米沢工業専門学校時代
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「米沢高等工業学校」の記事における「米沢工業専門学校時代」の解説
1944年(昭和19年)4月:米沢工業専門学校と改称。設置学科を改組。機械科 + 工作機械科 + 紡織科 → 機械科、応用化学科 + 色染科 → 化学工業科、通信工学科 → 電気通信科。電気科はそのまま。 1945年(昭和20年)6月:旧紡織科の機器を上田繊専に移管・搬送。 1946年(昭和21年)4月:色染科・紡織科が復活。上田繊専に移管した機器は1947年(昭和22年)8月、紡績科に返還。 1947年(昭和22年)1月:大学昇格校内準備委員会発足。 5月:地方産業研究所を設置。前述の大学昇格校内準備委員会が工専大学昇格期成同盟会へと改称。 1948年(昭和23年)8月:新制山形大学創立委員会、第1回会合。 1949年(昭和24年)5月31日:国立学校設置法により、新制山形大学発足。旧米沢工専は、工学部(繊維工学科・応用化学科・機械工学科・電気工学科)の母体として包括された。 1951年(昭和26年)3月:旧制米沢工業専門学校、廃止。
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