国鉄8620形蒸気機関車とは? わかりやすく解説

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国鉄8620形蒸気機関車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 21:11 UTC 版)

8620形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が導入した、旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車である。


鉄道省

8620形製造一覧[89]
(上段:番号 下段()内:メーカー製造番号)
年度 汽車製造 日立製作所 川崎造船所 日本車輌 三菱造船所 合計
番号 両数
1914年度 8620-8672
(119-177)
8620-8672 53両
1915年度 8673-8695
(178-200)
8673-8695 23両
1916年度 8696-8699
18620-18652
(201-237)
8696-8699
18620-18652
37両
1917年度 18653-18687
(238-279)
18653-18687 35両
1918年度 18688-18699
28620
(317-329)
18688-18699
28620
13両
1919年度 28621-28681
(330-356,378-411)
28621-28681 61両
1920年度 28682-28699
38600-38648
(412-473)
38649-38660
(1-12)
38661-38678
(628-645)
28682-28699
38620-38678
77両
1921年度 48637-48686, 48697-48699
58620-58622
(516-576)
48627-48636, 48687-48696
58629-58634
(17-42)
38679-38699
48620-48626
(646-673)
38679-38699
48620-48699
58620-58622,58629-58634
110両
1922年度 58660-58699
68620-68621
(605-652)
58635-58659
68650-68654
(43-72)
68622-68639
(872-889)
58623-58628
68640-68649, 68655-68660,
(54-59, 65-80)
58623-58628, 58635-58699
68620-68660
112両
1923年度 68661-68670, 68681-68699
(73-90, 98-113)
68671-68680
78620-78623
(87-94, 107-112)
68661-68699
78620-78623
43両
1924年度 78670-78673, 78687-78692
(808-817)
78640-78659
(114-124, 136-144)
78625-78636[表注 1], 78674-78682
(986-990, 995-999, 1010-1011, 1032-1040)
78624, 78663-78669[表注 2]
(113,125-130, 132)
78637-78639, 78660-78662
(3-8)
78624-78682, 78687-78692 65両
1925年度 88620-88626
(859-865)
78694-78699
88638-88639
(156-160, 174, 187-188)
78683-78686,78693
88627-88632
(133-137, 142-143, 146-147, 152-153)
88633-88637
(11-15)
78683-78686, 78693-78699
88620-88639
31両
1926年度 88640-88649
(189-198)
88640-88649 10両
1927年度 0両
1928年度 0両
1929年度 88650-88651
(331-332)
88650 - 88651 2両
384両 137両 85両[表注 3] 55両[表注 4] 11両 8620-88651 672両
  1. ^ 『機関車表』 p.1212では78635-78636号機は日本車輌発注で製造番号112-113予定であった機体が、川崎造船に振替えられ製造番号1010-1011となったものとしている[90]一方、『機関車の系譜図 4』 p.498ではこの2両を日本車輌製としている[1]
  2. ^ 『機関車の系譜図 4』 p.498では78635-78636号機を日本車輌製としている[1]
  3. ^ 『機関車の系譜図 4』 p.498では83両としている。[1]
  4. ^ 『機関車の系譜図 4』 p.498では57両としている。[1]

樺太庁鉄道8620形

8620形発注年度別製造両数一覧[12]
年度 汽車製造 日立製作所 川崎造船所 日本車輌 三菱造船所 合計
1913年度 12両 12両
1914年度 40両 40両
1915年度 36両 36両
1916年度 30両 30両
1917年度 30両 30両
1918年度 16両 16両
1919年度 63両 63両
1920年度 42両 12両 46両 100両
1921年度 56両 51両 6両 113両
1922年度 42両 5両 18両 16両 81両
1923年度 29両 15両 44両
1924年度 10両 20両 21両 11両 6両 68両
1925年度 7両 18両 7両 5両 37両
1926年度 0両
1927年度 0両
1928年度 2両 2両
384両 137両 85両[表注 1] 55両[表注 2] 11両 672両
  1. ^ 『機関車の系譜図 4』 p.498では川崎造船所の総製造両数を83両としている。[1]
  2. ^ 『機関車の系譜図 4』 p.498では日本車輌の総製造両数を57両としている。[1]

