冷房化
冷房化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 06:16 UTC 版)
「大阪府都市開発100系電車」の記事における「冷房化」の解説
1983年から1986年にかけて、全30両に対して冷房装置の設置工事が実施された。屋根上に集約分散式の三菱電機製CU-191P形を4台、車内天井にローリーファン4台を設置したが、3000系とは異なりダクト方式ではなかった。 冷房化と同時にパンタグラフを下枠交差型のものに交換した。冷房化以前は中百舌鳥・難波側の先頭車のパンタグラフは先頭部寄り(運転台直上)に設置されていたが、冷房化と同時に連結面寄りに移設された。 また冷房化と同時に補助電源としてそれまでの電動車のMGが撤去され、制御車および和泉中央側の付随車にSIV(静止形インバータ)が設置された。
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冷房化
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「鹿児島市交通局500形電車」の記事における「冷房化」の解説
1981年(昭和56年)にはサービスアップのため自局工場で507・512に冷房装置を搭載、鹿児島市電初の冷房車となった。 この改造は経年による老朽化対策としての更新(保全)工事も兼ねていたためワンマン化以上の大工事となり、以下の改修が実施された。 重い冷房装置を屋根上に搭載するため、構体全般について大がかりな補強を実施。 旧車掌台窓を横引から通常の2段上昇式へ変更。 側窓の上段Hゴム支持固定窓化。中央戸袋窓については上下に分割し2枚ともHゴム支持化。 補助電源装置としてSIVを屋根上B台車寄りに搭載、冷房機を屋根中央に搭載。 この改造は他車にも波及し、1984年(昭和59年)までに、1980年に起こった衝突事故で廃車となった505・511を除く全車の冷房化改造が、他形式に先駆けて完了した。なお、この改造に伴い、501 - 504・506のパンタグラフがA台車直上へ移設されており、冷房改造完了当時在籍の13両全車について、形状がほぼ統一された。 1999年(平成11年)から2001年(平成13年)にかけて、バリアフリーに可能な範囲で対応すべく、車内乗降口ステップ周辺の一部を切り欠いて1段ステップを増設する工事が行われ、乗降の容易化が図られた。また2006年(平成18年)頃には一部車両の前面右下に補助灯の取り付けがなされた。
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冷房化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/19 05:20 UTC 版)
1957年には、6421系ともども日本の私鉄電車における戦後初の冷房装置搭載改造が行われ、同年6月20日から運用を開始した。日本国有鉄道(国鉄)は鉄道省時代の1936年以来特急「燕」の食堂車など一部の優等客車に車軸駆動冷房システムを導入し、また1936・1937年の夏に南海鉄道(現・南海電気鉄道)が試験的な冷房電車を運行した例(南海2001形電車#冷房電車の項を参照)はあったものの、恒久的な形で編成全車の冷房サービスが行われるようになったのは、国鉄までも含めて日本では2250系・6421系が最初である。 電動車と付随車の2両で冷房ユニットを構成し、電動車から付随車に電源を供給した。冷房システム自体は大がかりなもので、戦前の国鉄優等客車に搭載され、戦後も進駐軍向け優等客車等で使用されていた、川崎重工業製KMシリーズの系譜に連なるKM-7集中冷房装置2基を付随車に搭載、自車の冷気送風はトイレのない側の車端部屋根上に設置された冷房機から行い、電動車に対してはトイレのある側の屋根上に設置された冷房装置から貫通路上に設置されたダクトを介して冷気を送風し、貫通路経由で暖まった空気を戻す手法である。このためモ2250形の両運転台車については前照灯が邪魔になり、屋上に飛び出したダクト箱前面に脱着式の前照灯を装備する奇異な形態となっている。
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冷房化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 17:00 UTC 版)
1970年に製造された試作冷房車5200系での成果をもとに、量産冷房車の新造と在来車の冷房改造を行うこととなった。2800系は特急専用車として最優先で冷房化改造が実施され、1971年と1972年の短期間で終了した。 冷房装置は5200系と同じ冷凍能力8,000kcal/hの東芝RPU-2202Aを4基搭載し、ダクトで冷風を送る集約分散方式を採用した。冷風の吹出口は最初の冷房化改造車のため試作要素が強く、3面構造(逆台形)の風洞となっており、以降の冷房改造車がすべて新造車両と同様の平天井となったのとは異なっている。 パンタグラフ2基搭載のMc車(2800形)では、搭載スペースの不足から3基搭載となった。冷房能力の不足はクロスシート車の混雑の限界に収まると見込んだが、万一を考慮してM車2830形にパンタグラフ1基を移設して母線で結ぶ事が可能なよう準備され、2830形の冷房搭載位置は京都方に偏っていた。結果的に冷房能力の不足が問題になることはなかった。
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冷房化
