国鉄8800形蒸気機関車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/20 13:16 UTC 版)
8800形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が輸入した、幹線旅客列車牽引用のテンダー式蒸気機関車である。1912年6月に運行が開始された日本初の「特別急行列車」を牽引した機関車の1機種である。
8800形製造一覧[19] (上段:番号 下段()内:メーカー製造番号) | |||
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製造年 | ベルリン機械製造 | 合計 | |
番号 | 両数 | ||
1911年[表注 1] | 8800-8811 (4694 - 4705) | 8880-8811 | 12両 |
計 | 12両 | 8800-8811 | 12両 |
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8700 - 8900形の1912年新製配置一覧 | ||||||
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形式 | 北海道鉄道管理局 (北海道) | 東部鉄道管理局 (東北本線ほか) | 中部鉄道管理局 (東海道本線[表注 1]ほか) | 西部鉄道管理局 (東海道・山陽本線[表注 2]ほか、四国) | 九州鉄道管理局 (九州) | 合計 |
8700形 | 8700 - 8711(12両) | 8700 - 8711(12両)[表注 3] | ||||
8800形 | 8800 - 8811(12両) | 8800 - 8811(12両) | ||||
8850形 | 8859 - 8861(3両) | 8850 - 8858(9両) | 8850 - 8861(12両) | |||
8900形 | 8900 - 8911 8929 - 8935(19両) | 8912 - 8928(17両) | 8900 - 8935(36両)[表注 4] | |||
注釈
- ^ Berliner Maschinenbau-Actien-Gesellschaft vormals, Berlin、通称Schwarzkopff、1852年にルイス・ヴィクトル・ロベルト・シュヴァルツコップ(Louis Victor Robert Schwartzkopff)によりL. シュヴァルツコップ鋳物・機械工場として設立。1870年の株式会社化によりベルリン機械製造に改称しているが製造銘版に旧名が併記されている[1]。日本向けには本形式のほか鉄道院のB6形394 - 406号機(後の2400 - 2411号機)、近江鉄道の乙型8、9号機、陸軍鉄道連隊のA/B形のうち34組を製造している[2]ほか、帝国海軍が1883年にシュワルツコフ魚雷を購入して以降、兵器類も輸入している[1]。
- ^ 当時の日本は日露戦争に勝利し、国際的地位は上がっていたが、極東に位置することが貿易を振興し国内産業の振興を図るには大きな障害となっており、日本を諸外国に直接見てもらい、理解を深めてもらうための外客誘致は国家的課題となっていた[5]
- ^ それぞれ牽引定数220 tおよび250 t前後であった。
- ^ Borsig GmbH, Berlin
- ^ American Locomotive Company, New York
- ^ North British Locomotive Company Limited, Springburn, Glasgow
- ^ 8800形が27,178円、8850形が27,387円であったのに対し、8700形は33,363円、8900形は35,844 - 37,137円であった[11]。
- ^ 『鉄道技術発達史 第4篇』では”応じることができなかった”理由についての記載はない。なお、イギリスでは1906年にG. J. チャーチォーズなどが独自方式の過熱装置を開発し、ノース・ブリティッシュでも1910年より過熱式蒸気機関車を製造している[13]。また、アメリカにはシュミット式の過熱器の特許を利用するための会社があり、シュミット式過熱器の装備に問題はなかった[14]一方で、イギリスにおいても1908年にシュミットの英国法人が設立されている[15]。
- ^ 8850形は折返し部が鍛造となっており、日本においてはシュミット過熱器それ自身は特許とはならなかったが、この過熱管の折返し部の鍛造部分が特許となっていた。そのためこの特許の使用権を保有していなかった汽車製造が当初8620形などを製造した際には本形式と同様の鋳鋼製キャップが用いられている。
- ^ Schmidt’sche Heißdampf-Gesellschaft m.b.H., Kassel-Wilhelmshöhe、ヴィルヘルム・シュミットによって1910年7月10日に設立された。
- ^ 8850形ではこの改造は1916年から実施されている[26]ほか、9600形でも9658号機以降は大煙管本数を増やしてこの値を0.264としており[23]、過熱面積/全蒸発面積比はその後も増大し、燃焼室付ボイラーのD52形では0.46となって過熱蒸気温度は平均368.5 °Cに達し、0.53のE10形では瞬間値で400 °Cを超えるに至っている[27]。
