。一方で、1970年に開催された日本万国博覧会では、岡本太郎がチーフプロデューサー・小松左京がサブ・プロデューサーを務めるテーマ館に世界中の神像や仮面、生活用品などを陳列するため、東京大学教授の泉靖一と京都大学教授の梅棹忠夫らが中心となって、世界中から資料を蒐集していた。

万博終了後に、政府は会場の跡地利用について、文化公園とする基本方針を打出し、その中心施設として従来から要望が高かった「国立民族学博物館」の設置が決定された。1973年に文部省内に創設準備室が設置され、梅棹が準備室長に就任。1974年に改正国立学校法施行により、大学共同利用機関として創設され、梅棹が初代館長に就任した。

国立民族学博物館

博物館の第1期工事は1977年に完了し、11月15日に開館記念式典が挙行され、同月17日から展示が一般公開された[24]。展示の一般公開開始当時はオセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、西アジア、音楽、言語、東南アジア、東アジア(日本文化)が展示された[25]。当初の展示標本は4849点[26]。万博のテーマ館に出展するために蒐集されていた資料共に、文部省史料館に寄贈されていた資料が渋沢との約束どおり引継がれた。

1979年(昭和54年)、東アジア(日本文化)の展示が拡大され、同年3月29日に1590点が追加で展示された[26]。その後、同年11月15日には東アジア展示にアイヌ文化の展示が追加された。また、中央アジアや北アジアの展示が追加、公開された。この時点での展示標本は7438点となった[27]

1983年(昭和58年)11月16日、第八展示場の増築とともに朝鮮半島、中国地方の展示が完成し一般公開され、標本資料の展示は8798点となった[27]

1989年4月に総合研究大学院大学の地域文化学専攻・比較文化学専攻の二専攻が設置され、大学院教育を開始。6月には特別展示館が竣工。

2004年4月に国立大学法人法施行に伴い発足した、大学共同利用機関法人人間文化研究機構の所管となる。

2011年10月にサンクトペテルブルクにあるロシア科学アカデミーピョートル大帝記念人類学民俗学博物館と学術協力協定を締結した。

2018年6月18日に発生した大阪府北部地震の影響により臨時休館[28]。同年8月23日(木)より一部の展示場から再開、9月13日(木)より全面再開[29][30][31]

組織

エントランスホール
中庭
  • 管理部
    • 総務課
    • 研究協力課
    • 財務課
  • 研究部
    • 人類基礎理論研究部
    • 超域フィールド科学研究部
    • 人類文明誌研究部
    • グローバル現象研究部
  • 情報管理施設
    • 企画課
    • 情報課
    • 共同利用型科学分析室
  • 学術資料研究開発センター
  • 国際研究統括室
  • IR室

展示

アイヌチセ(家)・内部(北海道沙流川流域)
女性用コルセット(南スーダン、ディンカ族)
でく(石川県白山市
ガラスイコン「荊(いばら)のイエス」(ルーマニア
教会行列人形(ポルトガル

本館の展示は地域展示と通文化展示に大きく分かれている。地域展示ではオセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、日本を含むアジア各地域に分かれ、オセアニアから東回りに世界を一周するようになっている。通文化展示は地域、民族毎に分けての展示ではなく、音楽と言語など世界の民族文化を通じて概観する展示がある。

開館当初からビデオテークが設置され、世界中の生活や文化を紹介する映像を利用者が選択し、視聴することができる。また、1999年には映像と音声による展示解説を行う携帯型の「みんぱく電子ガイド」が登場した。

