学校づくり
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斎藤が41歳で校長として赴任した島村立島小学校(後の伊勢崎市立境島小学校、2016年閉校)は、群馬県南端の利根川を挟んで本校と分校がある小さな学校で、教師も子どもたちも活気に乏しかった。斎藤は子どもたちを生き生きさせるために、まず表現力を育てる教育が必要だと考え、そのための教科として国語、音楽(合唱)、体育(跳び箱、マット、行進)を重視した。子どもたちの表現力を育てるには、まず教師自身が表現力を高めないといけないということから、斎藤の「学校づくり」 の仕事は、教師の研修に力を尽くすことから始まった。教師たちは斎藤校長の指導に応えて懸命に努力し、その成果が日常の授業に反映されていった。 旧態依然としていた教育方法や学校経営も、次々に改善・改革されていった。一斉指導から分団学習へ、通信簿の廃止、職員会議は月1回とし、それも定刻になったら止めて残りは次回廻しとし、後は合唱やソフトボールを楽しむ等々。卒業式が呼びかけ式に変わったのもその1つである
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