台湾総督府財務局長就任
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1932年(昭和7年)3月15日、台湾総督府財務局長に就任した。 同時期に台湾総督に就任した南弘(内務省出身)は、岡田の第四高等学校・帝国大学法学部政治科の先輩にあたる。岡田が着任した二ヶ月後に五・一五事件が起こり、南弘が逓信大臣に転出、替わりに台湾最後の文官総督である中川健蔵が就任した。 岡田は第一次世界大戦後の不況期にある台湾財政立て直しのため、「財政の自立化」・「産業の工業化推進」を目的として業務を遂行した。1933年(昭和8年)には「所得階級別の租税及び公課負担状況」の調査・1934年(昭和9年)には「土地利用状況」の調査を終え、これらを元に1935年(昭和10年)に地租改正、岡田が財務局長を退任した後の1937年(昭和12年)に租税改定が行われた。また、1935年(昭和10年)を初年度とする台湾産業開発10ヶ年計画においては委員として計画策定に関わった。 因みに、台湾財政における歳入額は1931年(昭和6年)116百万円から1936年(昭和11年)176百万円・1937年(昭和12年)203百万円と、岡田在任前後の6年間で大幅に増加した。
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