本館の東南には4階建て(内、展示スペースは1階と2階)の特別展示館が隣接し、所属している研究者が特定のテーマで研究した成果を紹介する展示が行われている。

所蔵品

標本資料

  • 保谷民博コレクション(旧文部省資料館資料) - 民博が1975年に文部省資料館(後の国文学研究資料館)から引き取った資料群、約21,000点[3]。アチックミューゼアムから日本民族学会(1942年に日本民族学協会に改称)に寄付されたコレクションおよびその後日本民族学協会による資料交換や調査団派遣によって収集された資料を含む[32]。保谷に設立された日本民族学会の附属博物館(通称、保谷民博)で展示された[3]。1963年に日本民族学協会から文部省資料館が受け入れた[33]
    • アチックミューゼアムの収集資料 - 渋沢敬三を中心とした民具研究者によるコレクション。渋沢が日本民族学会に寄付[3]
    • グリーンランド資料 - 保谷民博が1954年にデンマーク国立博物館と資料交換を行いコレクションに91点が追加[33]
    • 第一次東南アジア稲作綜合調査団の収集資料 - 日本民族学協会が1957年から1958年に行った調査団派遣時の収集資料[33]
    • 西北ネパール探検隊の収集資料 - 日本民族学協会が1958年に派遣した探検隊の収集資料[33]
    • 第二次東南アジア稲作綜合調査団の収集資料 - 日本民族学協会が1960年に派遣した調査団の収集資料[33]
  • 東京大学理学部人類学教室資料 - 東京大学理学部人類学教室が所蔵していたミクロネシア、メラネシア、アイヌ、東南アジアなどに関する資料、約6,200点[34]
  • 日本万国博覧会記念協会資料 - 1970年の万博のテーマ館で展示されていた世界各地の仮面や神像等を中心とした資料、約600点[34]
  • 青木文教師コレクション - 青木文教師が1912年から5年かけて行ったチベット調査の際に収集した仏像や仏典などのチベット仏教関連資料、約150点[34][注 1]
  • 瀧川コレクション - 戦前に台湾総督府理蕃課の農林技官であった瀧川孝吉が収集した台湾の厳重民族を中心とする服飾、生活用具などの資料。約6,300点[34]
  • ルオンゴ・コレクション - アメリカ・ニューヨーク州モンローにあったプルーム交易会社付設インディアン博物館の一括資料[34]。同社経営者のジェームス・M・ルオンゴが1920年代半ばから約半世紀かけて収集した、ネイティブ・アメリカンの生活用具類、約3,000点[34]
  • エリー・コレクション - 英国人教師のハリー・B・エリーが1920年代から約40年にわたり、ヨーロッパ最北の地域で収集したサーミの生活用具、衣装などの資料、約600点[34]
  • 和船コレクション - 民俗学者の宮本常一が顧問を務める日本観光文化研究所が調査、収集した、日本全国の和船とその操船具と関連資料、約5,800点[34]
  • チベット仏画コレクション - 1971年から1978年の間に田上一彦がネパールで収集した、チベット仏教の経典の版木、版画、護符、約2,000点[34]
  • 東北地方の労働者コレクション - 民具研究者として著名な田中忠三郎が戦後30年かけて収集した、東北地方の労働着を中心とした衣服のコレクション、約2,200点[34]
  • 升崎コレクション - 和歌山県日高郡南部町一体でキリスト教の伝道を行った升崎外彦牧師が収集した、和歌山県の戦前を中心とした生活用具、約2,500点[34]
  • 下村玩具コレクション - 下村忠兵衛が大正から昭和初期にかけて収集した日本各地の玩具資料、約1,100点[34]
  • 民衆版画コレクション - ブラジルの民衆木版画とその木版およびリテラトゥーラ・デ・コルデル(Literarura de cordel)と呼ばれる小冊子、約4,500点[34]
  • ジョージ・ブラウン・コレクション - イギリス出身の宣教師ジョージ・ブラウンが19世紀後半から20世紀初頭にかけて、メラネシアを中心とした南太平洋で収集した民族資料、約3,000点[34]。イギリスのニューキャッスル大学に収蔵されていたが、サッチャーによる行財政改革を受けて売却が検討され、1986年に民博が購入した[36]
  • 土鈴コレクション - 奈良県に在住していた津村重一が戦後の1974年まで約30年間かけて全国の社寺仏閣を回り収集した土鈴、約1,800点[34]
  • 時代玩具コレクション(多田玩具コレクション) - 大阪府指定有形民俗文化財、約1,500件、約60,000点[37]。1975年頃から収集家の多田敏捷が北海道から鹿児島県種子島まで全国の古物市場や旧家を回り集めた玩具を中心とするコレクション。1993年に大阪府が購入し、2009年1月に大阪府指定有形民俗文化財に指定、2013年に民博へ寄贈された[37]
  • グアテマラ衣装コレクション - グアテマラに在住していた織物研究家の児島英雄が1960年代から20年ほどかけて収集した資料、約1,000点[34]
  • ピーター・ヤング・コレクション - ピーター・ヤングが1970年代に収集したメキシコ北部のウイチョル族の毛糸絵、衣装、祭具、楽器等の資料、約900点[34]
  • 絵馬コレクション - 日本で活躍したフランス人ジャーナリストのルネ・ドゥ・ヴェルパルが収集した日本各地の絵馬、約800点[34]
  • パキスタン・スワット渓谷コレクション - シュツットガルトのリンデン博物館東洋部長だったヨハネス・カルターが率いた調査団が1978年から数年にわたって収集したパキスタンのスワット渓谷地方の生活用具、装身具、家具等の資料、約800点[34]
  • 三猿コレクション - オランダ人のコレクションが発端となり、その他国内の2つのコレクション及び民博の収集品が加わり構成された三猿の資料、1,250点[38]
  • 田中千代コレクション - 服飾デザイナーの田中千代が世界65か国で収集した服、風俗人形、ユニフォームなど、約4,100点[34]
  • 大村しげコレクション - 京料理の研究家大村しげが暮らした京都の棟割長屋で使われていた食器や台所用品、家財道具一式[34]