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「国鉄キハ58系気動車」の記事における「冷房化」の解説
国鉄の列車冷房は1960年代前半まで特急列車や一部の食堂車(ビュフェを含む)などの優等車両に限って装備されていたが、急行列車では1等車が1963年(昭和38年)から、2等車が1968年(昭和43年)から順次冷房化が実施された。 本系列では、1963・1964年に九州地区に配置されていたキロ28 26・53・54・62・65の5両に小倉工場(現・小倉総合車両センター)で45 PSのバス・トラック用直列4気筒ディーゼルエンジンにより直接圧縮機を駆動する方式のBAU102形冷房装置を床下に搭載する改造を施工し試験を行った。 本方式は改造コストが低いものの後に故障が多発するなどの諸問題が発生したため不採用となり、試験対象車両は1968年(昭和43年)に全車AU13形への取替えと4DQ電源装置搭載改造が施工された。 この結果、キロ28・58形の冷房改造は特急・急行形電車などと同様に三相交流電源による分散式冷房装置を屋根上搭載する方式を採用した。 このため大容量交流電源が必要となるが、気動車の走行用エンジンに付属するオルタネーター(発電機)は、機関始動・制御・保安・照明・放送などの電力量を確保する程度しか考慮されておらず、エンジン性能的にも大容量・高負荷の発電機を駆動する余力はない。 キロ26・27・28の非冷房車・冷房準備車は順次改造で、新製車は当初から、冷房装置と小型軽量の三菱日本重工製4DQ-11P形ディーゼルエンジンとDM72形発電機をセットで搭載し、自車1両分の冷房電源を確保した。 ただしキロ58形では冷房装置のみ搭載で発電装置の搭載は見送られた(詳細は後述)。 2等車では、本格冷房化改造を前にした1967年(昭和42年)から1968年(昭和43年)にかけて以下の簡易冷房化が山陰・四国地区配置のキハ58形で実施された。 通常20 m級車1両あたり5 - 6基、21 m車の本系列では7基の搭載を標準とするAU13形3基搭載とする。 電源はキロ28形の4DQ発電装置から給電されたが、電源容量が不足するため、キロ28形ではAU13形6基中2基を使用停止とした。 施工工場により冷房装置の位置が異なっており、637を除いた車両への通常冷房車化改造(3基→7基)では、後藤工場ではそのまま4基を追加する施工をしたが、多度津工場では通常の冷房改造車と同じ位置に搭載する施工をした。 キハ58形簡易冷房改造施工車一覧 キハ58車両番号 施工工場 備考 540・637667・669 後藤工場(現・後藤総合車両所) 637は試験終了後の通常冷房化改造未施工非冷房に戻され1992年に廃車 6・59・169・211229・576・577・772773・776・777 多度津工場 上述方式は実用に至らず、バス用小型エンジン直結型冷房も検討されたが、1969年(昭和44年)から実施された冷房化工事では1等車同様の方式となったが、以下の対応策が採られた。 4DQ発電装置では自車にしか給電できない上に、走行用エンジン2基搭載のキハ58・キロ58形では床下艤装に余裕がなく、4DQ発電装置の搭載ができない。このため最大3両分の供給が可能な4VK冷房用発電装置が開発され、本系列では走行用エンジン1基搭載のキハ28・キロ28に搭載する方針が採られた(詳細は後述)。 従来から冷房化されていたキロ28を含めた冷房車には冷房装置制御用のKE53形と電源供給用のKE8形ジャンパ連結器が増設された。 北海道用のキハ56・27には冷房化は施工されず、北海道旅客鉄道(JR北海道)への承継後にジョイフルトレイン化されたグループと、ごく一部が冷房化された程度である。 またキハ58・28形への冷房化改造工事は全車に行き渡らず、非冷房のまま廃車となった車両も東北地方を中心に多数存在する。 キハ58形冷房化改造未施工車 1・4・7・11・15・18・22・28・37・38・49・65・67・87・88・92・97 - 100・105・107・108・112・115・127・156 - 160・175・201・205・206・217・225・226・242・256・258・270 - 273・278 - 285・294・413・416 - 419・432・434 - 436・440 - 442・452 - 454・458 - 462・466・469・471・475・480・481・483 - 501・507・509・511 - 513・515・519 - 521・524 - 536・543 - 552・561・565 - 568・580 - 584・588・590・603・604・611・612・615・617・618・620・621・623・627・629 - 637・643・651・655・656・660 - 664・681・692 - 695・699・704・707 - 709・711・712・732・735・736・739 - 743・745 - 748・758・760 - 763・766・778 - 782・789・790・798・801 - 819・1000・1002・1011・1040・1124・1130・1501・1503・1504・1506 - 1516・1518 - 1526・1528 - 1531・1533・1534 キハ28形冷房化改造未施工車 2000番台改造未施工車一覧を参照。
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