台湾総督府鉄道とは? わかりやすく解説

台湾総督府鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/15 04:17 UTC 版)

台湾総督府鉄道
1940年代の鉄道部建物
基本情報
日本
所在地 台湾
開業 1895年(明治28年)6月10日
廃止 1945年(昭和20年)10月25日
中華民国台湾省行政長官公署に移管
所有者 台湾総督府
詳細情報
路線図

1926年の路線図
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台湾総督府鉄道(たいわんそうとくふてつどう、旧字体臺灣總督府鐵道󠄁)は日本統治時代台湾総督府が経営した鉄道である。

台湾総督府鉄道の営業収入の過半は、鉄道貨物輸送によるものであった。主要貨物は、砂糖、米、石炭、木材、肥料の5品目であり、1913年(大正2年)では貨物総輸送量の50パーセントを占めた。とりわけ砂糖(15パーセント)、米(11パーセント)、石炭(11パーセント)が三大貨物であった。台湾総督府鉄道は、貨物運賃政策によりこれらの貨物の吸収に努めた。砂糖、米、石炭、食塩、肥料等は総督府の産業育成策あるいは殖産興業政策に呼応し、当初の運賃の半額になった。この低運賃政策は、土着の輸送業を破壊しつつ、鉄道への吸貨を促進した[1]

交通局鉄道部の他にも、営林所による阿里山線(現在の阿里山森林鉄路)や製糖会社の専用鉄道私鉄線なども存在していた。

台湾島内の旅客輸送も担い、1908年(明治41年)に縦貫線が全通した後は、長時間乗車する利用者向けに駅弁も販売されるようになった[2]

歴史

日清戦争の結果、日本が台湾を占領すると、清国が建設・運営していた全台鉄路商務総局鉄道を接収し、日本軍の軍用列車が運転を開始した。

1895年(明治28年)8月、台湾総督樺山資紀は台湾を南北に縦貫する322キロメートルの鉄道の建設を政府に働きかけた。まず民間が反応し、渡辺甚吉、横山孫一、大倉喜八郎らが引き受けようとしたが成功しなかった。つづいて、岡部長職安場保和が1896年(明治29年)5月に台湾鉄道会社を発起し、南北縦貫鉄道建設を請願し、政府もこれを許可したが、株式募集は進展しなかった。

総督府の後藤新平民政長官は、鉄道建設が民間会社では不可能と認識し、1899年(明治32年)3月、「台湾事業公債法」(法律第75号)を発布して、鉄道敷設のための公債を募集するとともに、10か年2,880万円の鉄道国有計画として確定した。ただちに既設線(基隆-新竹)の改良と建設工事(新竹-高雄)が始まり、1908年(明治41年)に基隆-高雄間(404.2キロメートル)で全通した。台湾総督府鉄道の営業収支は、当初10年間の赤字が予想されたが、実際には1899年(明治32年)から3年間にとどまった。以後は大幅な黒字を計上し、台湾総督府の歳入の10-20パーセントを占めた。1899年(明治32年)には、総督府の交通局に鉄道部が設けられ、鉄道経営の基礎が確立された。また台湾島東部にも台東線を敷設し、台湾の近代化と地域開発の原動力となった。

年表

大正期の職員証

総督府交通局鉄道部組織

国定古蹟に指定された鉄道部庁舎
1920年代の総督府交通局鉄道部

1939年(昭和14年)時点

  • 鉄道部
    • 庶務課
    • 経理課
    • 運輸課
    • 運転課
    • 工務課
    • 工作課
    • 建設改良課
    • 自動車課
    • 監督課
  • 花蓮港鉄道出張所
  • 台北鉄道工場
  • 高雄鉄道工場
    • 鉄道現業員教習所