台湾総督府鉄道E500形

8620形番号別設計変更一覧[25]
番号 発注年度 運転室形状 煙突・煙室 先台車 過熱器ダンパー ブレーキ装置 歩み板形状 砂撒装置 連結器 炭水車 両数
8620-8643 1913年度以降 側面裾部形状:S字形
後部妻板:無
煙突:内径406 mm
排気ノズル高さ:高[表注 1]
先輪軸箱:復元装置無 真空ブレーキ 段差無 重力式 ねじ式連結器 2670英ガロン形 24両
8644-8699
18620-18627
1914年度以降 側面裾部形状:乙字形
後部妻板:有
煙突:内径457 mm
排気ノズル高さ:低
455 ft3 64両
18628-18687 1916年度以降 先輪軸箱:復元装置有 60両
18688-18699
28620-28699
38620-38699
48620-48699
58620-58699
68620-68660
1918年度以降 無(1922年6月以降) 455 ft3・石炭6 t形 372両
68661-68699
78620-78669
1923年度以降 空気ブレーキ 2段形 89両
78670-78693 1924年度以降 空気式 24両
78694-78699
88620-88652
1925年度以降 自動連結器 39両
  1. ^ 8672号機までとする文献もある[26][27]

北海道拓殖鉄道8620形

樺太庁鉄道8620形製造一覧[91]
(上段:番号 下段()内:メーカー製造番号)
汽車製造 日立製作所 川崎造船所 日本車輌 三菱造船所 合計
番号 両数
1922年 8620-8621[表注 1]
(590-591)
8620-8621 2両
1923年 8622-8623[表注 2]
(739-740)
8622-8623 2両
1924年 0両
1925年 0両
1926年 0両
1927年 0両
1928年 88620-88625→改番8624-8629[表注 3]
(314 - 319)
88620-88625→改番8624-8629 6両
1929年 88630→改番8634[表注 4]
(1103)
88626-88629→改番8630-8633[表注 5]
(349-352)
88626-88630→改番8630-8634 5両
合計 5両 10両 0両 0両 0両 8620-8623
88620-88625→改番8624-8629
88620-88630→改番8630-8634[表注 6]
15両
  1. ^ 鉄道省88652-88653
  2. ^ 鉄道省88654-88655
  3. ^ 鉄道省88656-88661
  4. ^ 鉄道省88666
  5. ^ 鉄道省88662-88665
  6. ^ 鉄道省88652-88666
樺太庁鉄道8620形番号別設計変更一覧[92]
番号 発注年度 運転室形状 煙突・煙室 先台車 ブレーキ装置 歩み板形状 砂撒装置 連結器 炭水車 両数
8620-8621[表注 1] 1923年 側面裾部形状:乙字形
通常型[表注 2]
煙突:内径457 mm
排気ノズル高さ:低
先輪軸箱:復元装置有 真空ブレーキ 段差無 重力式 自動連結器 455 ft3・石炭6 t形 2両
8622-8623[表注 3]
1923年 2両
88620-88625→改番8624-8629[表注 4] 1928年 側面裾部形状:乙字形
耐寒密閉型
2段形 6両
88626-88629→改番8630-8633[表注 5] 1929年 4両
8630→改番8634[表注 6] 段差無 1両
  1. ^ 鉄道省88652-88653
  2. ^ 後に耐寒密閉型に改造
  3. ^ 鉄道省88654-88655
  4. ^ 鉄道省88656-88661
  5. ^ 鉄道省88662-88665
  6. ^ 鉄道省88666
台湾総督府鉄道E500形製造一覧[96]
(上段:番号 下段()内:メーカー製造番号)
汽車製造 日立製作所 川崎造船所 日本車輌 三菱造船所 合計
番号 両数
1919年 500-501[表注 1]
(357-358)
500-501 2両
1920年 502-516[表注 2]
(417-419, 449-456, 465-468)
502-516 15両
1921年 517-524[表注 3]
(512-515, 545-548)
517-524 8両
1922年 525[表注 4]
(583)
525 1両
1923年 526[表注 5]
(871)
526 1両
1924年 527-530[表注 6]
(735-738)
527-530 4両
1925年 531-533[表注 7]
(1072-1074)
531-533 3両
1926年 534-536[表注 8]
(894-896)
534-536 3両
1927年 537[表注 9]
(240)
538-540[表注 10]
(182-184)
537-540 4両
1928年 541-542[表注 11]
(54-55)
541-542 2両
33両 1両 4両 3両 2両 500-542 43両
  1. ^ 台湾鉄路管理局CT151-CT152
  2. ^ 台湾鉄路管理局CT153-CT167
  3. ^ 台湾鉄路管理局CT168-CT175
  4. ^ 台湾鉄路管理局CT176
  5. ^ 台湾鉄路管理局CT177
  6. ^ 台湾鉄路管理局CT178-CT181
  7. ^ 台湾鉄路管理局CT182-CT184
  8. ^ 台湾鉄路管理局CT185-CT187
  9. ^ 台湾鉄路管理局CT188
  10. ^ 台湾鉄路管理局CT189-CT191
  11. ^ 台湾鉄路管理局CT192-CT193
北海道拓殖鉄道8620形製造一覧[97]
(上段:番号 下段()内:メーカー製造番号)
年度 汽車製造 日立製作所 川崎造船所 日本車輌 三菱造船所 合計
番号 両数
1928年度 8621-8622
(1023-1024)
8621-8622 2両
2両[表注 1] 0両 0両 0両 0両 8621-8622 2両
  1. ^ 1928年9月製造、1929年1月25日竣工。[1]

