文部科学副大臣とは? わかりやすく解説

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文部科学副大臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/18 07:57 UTC 版)

日本
文部科学副大臣
State Minister of Education, Culture, Sports, Science and Technology
文部科学省ロゴマーク
現職者
武部新
野中厚

就任日 2024年令和6年)11月13日
担当機関文部科学省
任命内閣総理大臣
石破茂
根拠法令国家行政組織法
初代就任大野功統
河村建夫
創設2001年平成13年)1月6日
ウェブサイト大臣・副大臣・大臣政務官:文部科学省

文部科学副大臣(もんぶかがくふくだいじん、英語: State Minister of Education, Culture, Sports, Science and Technology)は、日本文部科学省を担当する副大臣

概要

副大臣執務室(2002年、文部科学省庁舎)

中央省庁等改革基本法に基づく中央省庁再編により、2001年1月6日文部科学省が設置された。それにともない、文部科学副大臣が新設された。同日付で第2次森改造内閣(中央省庁再編後)が発足し、衆議院議員大野功統河村建夫が任命された。

文部科学大臣からの命を受け、政策企画の立案、政務の処理などを担当する[1]国家行政組織法に基づき、定数は2名で運用されている[2]

ただ、常に2名同時に任命するわけではない。第2次小泉内閣では、衆議院議員の原田義昭稲葉大和が任命された。しかし、2004年5月20日に原田のみ退任し、後任に衆議院議員の小野晋也が就任している。

文部科学副大臣としての在任日数が最も長いのは、池坊保子である。池坊は第1次安倍内閣にて文部科学副大臣に任命され、それ以来、第1次安倍改造内閣福田康夫内閣の計3内閣にて文部科学副大臣を務めた。また、文部科学副大臣としての就任回数が最も多いのは、鈴木寛である。池坊の在任日数には及ばないものの、鈴木は鳩山由紀夫内閣にて文部科学副大臣に任命され、それ以来、菅直人内閣菅直人第1次改造内閣菅直人第2次改造内閣の計4内閣にて文部科学副大臣を務めた。

歴代副大臣

文部科学副大臣
内閣 氏名 就任日 退任日 党派 氏名 就任日 退任日 党派 備考
第2次森内閣 改造内閣
(中央省庁再編後)
大野功統 2001年1月6日 2001年4月26日 自由民主党 河村建夫 2001年1月6日 2001年4月26日 自由民主党  
第1次小泉内閣 青山丘 2001年5月1日 2002年9月30日 岸田文雄 2001年5月1日 2002年9月30日  
  第1次改造内閣 河村建夫 2002年10月2日 2003年9月22日 渡海紀三朗 2002年10月2日 2003年9月22日  
  第2次改造内閣 原田義昭 2003年9月25日 2003年11月19日 宮本一三 2003年9月25日 2003年11月19日  
第2次小泉内閣 2003年11月20日 2004年5月20日 稲葉大和 2003年11月20日 2004年9月27日  
小野晋也 2004年5月20日 2004年9月27日 ※1
  改造内閣 小島敏男 2004年9月29日 2005年9月21日 塩谷立 2004年9月29日 2005年9月21日  
第3次小泉内閣 2005年9月22日 2005年10月31日 2005年9月22日 2005年10月31日  
  改造内閣 河本三郎 2005年11月2日 2006年9月26日 馳浩 2005年11月2日 2006年9月26日  
第1次安倍内閣 池坊保子 2006年9月27日 2007年8月27日 公明党 遠藤利明 2006年9月27日 2007年8月27日  
  改造内閣 2007年8月29日 2007年9月26日 松浪健四郎 2007年8月29日 2007年9月26日  
福田康夫内閣 2007年9月27日 2008年8月2日 2007年9月27日 2008年8月2日  
  改造内閣 松野博一 2008年8月5日 2008年9月24日 自由民主党 山内俊夫 2008年8月5日 2008年9月24日  
麻生内閣 2008年9月29日 2009年9月16日 2008年9月29日 2009年9月16日  
鳩山由紀夫内閣 中川正春 2009年9月18日 2010年6月8日 民主党 鈴木寛 2009年9月18日 2010年6月8日 民主党  
菅直人内閣 2010年6月9日 2010年9月17日 2010年6月9日 2010年9月17日  
  第1次改造内閣 笹木竜三 2010年9月21日 2011年1月14日 2010年9月21日 2011年1月14日  
  第2次改造内閣 2011年1月18日 2011年9月2日 2011年1月18日 2011年9月2日  
野田内閣 森裕子 2011年9月5日 2012年1月13日 奥村展三 2011年9月5日 2012年1月13日
  第1次改造内閣 2012年1月13日 2012年4月6日※2 2012年1月13日 2012年6月4日
  高井美穂 2012年4月6日 2012年6月4日
  第2次改造内閣 2012年6月4日 2012年10月1日 2012年6月4日 2012年10月1日
  第3次改造内閣 笠浩史 2012年10月2日 2012年12月26日 松本大輔 2012年10月2日 2012年12月26日  
第2次安倍内閣 谷川弥一 2012年12月27日 2013年9月30日 自由民主党 福井照 2012年12月27日 2013年9月30日 自由民主党  
桜田義孝 2013年9月30日 2014年9月3日 西川京子 2013年9月30日 2014年9月3日
  改造内閣 丹羽秀樹 2014年9月4日 2014年12月24日 藤井基之 2014年9月4日 2014年12月24日  
第3次安倍内閣 2014年12月25日 2015年10月9日 2014年12月24日 2015年10月9日  
  第1次改造内閣 義家弘介 2015年10月9日 2016年8月5日 冨岡勉 2015年10月9日 2016年8月5日  
  第2次改造内閣 2016年8月5日 2017年8月7日 水落敏栄 2016年8月5日 2017年8月7日  
  第3次改造内閣 丹羽秀樹 2017年8月7日 2017年11月2日 2017年8月7日 2017年11月2日  
第4次安倍内閣 2017年11月2日 2018年10月4日 2017年11月2日 2018年10月4日  
  改造内閣 永岡桂子 2018年10月4日 2019年9月13日 浮島智子 2018年10月4日 2019年9月13日 公明党
  再改造内閣 上野通子 2019年9月13日 2020年9月18日 亀岡偉民 2019年9月13日 2020年9月18日 自由民主党
菅義偉内閣 高橋比奈子 2020年9月18日 2021年10月6日 田野瀬太道※3 2020年9月18日 2021年2月1日
丹羽秀樹 2021年2月1日 2021年10月6日
第1次岸田内閣 田中英之 2021年10月6日 2021年11月11日 池田佳隆 2021年10月6日 2021年11月11日
第2次岸田内閣 2021年11月11日 2022年8月12日 2021年11月11日 2022年8月12日
第1次改造内閣 井出庸生 2022年8月12日 2023年9月15日 簗和生 2022年8月12日 2023年9月15日
第2次改造内閣 青山周平 2023年9月15日 2023年12月14日 今枝宗一郎 2023年9月15日 2024年10月3日
阿部俊子 2023年12月14日 2024年10月3日
第1次石破内閣 武部新 2024年10月3日 2024年11月13日 2024年10月3日 2024年11月13日
第2次石破内閣 2024年11月13日 現職 野中厚 2024年11月13日 現職
  • 副大臣は同一の職に複数名を任命することがあるため、通常は代数の表記は行わない。そのため、本表では代数の欄は設けない。
  • 党派の欄は、就任時の所属政党を記載した。
  • ※1:原田義昭のみ退任し、後任に小野晋也が就任。
  • ※2:森裕子のみ退任し、後任に高井美穂が就任。
  • ※3:田野瀬太道のみ退任し、後任に丹羽秀樹が就任。

