冷房化とリニューアル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 18:13 UTC 版)
「京阪1900系電車」の記事における「冷房化とリニューアル」の解説
架線電圧昇圧後の1985年からは順次冷房化工事が施行された。この工事では重い冷房装置を屋根上に搭載する必要から車体の補強も実施されることとなり、構体を全面的に分解しての徹底的な補強・更新工事となった。 この工事では1810系編入の運転台付き車両は1914を除いて全車運転台を撤去して中間電動車に変更され、先頭車はバンパー付きの1900系新造車と入れ替えられた。編成数に対して運転台付き1900系新造車の車両数が不足したことから、旧1810系グループの1914は前照灯を移設してシールドビームを前面左右の窓上に埋め込み、先頭部でやや垂れ下がった独特の雨樋取り付け位置を変更して前頭部を張り上げ屋根化するなど、1900系新造車グループに準じた造形に修正、これにより1700系以来長らく続いた古風ながら印象的な前面デザインは失われた。なお、1914に埋め込まれたシールドビームは改造時他車と同じ丸形の生産が打ち切られており、廃車発生品もなかったことから角形となり、異彩を放っていた。 加えて、新造車グループについても貫通幌を撤去、正面貫通扉を2200系と同様に外開きの非常口へ変更し、方向幕と種別表示幕を取り付け、さらに標識灯が横並びの2灯式となって2分割されたバンパーの間に組み込まれるなど、本系列の外観イメージを極力崩さないように配慮しつつ、他の通勤車との仕様統一が図られている。 この工事で搭載された冷房装置は三菱電機CU-197で、これは6000系初期車の冷房出力強化による発生品を再利用したものである。ただし、同系列時代は1両あたり3基搭載であったものが4基搭載に強化されており、冷房能力に不足はない。この冷房化に伴い側窓の下段が固定され、保護棒が撤去されている。 また、この際に制御装置も1C8M方式のACF-H8108-569改に再改修・統一されて親子方式が解消されている。 冷房化当初は4両編成(3M1T)2本・5両編成(4M1T)6本・7両編成(5M2T)1本で計画されていた。このため、4両編成の大阪方先頭車であった1930と7両編成の4両ユニットの中間車であった1997はユニット中のパンダグラフを2個とするため車体更新に際してパンタグラフを撤去した。また、4両編成の京都方先頭車であった1929と7両編成の4両ユニットの京都方先頭車であった1913は1C4M方式の制御装置とされていた。その後、工事の途中で5両編成に統一されることになった。不足する電動車1両は中間付随車の1959を1800系からの発生品を用いて電装して充当した。前述の通り本車は旧1986であり、約20年ぶりの再電装となった。さらに5両編成への統一時に1913と1929は、他の京都方先頭車と同様に1C8M方式の制御装置に再改造されている。1930と1997へのパンタグラフの再搭載は行われていない。元両運転台車の1925は車体更新に際してパンタグラフを大阪方から京都方に移設している。これにより1930を除く1900形はパンタグラフが運転台寄りに統一された。 内装関係では登場以来のブラウンリネンをやめて、6000系以降で採用された白壁の化粧板にリニューアルされた。また、ドアが開く際の車内自動放送装置、車外ブザー兼放送装置も設置された。 なお、これらの一連の工事コストが会社側の予想を超えたことは、後に本系列より車齢が若い3000系の廃車を早める原因の一つとなった。一貫して特急車として使用され続け、先頭車の大部分は廃車後他社に車体が譲渡されたものの、車齢20年少々で8両を残して50両がそのまま廃車となった同系列と比較すると、結果的に特急運用から早々と撤退に追い込まれて準急・普通を中心に運用され続けた本系列の方が長寿を保ったことになる。
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