注釈

  1. ^ 1931年形式図で修正後の値[1]、以前の値は46.75 t/43.28 t(『8620形機関車明細図』 p.5の諸元表の値[2]
  2. ^ 1931年形式図で修正後の値[1]、以前の値は39.75 t(『8620形機関車明細図』 p.5の諸元表の値[2]
  3. ^ 1931年形式図で修正でも変更なし[2]
  4. ^ 1931年形式図で修正後の値[1]、以前の値は81.25 t/58.78 t(『8620形機関車明細図』 p.5の諸元表の値[2]
  5. ^ 『8620形機関車明細図』 p.5の諸元表では12.7 kg/cm2[2]
  6. ^ 『8620形機関車明細図』 p.5の諸元表では116.0 m2[2]
  7. ^ 『8620形機関車明細図』 p.5の諸元表では27.6 m2[2]
  8. ^ 『8620形機関車明細図』 p.5の諸元表では12.9 m3[2]
  9. ^ 『8620形機関車明細図』 p.5の諸元表では88.4 m2[2]
  10. ^ 『8620形機関車明細図』 p.5の諸元表では78.3 m2[2]
  11. ^ 一等車二等車のみ編成され、最後部には展望車を連結しており、関釜連絡船を介して中国・欧州などへの国際連絡運輸の一部となる「大陸連絡列車」とされていた。
  12. ^ 1919年に日本汽船笠戸造船所として操業を開始し、1921年にこれを日立製作所が取得した。
  13. ^ 1917年に三菱合資会社から造船事業を引継いだ三菱造船が設立され、その後1934年4月に社名を変更して三菱重工業となる。
  14. ^ 揮発性成分は不完全燃焼を起こしやすく、完全燃焼させるためには火室内での滞留時間を長くする必要があるとされている3[18]
  15. ^ Schmidt’sche Heißdampf-Gesellschaft m.b.H., Kassel-Wilhelmshöhe、ヴィルヘルム・シュミットドイツ語版(1858年 - 1924年)によって1910年7月10日に設立された。
  16. ^ 約0.3とする案もあったが、伝熱面積の減少などの理由により0.264に留まった[23]。また、8800形や8850形においてもボイラーの大煙管を増やす改造を実施している[22]。なお、過熱面積/全蒸発面積比はその後も増大し、燃焼室付ボイラーのD52形では0.46とすることで過熱蒸気温度は平均368.5 °Cに達し、0.53としたE10形では瞬間値で400 °Cを超えるに至っている[24]
  17. ^ それぞれ1600 mm(5 fi 3 in)、第1 - 第2動輪間1767 mmおよび第2 - 第3動輪間2286 mm(6 ft 3 inおよび7 ft 6 in)、470 × 610 mm(18-1/2 × 24 in)、191 mm(7-1/2 in)、432 mm(17 in)、1683 mm(5 fi 6-1/2 in)
  18. ^ 鉄道省ではボイラー圧力の85 %としていたが、例えばドイツの機関車メーカーでは50 - 65%で設定している[31]
  19. ^ 実測では乾燥状態・砂撒なしで0.25 - 0.30であるが、粘着牽引力には走行装置の機械抵抗が含まれていない一方で、実用上は機械損失を見込んだ動輪周上牽引力との比較等で使用するため、便宜上機械抵抗を見込むことも考慮した係数として0.25に設定している[5]
  20. ^ 旅客用のC51・C54C55C57C59形では3.2 - 3.8[36]、ローカル用のC10C11C12形では3.4 - 3.9[37]となっている。
  21. ^ 指標としてのシリンダー牽引力は91.2 kNであるが実際の静止時の最大シリンダー引張力(計算値)は101.9 kN、粘着牽引力(粘着係数0.25時、乾燥・砂撒無時に相当)は101.6 kN
  22. ^ 高い粘着力は過荷重などで牽き出しできない場合、重要部品のコネクションロッド折損招因リスクがある。ある程度の空転許容は蒸気機関車を含むあらゆる動力車で機構の大規模破壊を回避する有効手段であり[要出典]、本形式でその面の配慮が薄かったことは否定できないが、8620形にコネクションロッドが折れやすかったという評価は伺われない。これより後の国鉄制式蒸気機関車の多くは、出力は増加した一方で粘着力(軸重)はほぼそのままであったことによって粘着力が低下し、乗務員の技量での対処が必要であった[38]もっとも花輪線のように軽荷でも三重連の運転をする[39]など運用面で一定以上の配慮があり、これをもってコネクションロッドが折れやすくないと判断するのは早計である[要出典](本形式の牽引定数は10パーミル勾配において客車列車350 t(30 km/h)、25パーミル勾配において旅客列車180 t(18 km/h)であり[40]、花輪線の33.3‰区間では三重連で330 tを牽引していた。)。反面、シリンダー力が小さいと空転しないが勾配で自然停止してしまう欠点があった。そのため8620以降の国鉄制式蒸気機関車は、撒砂などで対応ができる空転を許容することでシリンダ力を増大させ、勾配で止まらないようになった[41]。なお、8620は粘着力(軸重)が第2動輪で14.4tに達しており普及した丙線の軸重を超過していた
