川崎車両
川崎車輌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/29 08:38 UTC 版)
「ボールドウィンA形台車」の記事における「川崎車輌」の解説
川崎車輌は、その前身である川崎造船所兵庫工場の時代から、BLW社の原設計に忠実な半月形の釣り合い梁を備える台車を各社に供給していた。その一方で、住友と共に戦前期から鋳鋼製台車枠の製造に取り組むなど、新技術の導入に積極的であったことでも知られている。また、会社としてこれらのボールドウィン系台車に対して原則的に独自の形式呼称を与えていなかったことでも知られており、同社が各私鉄に供給した同系台車はいずれもそれぞれの納入先が独自の基準に従って付した形式名で呼ばれている。 川崎3450:目黒蒲田電鉄および東横電鉄モハ510形用として製造されたBW 78-25A相当品。44両分が量産された。なお、形式は東急成立後の社内呼称である。 K-3:帝都電鉄モハ100形電車用として製造。形式は合併後の京王帝都電鉄で与えられた社内呼称である。ボールドウィンAA形の設計を基本に台車枠本体を一体鋳鋼製品で置き換えたものである。 KO形:上毛電気鉄道の新規開業に備えて製造された、デハ100型用として1928年に納入。本形式は例外的に固有の形式名を与えられているが、その名は川崎の社名と、設計者で当時技師長を務めていた岡村馨のそれぞれのイニシャルから採られた。初期のボールドウィンA形台車の設計に忠実に従う半月形の釣り合い梁と複列の釣り合いばねを備えつつ、新造時より枕ばねを重ね板ばねに代えてコイルばねとし、さらに軸受をローラーベアリングとした、当時としては画期的な設計の台車であった。上毛電気鉄道以外への同系台車の納入例としては、1929年3月に竣工した吉野鉄道モハ201形電車201 - 206・サハ301形301 - 314用が存在した。もっとも、こちらは半月形の釣り合い梁を備え、枕ばねをコイルばねとした点や複列釣り合いばねを採用していた点などでは上毛向けと共通していたが軸受は平軸受で、さらに軌道への不適合により比較的短期間の間に通常の重ね板ばねを枕ばねとし、釣り合いばねと釣り合い梁もそれぞれ単列形とDepressed形に改造されている。 BW-6・6A:山陽電気鉄道270形電車用として製造。形式はボールドウィン系の釣り合い梁式台車の6番目の形式であることを示す山陽での社内呼称である。中でもBW-6Aは本形式を基本とする日本製模倣品としては恐らく最後の新造品と見られ、軸距が2,200mmと大型化されたほか、枕ばねがコイルばね+オイルダンパ構成となっており、近代化が図られていた。
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