米沢強
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 10:05 UTC 版)
藤波学園ボクシング部二軍コーチ。当初、二軍落ちした仲本らに凄惨で理不尽なしごきを繰り返すが、コーチとは肩書きだけで実際は雑用係で関や乾の命令で、戦力外の二軍部員が嫌になって辞めて行くように仕向けるためだった。仲本達の以前の二軍選手達も同じやり方で辞めて行き、いつしか付けられたあだ名が「やめさせのヨネ」。かつては二軍から唯一一軍に昇格した選手だったが、あまりにも惨めな負け方をし、おもらしまでしたために「藤波の恥」とまで言われ軽んじられていた。自身が課したしごきに耐え、自分とのスパーリングでも強さを見せ付けた仲本達を、「お前らは俺がどんなにしごいてもやめたりしないだろう」と認め「かつての情けない自分とこいつらは違う!」と主張して一軍昇格を直訴。一軍との対抗戦が組まれるきっかけを作った。その直後仲本達に、散々しごいた自分に二軍側のコーチを引き続き依頼され感激して涙ぐみ、そんな彼を見て野田が仲本にこっそり「この人、ほんまはええ人なんちゃうか?」と評した。仲本達の二年生時には乾の転任、関の監督昇格に伴いコーチとなった。対抗戦のルールをアマチュアルールではなく、ヘッドギア無しのプロルールを提案した。
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