支線開通と開原駅乗り入れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/26 07:27 UTC 版)
「開豊鉄道」の記事における「支線開通と開原駅乗り入れ」の解説
このような騒動の関係もあり、鉄道建設の方はすっかりお留守の状態が続いたが、1935年12月に開原城 - 東関間の支線を開通させている。 そして1938年8月9日には「開豊鉄道」と改称、資本金も180万4800満州国圓、株数5万6400株の株式会社として仕切り直し、既に鉄道附属地が廃止されているにもかかわらず、そのままになっている起点を1940年12月に開原まで延伸。ようやく開原-西豊間が全通することになった。 その後も周囲から路線をさらに東へ延伸して西安(現在の遼源)まで到達させるべしとする声もあったが、結局路線はこれ以上延びることなく終戦を迎えることになった。
※この「支線開通と開原駅乗り入れ」の解説は、「開豊鉄道」の解説の一部です。
「支線開通と開原駅乗り入れ」を含む「開豊鉄道」の記事については、「開豊鉄道」の概要を参照ください。
- 支線開通と開原駅乗り入れのページへのリンク