1700系
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1700系(1700けい)とは、1700の数値を使用するないしは4桁の数値の内上1桁目が「1」、2桁目が「7」を使用する体系を持つものを指す。
- 1 1700系とは
- 2 1700系の概要
1700系
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2008年(平成20年)12月27日のダイヤ改正から、2000系ミュースカイを除く全車特別車特急を廃止する計画に基づき、全車特別車編成であった1600系は一部特別車編成(特別車2両、一般車4両)へと改造・系列改訂された。3両編成に組成されていた1600系のうち、2008(平成20)年度中に豊橋方先頭車(ク1600形)4両を廃車とし、残った2両(モ1700形+サ1650形)×4本を改造のうえ1700系「特別車」として整備したものである。これに新造の「一般車」4両組成の2300系を加えた「一部特別車」の6両編成の総称を1700系という。 1600系はもともと7000系白帯車を置き換えることを目的として3両編成で製造された車両であるため、改造と組成変更にあたって余剰車の発生が避けられなかった。これにより、余剰となったク1600形4両は転用先や譲渡先が見つからなかったため、登場から9年で使命を終えた。ク1600形の台車や電動空気圧縮機、蓄電池などの一部の機器は新製された2300系転用され、モ1700形に設置されていた自動解結装置および操作盤はモ2300形に移設されている。また、常滑線・空港線で空港特急として2200系と1700系による新編成13本が出揃い、1200系系列が中部国際空港を発着する特急列車の任を解かれた。 方向転換により豊橋・中部国際空港方となった運転台付きの電動車モ1700形をもって新たに1700系の系列名が与えられたが、それに続く中間付随車は1650形のままで改造による改番などは行われておらず、1700系となった系列呼称との間で上2桁の番号のずれが生じている。この改造・改組によって、1000-1200系などと同様の上り方と下り方で前頭形状が異なる一部特別車編成が久々に登場することになった。なお、1600系時代は「パノラマSuper」の愛称が付けられていたが、1700系への改造と同時に愛称を外している。しかし2200系に愛称が設定されていないため新しく愛称は設定されることはなかった。 2019年(令和元年)度以降、本系列の置き換え用として新たな特別車である2200系30番台が製造され、組み換えが行われた。これに伴い、編成から外された本系列は順次廃車となった。2020年(令和2年)2月には、1703Fと1704F(1703-1653、1704-1654)が東名古屋港へ回送、のちに解体された。 残る2編成のうち、先行して1701F(1701-1651)が同年11月1日に運用を離脱した。1702F(1702-1652)は、翌2021年(令和3年)1月23日開催の引退記念撮影会(舞木検査場)の団体列車として運転。翌月の2月10日を以て運行を終了した。同年2月19日から22日に掛けて東名古屋港へ回送、のちに解体された。
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1700系
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画像提供依頼:車体更新前の写真の画像提供をお願いします。(2018年3月) 1700系電車は1956年(昭和31年)に日光線特急用の車両としてナニワ工機、日本車輌製造、汽車製造で製造され、同年4月1日にデビューした。最高許容速度145 km/h(運転最高速度は105 km/h)。75 kWモーターを各車に4基搭載、カルダン駆動の全電動車・MM'ユニット編成とした、東武初の量産型高性能車である。当初のモーター(TDK-823)や歯車比(5.27)は1720系とは異なり、台車もアルストム式軸箱支持のコイルばね台車であった。奇数車の妻面寄りにパンタグラフを装備した。 全金属車体で、車体寸法や窓配置、2両で片側3箇所となる客用扉なども5700系に準じ、5700系を近代化したような雰囲気の車体を有していた。1956年(昭和31年)導入のモハ1700形(8両)と、1957年(昭和32年)導入のモハ1710形(4両)に大別され、洋式便所の有無などの違いがある。 導入当時は5700系に準じた2両固定編成で、日光・鬼怒川方面への分割併合運用を前提として前面に貫通扉を持ち、その上に前照灯1灯を設けた。前面窓の上部には向かって左に種別・右に行き先を表示する方向幕が装備された。また偶数車の妻側にビュフェカウンターと売店を設置し、座席もリクライニングシートを採用した。 当時、東武日光線と競合する国鉄日光線に、当時としては強力な最新鋭気動車であったキハ44800形(後のキハ55系)気動車の投入が予想され(1956年〈昭和31年〉運転開始)、従来の5700系では所要時間で劣勢となるため、速度と車内設備の向上を図って導入されたものである。 1700形登場時は、5700系のうちカルダン駆動車である5720形(この当時の5720形は「白帯車」であった)と共に特急運用についていたが、翌年1710形を増備し、特急を1700系電車に統一した。同時に浅草駅 - 東武日光駅間無停車の「けごん」を運行し、国鉄側と本数の上でも対抗する形をとった。 しかし、国鉄側も日光線の電化により、151系電車並みの性能及び内装を持った準急用車両の製造が想定(実際に1959年〈昭和34年〉に157系電車として登場)されたことから、内装のさらなる向上及び速達化のために、早々に新形車である1720系電車が導入されることとなり、1700系は1720系の補完的な立場となった。引き続き1720系と併用して特急に使用されたが、速度・サービスに格差があるため、運用の固まった1969年(昭和44年)からは1700系で運用される列車は「B特急」として料金上の区分がなされるようになった。 1720系登場と前後して、1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)にかけて冷房装置を搭載(1720系とは異なり、箱形キセで1両当り5基)し、その後も側窓固定窓化、マジックドア設置、前照灯を窓下に2灯増設等の改造が複数回に亘り行われたが、これに伴う車体の傷みや、経年劣化に伴う故障の頻発が目立ち、また特急の車種統一の観点から1971年(昭和46年)12月12日にさよなら運転を行い、1720系と同等の車体へ更新改造が行われることとなった。更新はナニワ工機において1720系と同じ車体で6両固定編成となり、台車や主電動機、機器などを改造している。後に台車(コイルばね式)・モーターも1720系と同じものに交換したため外観・性能上もほとんど差はなくなった。 更新された1700系も、1991年(平成3年)までに全車運用を離脱し、200系への更新が行われた。
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