1937年頃:支那事変期とは? わかりやすく解説

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1937年頃:支那事変期(日本米以外の主食の奨励)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 00:30 UTC 版)

節米料理」の記事における「1937年頃:支那事変期(日本米以外の主食奨励)」の解説

節米運動開始後の支那事変期、節米料理として飯に米以外具材混ぜること(混食)や、米以外食材主食とすること(代用食)が奨励された。 混食は、飯に具材混ぜるという意味では炊き込みご飯混ぜご飯同様だが、味や季節感を楽しむ炊き込みご飯違って栄養カロリー重視され当時具材芋類豆類穀類が主であった。ほかに野菜シイタケ油揚げ野草茶殻なども用いられた。一般炊き込みご飯では具材全体4分の1から5分の1程度だが、当時混食は具が全体3分の1ときには半分のこともあった。粥や雑炊奨励されていたが、1940年昭和15年以降にはインディカ米混ぜた米が販売されており、その食感から不人気であったため、これを食べやすくした混食炒めご飯などのほうが多く食べられていた。米が外米のみのこともあり、不味の上胃腸を壊す者もあったとの体験談もある。 代用食としては、パン、うどん、などが食べられた。女性雑誌上でパン類ホットケーキお好み焼きといった粉物紹介された。当時グラフ誌アサヒグラフ』でも1940年夏には節米特集として、一般家庭家族楽しそうひやむぎ食べ写真掲載された。1940年8月には読売新聞紙上に『うまくて家庭向き米飯ぬき国策料理』が掲載され代用食としてうどん、饅頭マカロニなどの料理紹介された。このように当時代用食はまだ、彩りや味を考え余裕があり、こうした風潮1941年昭和16年)頃まで続いていた。

※この「1937年頃:支那事変期(日本米以外の主食の奨励)」の解説は、「節米料理」の解説の一部です。
「1937年頃:支那事変期(日本米以外の主食の奨励)」を含む「節米料理」の記事については、「節米料理」の概要を参照ください。

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