映像・音響資料

  • エンサイクロペディア・シネマトグラフィカ(EC)資料 - ドイツの科学映画研究所が所蔵する記録映画ECのうち、世界の諸民族の文化を記録した16mmフィルム資料、1,336点[39]
  • アイヌ語資料 - 札幌テレビ放送が1950年代後半から1970年代にかけて、北海道に住むアイヌの人々の伝承などを収録した録音テープ資料、204点[39]
  • 朝枝利男コレクション - 朝枝利男が1930年代に環太平洋地方で撮影した写真資料、6,236点[39]

文献資料

  • 杉浦健一アーカイブ - ミクロネシア諸島調査時のフィールドノート、メモ、走行、地図などの資料[40]
  • 土方久功アーカイブ - 日記やノート類[40]

重要有形民俗文化財

みんぱっく

「こどものための小さな博物館」と題し、所蔵する各国・各地域の生活道具、民族衣装化粧品装飾品おもちゃなどをスーツケースに詰め、学校等に無償(往復送料は依頼者負担)で貸し出す取り組み。15地域のパッケージがある[41][42]

建物

  • 鉄骨鉄筋コンクリート造 地上4階、地下1階
  • 敷地面積:4万821平方メートル
  • 延床面積:5万1225平方メートル
  • 建築面積:1万7089平方メートル
  • 設計:黒川紀章
  • 第19回 毎日芸術賞受賞[43]
  • 第20回 BCS賞(建築業協会)受賞[44]
  • 第1回 公共建築賞優秀賞受賞

人物

歴代館長

  1. 梅棹忠夫(1974年6月 - 1993年3月)
  2. 佐々木高明(1993年4月 - 1997年3月)
  3. 石毛直道(1997年4月 - 2003年3月)
  4. 松園万亀雄(2003年4月 - 2009年3月)
  5. 須藤健一(2009年4月 - 2017年3月)
  6. 吉田憲司 (2017年4月 - 2025年3月)
  7. 関雄二 (2025年4月 - )[45]

名誉教授

研究部OB・OG

研究部教員

ギャラリー

主な展示物

マスメディア関連

  • ラジオ大阪『みんぱくラジオ~世界を語る~』(水曜23:30-0:00、2007年〈平成19年〉10月 - 2011年〈平成23年〉6月1日)
  • FM千里『ごきげん千里837内みんなのみんぱく』(火曜11:00-11:10)
  • 毎日新聞』「旅・いろいろ地球人」(夕刊連載)

