1938年1月とは? わかりやすく解説

1938年1月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:33 UTC 版)

トラウトマン和平工作」の記事における「1938年1月」の解説

国民政府側では、期限だった1月10日までに回答するため議論続けられたがまとまらずより詳細内容日本政府求めてきた。日本政府譲歩し期限5日延ばし1月15日とすることを通告した同時に回答明確な態度表明なければならないが、和解への前向きな表明あるかぎりにおいて、特定の問題についての反問であってもよいとの通告行っている。 蔣介石は「日本側の条件は、わが国征服して滅亡させるためのものだ。屈服してほろびるよりは、戦って敗れてほろびたほうがよい」、「断固として拒絶せよ」と述べた日本では1月11日には参謀本部要請によって日露戦争以来御前会議開かれる参謀本部御前会議開催について、「戦勝国敗戦国対し過酷な条件強要する」ことを戒める味がある、と説明した1月13日開かれた閣僚会合では、1月15日までに国民政府から満足な回答がなかった場合トラウトマン仲介とする和平交渉打ち切り、第2の手段に移行することが決定されたが、その翌日1月14日国民政府からディルクセンを経由して日本政府回答があった。しかし、その内容は「さらに新条11箇条具体細目知りたい」という照会でしかなく不満足なのだった。 実はこの時期国民政府の側では和平唱える者が多数派で、1月14日開かれた国防最高会議でも同様だった実際汪兆銘張群孔祥煕らが、具体的な反問含んだ回答作成着手していたのだが、前線出ていた蒋介石介入して反問削除するように命じた。そのために、14日国民政府伝達してきた口上書は、10日のものとほとんど変わらないものになった。これが、日本政府が、国民政府遷延策を弄しているだけだとの不信感募らせる原因になった。 翌15日大本営政府連絡会議開かれ対応を協議したが、政府最終的に交渉打ち切り決定した15日大本営政府連絡会議席上では、交渉打ち切り主張する広田外相と、継続主張する多田参謀本部次長とが鋭く対立した多田は、この機会逃せ長期戦争になる可能性があることを強調し古賀軍令部次長もそれに同意したが、古賀米内海相から説得を受け交渉打ち切り論を飲まされ、一旦留保して参謀本部持ち帰った多田も、重大事にあって政変をおこすわけにはいかないので統帥部としては不同意ながら政府の方針にあえて反対しない、との理由政府の方針に従う結果になった席上広田が「私の永い間の外交官生活の経験から見て中国側態度は、和平解決誠意のない事は明らかであると信じます参謀次長外務大臣信用することができませんか?」と発言米内はこれに同調し政府外務大臣信頼しております統帥部が外務大臣信用しないという事は、政府不信任である。それでは政府辞職せざるを得ない」と発言。これに対し多田駿参謀次長は「明治天皇は、かって辞職なしと仰せられた。この国家大の時期に、政府辞職するなど何事でありますか」と応酬したとされ、最終的に多田内閣総辞職政府側の圧力屈したになった。しかし、なお参謀本部諦めず最後の賭として、昭和天皇の上奏により政決定再考得ようとした。しかし、先に上奏した近衛によって、参謀本部試み阻まれた。このような打ち切りに際しては、蔣政権との和平交渉継続強く主張し第一次近衛声明発表断固阻止しよう食い下がる多田参謀次長対し米内海相大本営政府連絡会議で「内閣総辞職になるぞ!」と恫喝して黙らせたことが知られる。 翌16日近衛内閣は「帝國政府爾後国民政府を対手とせず真に提携する足り新興支那政権期待し、これと国交調整して更生支那建設協力せんとす」と声明発した第一次近衛声明)。同日広田外相はディルクセンに打ち切り伝え交渉終了した従来から、第1次近衛声明平和的解決破壊したと言われることが多いが、実際には同じ日の16日蒋介石トラウトマンに対して日本政府が再び厳し講和条件繰り返すなら拒否する伝えており、蒋介石に既に講和に向かう意思はなかった。 太平洋戦争大東亜戦争)後、文官である広田弘毅日中戦争開始拡大させた責任問われ極東国際軍事裁判において絞首刑処された。

※この「1938年1月」の解説は、「トラウトマン和平工作」の解説の一部です。
「1938年1月」を含む「トラウトマン和平工作」の記事については、「トラウトマン和平工作」の概要を参照ください。

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