- ^ 8700形は4115 mm(13 ft 6 in)、8850形は3658 mm(12 ft)。
- ^ 8700形は7468 mm(24 ft 6 in)、8850形は7925 mm(26 ft)。
- ^ 470 × 610 mm(18-1/2 × 24 in)、191 mm(7-1/2 in)、432 mm(17 in)、1683 mm(5 fi 6-1/2 in)
- ^ 乙種は制輪子に制輪子ホルダーが付き、そこに制輪子を取付ける。
- ^ Westinghouse Air Brake Company, Pittsburgh(WABCO)
- ^ 後のC51形やD50形が1927年度発注分より電気照明となっているが[33]、国有化以前の山陽鉄道が1902年から電灯式の前照灯を装備している[34]などの例もあり、本形式や8850形の一部は制式化以前から発電機と電気式前照灯が装備されている。
出典
- ^ a b 『機関車の系譜図 2』 p.231
- ^ 『機関車表』 p.20911-20921
- ^ 『国鉄蒸気機関車史』 p.10
- ^ a b 『機関車の系譜図 4』 p.458
- ^ 川上1981 p.197
- ^ 『国鉄蒸気機関車史』 p.10-11
- ^ 『機関車の系譜図 4』 p.458-459
- ^ a b c 『国鉄蒸気機関車史』 p.12-13
- ^ 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.26
- ^ 『国鉄蒸気機関車史』 p.11
- ^ a b c d e f 『機関車の系譜図 4』 p.464
- ^ a b c 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.180
- ^ 『国鉄蒸気機関車史』 p.14
- ^ a b 『機関車の系譜図 4』 p.461
- ^ 『国鉄蒸気機関車史』 p.15
- ^ a b 『国鉄蒸気機関車史』 p.28
- ^ a b 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.160-161
- ^ a b c 『形式別 国鉄の蒸気機関車IV』 p.401
- ^ a b c d e f g h 『機関車表』 p.1236-1238
- ^ 『国鉄蒸気機関車史』 p.12
- ^ a b 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.79
- ^ a b 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.293-294
- ^ a b 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.294
- ^ 『国鉄蒸気機関車史』 p.29
- ^ 『形式別 国鉄の蒸気機関車IV』 p.401-402
- ^ 『形式別 国鉄の蒸気機関車IV』 p.406
- ^ 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.294-297
- ^ 『機関車の系譜図 4』 p.492
- ^ 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.421
- ^ 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.106
- ^ 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.115
- ^ 『機関車の系譜図 4』 p.496
- ^ 『国鉄蒸気機関車史』 p.47, 59
- ^ 臼井茂信 『機関車の系譜図 1』1973年, p.146
- ^ 高木宏之「国鉄形蒸気機関車の系譜」プレス・アイゼンバーン『Rail』No.31 1996年1月1日発行 pp.55
- ^ 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.96
- ^ 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.99
- ^ 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.99-100
- ^ 『鉄道技術発達史 第4篇』 p.101
- ^ 『機関車の系譜図 4』 p.460
- ^ 『鉄道技術発達史 第5篇』 p.116
- ^ “編集長敬白 おかげさまで200巻! 『日本の展望客車』(上)完成”. NEKO PUBLISHING (2016年3月18日). 2020年5月1日閲覧。
- 1 国鉄8800形蒸気機関車とは
- 2 国鉄8800形蒸気機関車の概要
- 3 概要
- 4 運行
- 5 脚注
固有名詞の分類
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