1938–40年/1948年-50年モデルとは? わかりやすく解説

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1938–40年/1948年-50年モデル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 08:05 UTC 版)

オペル・カピテーン」の記事における「1938–40年/1948年-50年モデル」の解説

1938年登場したカピテーンの初代モデルは、1936年発表されアッパーミドルクラス2.5リッター6気筒セダンズーパー6」(Super 6)の後継モデルとして開発されたものであるズーパー6は、元々1920年代1.8リッターモデルから発展した在来2リッター6気筒モデル代わる高性能エンジン搭載独立懸架装備の強化型として開発されたが、多分に過渡期モデルとしての性格強く、カピテーンはそのデザイン・メカニズムを一新した当時オペルは、ドイツ自動車市場最大シェアを持つ強力な存在であったが、アメリカ・ゼネラルモーターズ(GM)傘下外資系となって不況期乗り越えた1930年代後期は、フルライン・メーカーとしての乗用車ラインナップ充実注力していた。この結果3.6リッター級の高級車アドミラル」、2.5リッターアッパーミドルの「カピテーン」、1.3/1.5リッター級の「オリンピア」、1.1リッター級の「カデット」が1938年までに揃った。うち1936年ベルリンオリンピックにちなん名付けられオリンピア除いた3モデルは「アドミラル提督)」、「カピテーン(艦長)」、「カデット士官候補生)」という、車格海軍軍人序列なぞらえたネーミングとなっており、軍事国家となっていたナチス・ドイツ国情うかがわれる当初のカピテーンは、最新型アメリカ車トレンド沿った流線型デザイン採用、特に戦前モデルヘッドライトフェンダー埋め込まれ異型ガラスカバーに覆われており、強い個性発揮していた。セダンボディが標準であるが、オープンモデルなどの派生型生産された。 先行した小型オリンピア倣い当時としては進歩的な頑強なフロアパネルベースとするセミ・モノコックボディとされていたことが特徴である。先代ズーパー6のフロントサスペンションは、オリンピア同様、オペル親会社である米GM1934年シボレー倣ったデュボネ独立であったが、耐久性問題抱えた方式で、アメリカ本国シボレーではすぐ取りやめになっていた。カピテーンではこれに代えGMでもより上級キャデラック実績のあったコイル・スプリング支持によるダブルウィッシュボーン独立懸架採用している。 直列6気筒OHVエンジン同時期のシボレー6気筒縮小したような設計で、先代ズーパー6からのキャリーオーバーである。同時期のアドミラルではシボレー6気筒エンジン基本サイズそのままアメリカ式インチ規格からドイツ標準メトリック図面引き直し搭載しており、両車共にGM本社影響強さが伺われる。 ナチス全盛時代であったドイツであっただけに、当時同盟国であった戦前日本にも戦前若干輸入された。日本画家横山大観オーナー一人だった。 1939年第二次世界大戦勃発後、ナチス・ドイツ政府圧力によってアメリカ資本オペル国家管理置かれるオペル自動車生産能力専らブリッツトラック軍需生産振り向けられ、カピテーンを含む乗用車生産1940年以降順次中止された。なお、当時のブリッツトラックには軽量級重量級があったが、その6気筒エンジン軽量級がカピテーンと共用の2.5L、重量級アドミラル共用の3.6Lをそれぞれ搭載していた。 軍用スタッフカーとして戦場投入されたカピテーンでソ連鹵獲されたものは、モノコック構造デザインサスペンションなどが、ソ連初の完全国設計となったGAZM20ポベーダ設計参考にされている。 第二次世界大戦の敗戦後、GM傘下に戻ったオペルでは乗用車生産再開急ぎ1947年オリンピア生産再開続き1948年からカピテーンの生産再開したカデット生産設備丸ごとソ連収奪されてしまい、アドミラルはこの時点では復活しなかった)。カピテーンのボディスタイルは4ドアセダンのみとなり、ヘッドライト従来どおりフェンダー埋め込みではあるがごく単純な丸型ライトとなった1950年以降コラムシフト改められた。 この当時、後に西ドイツとなった米英占領地域では他の自動車メーカー復興開始されていたが、ドイツ民族系メーカー戦前上級レンジ圧倒的優位にあったダイムラー・ベンツ製の「メルセデス・ベンツ乗用モデルは、戦後復興過程4気筒小型車「170V」系しか生産されておらず、民族系メーカー最有力であったアウトウニオンは、本社所在地生産拠点ソビエト連邦占領地(のち東ドイツとなる)に含まれたことで高級車アウディ・ホルヒの工場を含むほとんどの設備接収され東ドイツ国営企業小型車工場となった)、西ドイツ逃れた経営陣の手でようやく小型車専業メーカーとして再建される途上にあったこのため唯一の西ドイツ量産6気筒となったカピテーンは、一時的に西ドイツにおける最上級乗用車として、公用車などに用いられた。 全長4620mm、車両重量1640kg、最高速度126km/h。

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