ダイムラー・ベンツ
カール・ベンツが設立したカール・ベンツ社(Karl Benz & Cie)とゴッドリープ・ダイムラーのダイムラー自動車会社(Daimler Motoren Gesellschaft)が1926年に合併してできた自動車メーカー。88年、アメリカのクライスラーと合併しダイムラークライスラー社となった。20世紀初めのグランプリレースで活躍したダイムラーと、レースや速度記録に挑戦したベンツが、30年代半ばにはナチス政権から資金援助を得て、アウトウニオンとともに第2次世界大戦が勃発するまでのグランプリレースを席巻した。戦後は52年にレース界にカムバック、その後、F1とスポーツカーレースを舞台に大きな成功を収めたが、55年のルマンで80人以上が死亡する大惨事にかかわり、そのシーズンでレースから撤退した。だが80年代半ば、ザウバーを支援するかたちでまずスポーツカーレースに復帰し、91年まで活動を続けた。その後、F1に転向、95年からはマクラーレンにエンジン(実際の開発はイルモアが担当)を供給するかたちで現在に至る。また、F1のほかにも、ツーリングカーレースではAMGと協力してDTMに参戦(現在も継続中)、90年代半ばにはCARTにエンジンを供給、90年代後半にはやはりAMGとGT選手権に参戦するなど、幅広い活動を展開し、各カテゴリーで数多くのタイトルを獲得した。
ダイムラー・ベンツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 06:40 UTC 版)
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | ![]() バーデン=ヴュルテンベルク州 シュトゥットガルト |
設立 | 1926年 |
業種 | 輸送用機器 |
事業内容 | 自動車の製造・販売 |
ダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz AG)は、1926年から1998年まで存在したドイツの自動車メーカーである。
歴史
1883年、カール・ベンツはベンツ& Cie. ライニッシェ・ガスモトーレン・ファブリーク(以降、ベンツ& Cie.)をマンハイムで立ち上げ、2ストロークエンジンの開発に着手。1886年には世界で初めて「ガソリンを動力とする車両」に関する特許を取得し、1890年代から自動車を量産していた。
一方、ともに内燃機関の技術者であったゴットリープ・ダイムラーとヴィルヘルム・マイバッハは1890年にダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト(以降、DMG)をシュトゥットガルトに設立。自動車の発明ではベンツに後れを取るものの、オーストリア人企業家エミール・イェリネックの支援を受け、1900年にヴィルヘルム・マイバッハ制作のレーシングカーでモータースポーツへの参戦を開始。これが最初にイェリネックの娘の名前「メルセデス」を冠したマシンメルセデス・35hpであった。モータースポーツでの活躍から、1902年からは市販車にもメルセデスブランドを使用し、販売を拡大していた。
しかし、1920年代に入るとドイツは第一次世界大戦終結後の急激なインフレに見舞われ、経済危機に瀕していた。これは両社とて例外ではなく、ベンツ& Cie.は1919年にDMGに最初の合併を持ちかけたが、拒否されてしまう。だが、財政状況が好転することはなく、1924年5月1日、ついに両社は「相互利益に関する協定(Agreement of Mutual Interest)」を締結し、合併を目指すこととなった。
1926年、両社は合併し、新会社を設立。社名をダイムラー・ベンツとし、本社はDMGの本拠地であるシュトゥットガルトに置かれた。エンブレムはDMGのスリー・ポインテッド・スターの外側にベンツ& Cie.の「BENZ」を刻んだものであった。また、新会社はすべての自動車をメルセデス・ベンツ(DMGの「メルセデス」とベンツ& Cie.の「ベンツ」をとった)ブランドで製造することも決定した。
1940年代には乗用車の生産を続けつつ、第二次世界大戦中はナチスに協力し、戦闘機や戦車、潜水艦のエンジンなどの生産を請け負った。
1958年、アウトウニオン(現アウディ)を買収するものの、1960年代前半にはフォルクスワーゲンに売却する。
1986年、メルセデス・ベンツ日本(MBJ)を設立して日本進出。それまでのインポーターであったヤナセに代わり、メルセデス・ベンツの乗用車と商用車の日本への輸入を開始した。
1994年、スウォッチ・グループと共同出資してMCC(Micro Car Corporation )を設立。スマートブランドでの小型車開発をスタートした。
1998年、アメリカの自動車メーカークライスラーを事実上吸収合併し、社名をダイムラー・クライスラーに変更、約70年にわたるダイムラー・ベンツの歴史に幕を下ろした。このドイツの高級車メーカーとビッグスリーの一角をなすメーカーとの合併は当時「世紀の大合併」などと評されるほど驚きを持って受け入れられ、この後に起こる合併・買収による自動車業界再編の契機となった。同時に日本法人もクライスラー・ジャパンセールスとの合併よりダイムラー・クライスラー日本に社名を変更した。
2007年8月、ダイムラー・クライスラーは不振のクライスラー部門を米投資会社、サーベラス・キャピタル・マネジメントに売却、2007年10月ダイムラーに社名を変更した。
関連項目
- ダイムラー
- カール・ベンツ
- ゴットリープ・ダイムラー
- ヴィルヘルム・マイバッハ
- メルセデス・ベンツ
- ダイムラー・ベンツ DB 601
- BMW - ドイツの自動車業界では最大のライバルであるが、1959年に経営危機に陥った際にダイムラー・ベンツによる救済合併が図られていた。
ダイムラー・ベンツ(現ダイムラー)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 00:59 UTC 版)
「ロータリーエンジン」の記事における「ダイムラー・ベンツ(現ダイムラー)」の解説
1960年代からロータリーエンジンの研究を開始、ミッドシップに4ローターロータリーエンジンを搭載したC111をジュネーブ・モーターショーで発表したが、耐久性の面で問題が生じ、ついに市販されることはなかった。
※この「ダイムラー・ベンツ(現ダイムラー)」の解説は、「ロータリーエンジン」の解説の一部です。
「ダイムラー・ベンツ(現ダイムラー)」を含む「ロータリーエンジン」の記事については、「ロータリーエンジン」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
ドイツの自動車メーカー・ブランド |
ゴッゴモビル ブラバス ダイムラー・ベンツ バルカス NSU |
かつて存在したドイツの企業 |
ジョージ・カレット ウェルタ・カメラヴェルク ダイムラー・ベンツ アドトランツ アウトウニオン |
ドイツの軍需関連企業 |
DEST ハインケル ダイムラー・ベンツ ラインメタル シュミット・アンド・ベンダー |
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