  23. ^ Krauss-Helmholtz-Lenkgestellおよびcarrello zara、日本においては同様の台車で、先輪だけでなく動輪も(横動ではなく)転向するジャワ式台車(Java-Drehgestell)がED54形電気機関車に採用されている。
  24. ^ 8620形式開発当初においては、この両形式の先台車技術の特許権は有効であったため、使用料支払いを回避するには別構造を採らざるを得ない。[要出典]
  25. ^ 後継形式のC50形は、島式先台車の代わりに1軸先台車としては同形式のみの採用となるエコノミー式先台車としたが、この方式は曲線通過性能が低く、運用側に不評であり、旧式な8620形の方が長く使用された。
  26. ^ 乙種は制輪子に制輪子ホルダーが付き、そこに制輪子を取付ける。
  27. ^ Westinghouse Air Brake Company, Pittsburgh(WABCO)
  28. ^ 運転室側面下部の形状に関し、臼井重信、高木宏之、金田茂裕は8620-8643号機がS字形、8644号機以降が乙字形としている[61][26][27][25]一方で、川上幸義、浅原信彦は8620-8672号機がS字形、8673号機以降が乙字形としている[62]
  29. ^ 本形式の後継であるC50形も真空ブレーキ装備であったが、D50形(9600形同形機)は空気ブレーキを装備している。
  30. ^ 1928年12月15日新得 -鹿追間21.0 km、1929年11月26日に鹿追 - 中音更間23.7 km、1931年11月15日に中音更 - 上士幌間9.6 kmがそれぞれ開業している。
  31. ^ 所要時間往路約200分、復路約210分、列車重量435 - 445 t、御殿場越えは補機として往路は9750形、復路は9850形を使用。
  32. ^ 製造後は東部鉄道管理局の配置となり、その後平機関区や弘前運転区に所属していた。1955年時点では運転室下部形状のS字形で煙突はパイプ煙突という形態であったが、1965年時点では運転室下部が乙字形で煙突は化粧煙突で、炭水車も455 ft3形の石炭搭載量6 tタイプへ変更されており[116]、さらに最終期の弘前運転区で入換用に使用されていた際には廃車となった78627号機の門鉄デフを転用して装備していたこともある。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『機関車の系譜図 4』 p.498
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 『8620形機関車明細図』 p.5
  3. ^ 『追憶の蒸気機関車』[要文献特定詳細情報][要ページ番号]
  4. ^ a b c 『新訂増補 機関車の構造及理論 下巻』 p.162
  5. ^ a b c 『新訂増補 機関車の構造及理論 下巻』 p.245
  6. ^ a b 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.226
  7. ^ a b c d e f g 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.178
  8. ^ a b c d e f g 『機関車の系譜図 4』 p.492
  9. ^ a b c 『国鉄蒸気機関車史』 p.26
  10. ^ 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.163
  11. ^ a b 『国鉄蒸気機関車史』 p.23
  12. ^ a b 『国鉄蒸気機関車史』 p.32
  13. ^ 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.70
  14. ^ 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.71
  15. ^ a b c d e f g h 『国鉄蒸気機関車史』 p.28
  16. ^ 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.285
  17. ^ 『8620形機関車明細図』 p.15
  18. ^ 『国鉄蒸気機関車史』 p.144
  19. ^ 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.304-306
  20. ^ a b c 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.293-294
  21. ^ 『国鉄蒸気機関車史』 p.27
  22. ^ a b c d 『国鉄蒸気機関車史』 p.29
  23. ^ a b c 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.294
  24. ^ 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.294-297
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