脚注

関連項目

外部リンク


文部科学副大臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:16 UTC 版)

鈴木寛」の記事における「文部科学副大臣」の解説

2年間の文部科学副大臣在任期間において、実質的な意思決定一手引き受けた官僚からの信頼厚く民主党政権下で最も政治主導円滑に機能した評される在任中は文部科学省で最も労働時間長いと言われていた。 高校無償化希望全員奨学金所得連動返済無利子奨学金制度導入30年ぶりの学級編制標準見直し小学校1年生35人学級実現)、3年間で1万人超の教員定数改善科学研究費助成事業科研費)の大幅増基金化の実現をはじめとした文教予算増に貢献した東日本大震災の際に、被災地支援団体マッチングのために「東日本大震災子どもの学び支援ポータルサイト」を構築し、2257件の被災地支援成立システム日本ユニシス無償構築した福島第一原子力発電所事故の際は、放射線モニタリング結果公表即座に決定しアクセス集中して情報途絶えぬよう、助教授務めていた慶應SFC村井純教授協力要請し複数ミラーサーバ構築した2013年2月9日のG1サミット語った一方で鈴木を含む政務三役文科省幹部3月15日協議しSPEEDIによる放射性物質拡散予測が「一般にはとても公表できない内容判断」し、鈴木が「文科省データの提供に徹し評価はせず、今後原子力安全委員会公表する」と提案し合意されたと報じられた。しかしながら、国の原子力災害時の対応方針は「緊急時には、文部科学省からの指示により計算結果2次元表示等行い官邸原子力災害対策本部)等の関係機関においてこれらを活用する」こととなっており、緊急事態発生した場合官邸被ばく線量予測や、避難等の実施区域案の作成記者発表資料の作成を行うこととなっていた。 文教および科学振興費の増額進め平成23年度予算戦後初めて「文教および科学振興費(5兆5,100億円)」が「公共事業関係費(4兆9,743億円)」を上回った。さらに、省庁別にみると、「文部科学省予算(5兆5428億円)」が「国土交通省予算(5兆193億円)」を上回った野党議員時代に自ら構想して制度化尽力したコミュニティ・スクール大幅拡大平成23年度から24年度の1年で789校から1183校に)や学校支援本部事業充実により[要出典]、地域住民等が参画する学校ガバナンス改革推進し1年間に647万人ボランティア学校支援する体制確立した複雑な社会課題解決するためには法整備予算措置だけでは不十分で、関係者間のコミュニケーション教師保護者知恵自発的行動引き出すことが重要と主張し、「熟議」の政策形成学校づくり進めた週末ごとに全国学校熟議開催し2010年4月から2012年2月までの間に、170箇所開催され、約8千人参加した[要出典]。また、同時にweb上で政策について議論をするサイト熟議カケアイ」を開設し同期間に約20テーマ熟議実施され全国47都道府県海外から約1万5千件の声が寄せられた。 副大臣在任期間中も大学生集めて自主ゼミすずかんゼミ」を継続した文部科学省でも課長級若手官僚参加する非公式の「すずかんゼミ」が複数できた。

※この「文部科学副大臣」の解説は、「鈴木寛」の解説の一部です。
「文部科学副大臣」を含む「鈴木寛」の記事については、「鈴木寛」の概要を参照ください。

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