支藩とは? わかりやすく解説

支藩 (しはん)


支藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 09:03 UTC 版)

支藩(しはん)は、江戸時代主家の一族が、弟や庶子など、家督相続の権利の無い者に所領を分与する(分知)などして新たに成立させた藩のことである。このほか有力家臣の所領も支藩という場合がある。


  1. ^ 阿部善雄『目明し金十郎の生涯―江戸時代庶民生活の実像』中公新書


「支藩」の続きの解説一覧

支藩(郡山新田藩)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/25 14:20 UTC 版)

郡山藩」の記事における「支藩(郡山新田藩)」の解説

郡山新田藩こおりやましんでんはん)は、本多家時代1639年 - 1679年)の郡山藩の支藩である。本多政勝長男本多勝行は、政勝の姫路藩時代にその支藩姫路新田藩藩主であったが、寛永16年1639年)に政勝の郡山への移封にともない新たに郡山において旧領と同じ4万石分知された。これが郡山新田藩起こりである。勝行の早世後、その所領義兄の政長が3万石、政信が1万石をそれぞれ分与された。 寛文11年1671年)に本藩の政勝が死去すると、政長が本藩の家督継いで郡山藩主となるが、幕府の裁定により、郡山藩所領15万石のうち9万石新田領と合わせて12万石)を政長が、残り6万石を勝行の弟の政利が相続した延宝7年1679年)、政利は播磨国明石藩移封され、廃藩となった。 政信が分与された1万石の所領も、延宝7年1679年)に、子の政貞(忠英)が播磨国山崎藩移封され、廃藩となった

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支藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 04:32 UTC 版)

岩槻藩」の記事における「支藩」の解説

阿部家時代に以下の支藩があった。 大多喜藩上総国夷隅郡阿部正次は元は大多喜藩主で、移封後も夷隅郡旧領保持していたが、岩槻藩時代寛永15年1638年)に孫の阿部正令正能)に1万石を分与し大多喜立藩させた。正令は寛文11年1671年)に阿部忠秋の跡を継いで武蔵国忍藩主となり、その際にこの1万石も引き続き知行した。同年阿部正春阿部正邦藩主譲った後、後述する自身旧領1万6千石知行新たに大多喜藩となった元禄15年1702年)、正春三河国刈谷藩移封した。 大多喜新田藩上総国夷隅郡阿部正春(元は三浦姓を名乗り三浦正春)は、慶安4年1651年)に兄の阿部定高岩槻藩となった際、1万6千石分与された。名目上居所大多喜置いたが、正令の大多喜藩併存しており、便宜上大多喜新田藩」と呼ばれる万治2年1659年)、正春岩槻藩主を継いだ際に廃藩となり、のち正春が正令に代わって大多喜藩となった際に、旧大多喜新田藩領が新たな大多喜藩になった

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支藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 06:01 UTC 版)

福島藩」の記事における「支藩」の解説

各家とも福島藩時代には支藩の創設はなし。本多家には、大和郡山藩時代分封した播磨山崎藩陸奥岩瀬藩存在したこのうち福島県須賀川市陣屋置いた岩瀬藩主の本多出雲守政利は、天和2年1682年)まで播磨明石藩であった不行跡により岩瀬に減転封された。その後行跡改めず乱行続けたとして、元禄6年1693年)に改易となった

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支藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/14 20:04 UTC 版)

朽木藩」の記事における「支藩」の解説

朽木稙綱徳川家光寵愛受けて寛永13年8月13日1636年9月12日)に加増受けて1万石の大名となる。その後正保4年12月24日下野国鹿沼などを与えられ鹿沼城居城定めた事で鹿沼藩成立する

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支藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 10:18 UTC 版)

岡山藩」の記事における「支藩」の解説

江戸時代中3藩が存在したいずれの支藩も岡山新田藩おかやましんでんはん)と称した。そのため現在ではそれぞれ児島藩」「鴨方藩」「生坂藩」と呼ばれることが多い。 児島藩短期間鴨方藩 生坂藩

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