支線区への直通
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「名鉄7000系電車」の記事における「支線区への直通」の解説
7500系の登場に先立ち、モ7014にて住友金属工業製新型台車のテストが行われた。その7500系は1963年12月に登場し、しばらくは大きな変化はなかったが、社長に就任していた土川から「パノラマカーの特急を支線区へ直通させる」という方針が打ち出された。これに伴い、本線特急には7500系を使用し、支線への直通に7000系が運用されるようになったが、短い編成が必要となったため、1967年3月に7000系の4両編成が登場することになった。しかし、7000系が全車電動車であったため、支線の変電所容量では電力が不足する可能性があった。この問題については2両の動力をカットすることで解決できたが、切り替え操作を避ける目的で、電圧を検知するリレーの設定値に差をつけ、電力不足になった際には2両の動力が自動的に切られるようにするという方策を採った。この時の増備車からは、支線内において車両直前の安全確認を行えるようにするため「フロントアイ」と呼ばれる機器が前頭部に設置された。この「フロントアイ」は広角の凸レンズを使用したもので、レンズを通して見ると、天地が逆になるものの展望席の直前の様子が分かる。これにより前方死角は12mから1mに減少した。フロントアイは、これより前に製造された車両にも追設された。 1967年12月から、6両編成4本を4両編成・8両編成2本ずつへと組成の変更が行われた。8両編成は名古屋本線の特急8両編成化に対応したものであったが、7500系の増備に伴い1968年10月に8両編成は解除され、この年に増備された先頭車4両を加えて6両編成と4両編成に組成変更された。その後も支線直通用の4両編成の増強は進み、1969年4月には4両編成2本が、1971年4月には4両編成3本が増備されたほか、1970年4月には先頭車のみ6両が製造され、6両編成3本が4両編成6本に組成変更された。なお、工場の設備が更新され、6両編成でも同時に入場できるようになったことから、モ7150形に設置されていた簡易運転台は1968年9月に撤去された。 なお、1971年9月3日には犬山線下小田井駅と中小田井駅の間にある踏切で、警報機を無視した2.5tトラックと衝突する事故が発生した。このトラックの積荷が可燃物のシンナーであったため衝突後に炎上し、この年に製造されたばかりのモ7040が炎上する事故が発生している。 このように支線への直通が多くなった7000系であったが、三河線と尾西線には閉塞方式がタブレット閉塞であったため、運転台の高い7000系は入線していなかった。これらの線区に運行されている特急の冷房化率向上のため、1971年10月にはAL車の機器に7000系7次車とほぼ同一仕様で前面貫通型の車体を架装した7300系が登場した。さらに、1973年には7300系の高性能車版ともいえる7700系が登場した。7700系は7000系をはじめとして、7500系を除くすべてのSR車との連結が可能な車両で、2両編成と4両編成が4本ずつ製造され、車両運用の合理化と輸送単位の調整が図られた。 社長の土川はパノラマカーを気に入っており、愛知県公安委員会の委員長に就任すると、愛知県内の踏切標識を蒸気機関車ではなくパノラマカーに変えてしまった。さすがにこれは苦々しく思われたようで、土川が公安委員長から退任すると標識は元に戻された。
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