経済効果

国立民族学博物館の経済効果についての試算によると、建設費用76億円に対して、最終需要が生む大阪府内の生産誘発効果は43.6億円だった。これだけでは元が取れていないが、文化施設が生む社会的便益(税負担意思評価)を計算した場合、1世帯当たり3039円の税金を負担してもよいという結果が得られた。100キロ圏内に600万人世帯があるので、両社を掛け合わせれば182億3400万円となり、建設費を大幅に上回るとされた[46]

脚注

注釈

  1. ^ 青木師の収集した資料はほかに東京大学文学部インド哲学研究室、龍谷大学学術情報センター大宮図書館にも所蔵されている[35]

出典

  1. ^ a b c d e 館長あいさつ – 国立民族学博物館”. www.minpaku.ac.jp. 2025年11月26日閲覧。
  2. ^ 大学院パンフレット(2024年)
  3. ^ a b c d 飯田 2017a, p. 10.
  4. ^ 飯田、朝倉編 2017, p. 4.
  5. ^ 難波 2016, p. 94.
  6. ^ a b 宮本 1978, p. 115.
  7. ^ 渋沢 1966, p. 47.
  8. ^ 宮本 1978, pp. 115–117.
  9. ^ a b c 宮本 1978, p. 117.
  10. ^ 落合 2009, p. 11.
  11. ^ 渋沢 1966, pp. 117.
  12. ^ a b 宮本 1978, p. 29.
  13. ^ 国立民族学博物館編 1984, p. 3.
  14. ^ 宮本 1978, p. 28.
  15. ^ a b c 国立民族学博物館編 1984, p. 4.
  16. ^ 飯田 2017b, p. 4.
  17. ^ a b 宮本 1978, p. 30.
  18. ^ 宮本 1978, pp. 34–35.
  19. ^ a b 国立民族学博物館編 1984, p. 5.
  20. ^ a b 国立民族学博物館編 1984, p. 6.
  21. ^ a b c d 国立民族学博物館編 1984, p. 7.
  22. ^ a b c 国立民族学博物館編 1984, p. 9.
  23. ^ 国立民族学博物館編 1984, p. 11.
  24. ^ 国立民族学博物館編 1984, p. 70.
  25. ^ 国立民族学博物館編 1984, p. 646.
  26. ^ a b 国立民族学博物館編 1984, p. 238.
  27. ^ a b 国立民族学博物館編 1984, p. 239.
  28. ^ MINPAKUofficialの2018年6月18日のツイート、2018年6月24日閲覧。 国立民族学博物館公式Twitter
  29. ^ MINPAKUofficialの2018年7月20日のツイート、2018年8月3日閲覧。 国立民族学博物館公式Twitter
  30. ^ MINPAKUofficialの2018年9月13日のツイート、2018年10月20日閲覧。 国立民族学博物館公式Twitter
  31. ^ 吉田館長メッセージ(2018年9月13日)国立民族学博物館
  32. ^ 飯田 2017a, pp. 10–11.
  33. ^ a b c d e 飯田 2017a, p. 11.
  34. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 国立民族学博物館編 2006, p. 313.
  35. ^ 三谷 2006, p. 6.
  36. ^ 石森 2006, p. 19.
  37. ^ a b 日高 2021, p. 18.
  38. ^ 中牧 2016, p. 9.
  39. ^ a b c 国立民族学博物館編 2006, p. 338.
  40. ^ a b 林 2021, p. 17.
  41. ^ 「テーマ 国際理解:「みんぱっく」を開けてみました。(高学年)」【箕面こどもの森学園でのデキゴト 小学部】
  42. ^ ザ・バックヤード 知の迷宮の裏側探訪【NHK教育】2023年10月18日付「国立民族学博物館」
  43. ^ 国立民族学博物館編 1984, p. 236.
  44. ^ 国立民族学博物館編 1984, p. 650.
  45. ^ “国立民族学博物館、新館長に関雄二氏”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2024年11月21日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD216230R21C24A1000000/ 2024年11月22日閲覧。 
  46. ^ 梅棹忠夫:監修、総合研究開発機構:編「文化経済学事始め」学陽書房、1983年

参考文献

書籍

逐次刊行資料

関連文献

関連項目

外部リンク


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