特急時代とは? わかりやすく解説

特急時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/03 04:56 UTC 版)

山陽電気鉄道820・850形電車」の記事における「特急時代」の解説

820形が5編成揃った直後1949年4月15日ダイヤ改正で、「旅はこれでこそ楽しい」というキャッチフレーズ掲げて兵庫 - 姫路間を途中長田明石飾磨の3駅に停車して所要時間75分、1時間ヘッドで走る特急の運転を開始した。全区間並走する日本国有鉄道国鉄山陽本線は、当時西明石以西非電化で、C53C59C62といった大型旅客用蒸気機関車長編成の客車牽引する列車ばかりだったので、煙が出ず、しかも当時スロ34形・オロ35形オロ41形といった国鉄二等車並み転換クロスシート装備しながら特別料金徴収しない820形は、その快適さ故にたちまち利用者人気博したこのため兵庫姫路両駅の特急専用ホームにはベンチ並べドアは1か所のみを開けてベンチの列の先頭から乗車するようにしたが、列車到着前から特急を待つ長い行列ができたという。また、この山陽電鉄攻勢脅威見て取った大阪鉄道管理局神戸 - 姫路間明石加古川のみ停車区間列車設定機関区がなく本来は折り返し想定していない設計神戸駅折り返しを行うため、列車を一旦は転車台設置され東灘まで回送し、牽引機をそこで転向して神戸まで再度回送するという無理を行って、本形式による特急対抗しようとした。もっとも、この時期国鉄山陽本線未だ電化区間姫路達しておらず、頻度所要時間などの利便性においても山陽電鉄後塵拝していた。国鉄側の劣勢山陽本線姫路電化完成し乗客煤煙から解放されるまで覆せなかった。 1951年9月発生した西代車庫火災では、820形826・827と新造間もない850形854・855の2編成焼失した好評ロマンスカー喪失・不足は営業深刻な問題であり、両編成とも最優先復旧策が講じられいずれも1952年までに川崎車輛850形当の新造車体を製造して復旧したこの際機器焼損していた826・827編成同じく焼失した700形712・713の主要機器から台車DT13S)・主電動機(MT40)・主制御器CS5)などを流用した上で運用充当された。 低出力主電動機搭載する820形では850形足並み揃えてスピードアップを行うことは困難なことから、700形投入後から実施されていた変電所容量増加橋梁強化工事完了した後、1954年から1956年にかけて、820形主電動機出力増強(93.3kW→110kW級)と歯車比変更実施して850形同一性能とした。

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特急時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 17:00 UTC 版)

阪急2800系電車」の記事における「特急時代」の解説

京都線看板車両として特急急行中心とした運用充当された。当初は6編成分が製造されたが、1966年追加で1編成製造された。2800系評判良く当初5両編成であった京都線特急8両編成にまで増結された。鉄道ファンの間では、特急標識板左右に掲げた2枚看板好評であった1971年11月28日梅田駅京都線ホーム移設完成合わせて京都線特急は再びスピードアップ行い梅田 - 河原町38分運転となった1972年10月には8両編成運転を開始1972年8月には全車冷房車となり、1973年3月には全編成が8両編成となった最盛期には1日900kmを超える運用存在した1971年京阪冷房カラーテレビ付き3000系初代)導入し日中以降15分ヘッド化、国鉄1972年より急行列車用の153系新快速転用日中15分間隔パターンダイヤ京阪間最速新幹線を除く)の29分運転を実現したこともあり、鉄道による京阪間移動需要は更に拡大し1975年から1978年にかけての6300系増備に伴い2800系3扉ロングシート化されて急行各駅停車用に格下げされた。2扉クロスシートとしての2800系運用は、1978年9月25日最後となった2800系京都線特急車としての運用長いものでも15年、短いものだと5年満たない短期間終了することとなった

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特急時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 15:47 UTC 版)

京阪1700系電車」の記事における「特急時代」の解説

本系列の第1陣1951年4月2日より営業運転開始し以後順次増備実施され従来1000系置き換えていった。 登場当時ヘッドマーク丸型であったが、1952年7月17日より鳩マーク変更。このマーク京阪線沿線所在する石清水八幡宮神勅使いとされるにちなむといわれている。ヘッドマーク懸賞公募され応募作からの選考によりこのデザイン決定された。 なお、第3次車4両については出場時に一時的に車体形式表示簡略化した特殊な表記採用した。たとえば、1709号車だと「7-9」といった具合である。この試み長続きせず、約1年後通常の表記戻されている。1953年8月には1800系登場し、この時より同系と、また、のちには1810系とも混成されるようになり、左右非対称であった標識灯左右とも腰板部に設置するように改められている。

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