組織の長

  • 陸軍臨時台湾鉄道隊
    • 山根武亮:1895年(明治28年)6月10日 - 1897年(明治30年)3月31日
  • 台湾総督府鉄道部
    • 後藤新平:1899年(明治32年)11月8日 - 1906年(明治39年)11月13日 ※民政長官が兼務[3]
    • 長谷川謹介:1906年(明治39年)11月13日 - 1908年(明治41年)12月5日[4]
    • 大島久満次:1908年(明治41年)12月5日 - 1910年(明治43年)7月27日 ※民政長官が兼務[5]
    • 宮尾舜治:1910年(明治43年)7月27日 - 1910年(明治43年)8月28日 ※殖産局長が事務取扱[6]
    • 内田嘉吉:1910年(明治43年)8月28日 - 1915年(大正4年)10月20日 ※民政長官が兼務[7]
    • 下村宏:1915年(大正4年)10月20日 - 1919年(大正8年)3月10日 ※民政長官が兼務[8]
    • 新元鹿之助:1919年(大正8年)3月10日 - 1924年(大正13年)12月28日[9]
  • 台湾総督府交通局鉄道部
    • 白勢黎吉:1924年(大正13年)12月25日 - 1932年(昭和7年)3月15日 ※交通局総長が兼務[10]
    • 堀田鼎:1932年(昭和7年)3月15日 - 1936年(昭和11年)10月16日 ※交通局総長が兼務[11]
    • 泊武治:1936年(昭和11年)10月16日 - 1938年(昭和13年)5月31日 ※交通局総長が兼務[12]  
    • 渡部慶之進:1938年(昭和13年)5月31日 - 1940年(昭和15年)7月8日[13]
    • 石川定俊:1940年(昭和15年)7月8日 - 1942年(昭和17年)7月3日[14]
    • 満尾君亮:1942年(昭和17年)7月3日 - 1944年(昭和19年)8月16日[15]
    • 武部英治:1944年(昭和19年)8月16日 - 1945年(昭和20年)10月25日[16]

路線

1928年昭和3年)に台湾総督府交通局が『台湾日日新報』に掲載した観光地図。台湾総督府鉄道沿線の主要な都市や町の位置および台湾八景と十二名勝が註記されている。

1939年(昭和14年)時点

未成線

私鉄

1939年(昭和14年)時点

上記は台湾光復後に中華民国政府が接収し、台湾糖業鉄道に統合された。

旧庁舎

2010年国定古蹟に指定され、修復作業が行われ、2020年7月から庁舎および附属の建物が台湾博物館鉄道部園区として公開されている。台湾映画『牯嶺街少年殺人事件』のロケ地としても使用された。

脚注

  1. ^ 高橋泰隆「植民地の鉄道と海運」『岩波講座 近代日本と植民地(第3巻)植民地化と産業化』所収
  2. ^ 台湾駅弁の歴史味わう 虎ノ門で展示会/定番の「排骨」開発秘話も毎日新聞』朝刊2024年9月25日(東京面)
  3. ^ 『官報』第4908号「叙任及辞令」明治32年11月9日
  4. ^ 『官報』第7018号「叙任及辞令」明治39年11月19日
  5. ^ 『官報』第7644号「叙任及辞令」明治41年12月17日
  6. ^ 『官報』第8139号「叙任及辞令」明治43年8月8日
  7. ^ 『官報』第8166号「叙任及辞令」明治43年9月8日
  8. ^ 『官報」第983号「叙任及辞令」大正4年11月9日
  9. ^ 『官報』第2009号「叙任及辞令」大正8年4月17日
  10. ^ 『官報』第3724号「叙任及辞令」大正14年1月24日
  11. ^ 『官報』第1561号「叙任及辞令」昭和7年3月16日
  12. ^ 『官報』第2940号「叙任及辞令」昭和11年10月19日
  13. ^ 『官報』第3421号「叙任及辞令」昭和13年6月1日
  14. ^ 『台湾総督府報』第3934号「叙任及辞令」昭和15年7月8日
  15. ^ 『官報』第4644号「叙任及辞令」昭和17年7月4日
  16. ^ 『台湾総督府官報』第745号「叙任及辞令」昭和19年8月24日

参考文献

関連項目


台湾総督府鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 21:41 UTC 版)

国鉄400形蒸気機関車」の記事における「台湾総督府鉄道」の解説

台湾総督府鉄道へは、ナスミス・ウィルソン社製が1901年に5両と1902年に6両の計11両、1907年にノース・ブリティッシュ・ロコモティブクイーンズパーク工場(旧ダブス製造番号 18378 -18382)製5両が納入されている。これらは、クロスヘッド滑り棒が1本であり、内地同形機の2本と異なっていた。この他1902年ロバート・スティーブンソン(Robert Stephenson & Co.)製の2両が輸入されている。 台湾では、18形ナスミス・ウィルソン製は18 - 27ロバート・スティーブンソン製は28, 29、ノース・ブリティッシュ製は33 - 37)と称された。1937年にはB33形と改称されたが、番号変更されていないその後36, 37台北鉄道譲渡され同社6, 7となっている。 太平洋戦争後は、台湾鉄路管理局継承され汽車製造製の同系機とともにBK10形(BK11 - BK23)となった台北鉄道分も鉄路管理局引き継がれ、BK28, BK29となっている。

※この「台湾総督府鉄道」の解説は、「国鉄400形蒸気機関車」の解説の一部です。
「台湾総督府鉄道」を含む「国鉄400形蒸気機関車」の記事については、「国鉄400形蒸気機関車」の概要を参照ください。

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