細島線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/07 20:58 UTC 版)
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概要 | |
現況 | 廃止 |
起終点 | 起点:日向市駅 終点:細島駅 |
駅数 | 3駅(旅客廃止後は2駅) |
運営 | |
開業 | 1921年10月11日 |
旅客営業廃止 | 1972年2月1日 |
休止 | 1989年12月1日 |
廃止 | 1993年12月1日 |
所有者 | 鉄道省→ 運輸通信省→運輸省→ 日本国有鉄道(国鉄) →日本貨物鉄道(JR貨物) |
路線諸元 | |
路線総延長 | 3.5 km (2.2 mi) |
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) |
電化 | 全線非電化 |
停車場・施設・接続路線 (旅客営業廃止当時) |
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細島線(ほそしません)は、宮崎県日向市の日向市駅から細島駅の間を結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線である。
概要
日向市駅(当線開業当時は富高駅)から東進し、現在の日向市東端部の海沿いにある細島港へ至る路線として建設され、宮崎本線(現・日豊本線)美々津 - 富高間と同時に開業した。戦後には区間内に新駅(伊勢ヶ浜駅)の設置も行われたが、1972年に旅客営業を廃止して日豊本線の貨物支線となった。
晩年は細島港に陸揚げされた飼料等の輸送のため南延岡機関区配置のDE10形ディーゼル機関車を使用した貨物列車が1日1往復運転されていた。国鉄分割民営化により日本貨物鉄道(JR貨物)に承継されたが、1989年に休止されたのち廃止となった。 廃線後、軌道は撤去され、線路跡地は市道細島通線として整備された。
路線データ
- 管轄:日本国有鉄道(細島線として旅客営業時)
- 路線距離(営業キロ):3.5km
- 軌間:1067mm
- 駅数:3駅(起終点駅、伊勢ヶ浜駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:票券閉塞式
歴史
- 1921年(大正10年)10月11日 富高 - 細島間を細島軽便線として開業。細島駅を新設[1]。
- 1922年(大正11年)9月2日 細島線と改称[2]。
- 1928年(昭和3年)8月4日 蒸気動車運行開始(延岡-細島間)[3]。
- 1957年(昭和32年)2月1日 伊勢ヶ浜駅を新設。
- 1963年(昭和38年)5月25日 富高駅を日向市駅と改称[4]。
- 1972年(昭和47年)2月1日 全線の旅客営業を廃止。同時に日豊本線に編入され同線の貨物支線となる。伊勢ヶ浜駅を廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化に伴いJR貨物が第1種鉄道事業として承継。
- 1989年(平成元年)12月1日 全線休止。(貨)細島駅を休止。
- 1993年(平成5年)12月1日 全線廃止。(貨)細島駅を廃止。
駅一覧
全駅宮崎県日向市に所在。事業者名・路線名等は廃止時点のもの。
駅名 | 駅間 キロ |
営業 キロ |
接続路線 |
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日向市駅 | - | 0.0 | 日本国有鉄道:日豊本線 |
伊勢ヶ浜駅 | 1.8 | 1.8 | |
細島駅 | 1.7 | 3.5 |
脚注
- ^ 「鉄道省告示第140号」『官報』第2756号(1921年10月7日)(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道省告示第109号」『官報』1922年9月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道省年報. 昭和9年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 広報ひゅうが(昭和38年6月号) (PDF) 、1ページ
参考文献
関連項目
細島線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 07:36 UTC 版)
概説1950年代後半に静岡駅から焼津駅、吉永を経由して大井川左岸を島田まで遡上する「吉永線」が、焼津、藤枝、島田の各地区の路線に区間整理されて誕生した路線である。 1960年代から1970年代前半にかけては豊富な地下水を求めて沿線に多数の工場が立地し通勤需要があったが、マイカー通勤の増加に従って利用者は減少し廃止となった。 沿革1953年(昭和28年)の時刻表では、静岡 - 島田間に焼津営業区が管轄する「吉永線」が運行されていた。青木廻り:静岡 - 轟橋 - 青木 - 用宗 - 大崩 - 焼津 - 石津 - 田尻 - 吉永 - 宗高新町 - 忠兵衛 - 道悦島(六合)- 島田 1958年(昭和33年)の時刻表では「吉永線」の静岡 - 島田系統が区間整理され、忠兵衛 - 吉永間が「志太循環線」の藤枝大手 - 吉永間を統合し飯渕まで延伸し「飯淵線」に、島田 - 忠兵衛間は「細島線」として分離され島田営業所が管轄した。なお、島田 - 焼津間の直通運転は、新たに「島田焼津線」が開設された。用宗線:静岡 - 轟橋 - 青木 - 用宗 海岸本線:静岡 - 広野 - 用宗 - 大崩 - 焼津 - 大富 - 宗高新町 - 大井川 - (以降略) 吉永線:焼津 - 石津 - 田尻 - 吉永 - 飯淵 飯淵線:藤枝大手 - 藤枝駅前 - 忠兵衛 - 宗高新町 - 吉永 - 飯淵 細島線:島田 - 六合公民館前 - 細島 - 忠兵衛 1963年(昭和38年)沿線に島田工業高校が開校し、同年に科研化学(現・科研製薬)静岡工場と日本ビニロン静岡工場(現 ニチビ)、1967年(昭和42年)には日清紡藤枝事業所、さらには1972年(昭和47年)に持田製薬静岡工場、1973年(昭和48年)にはネッスル日本(現・ネスレ日本)静岡工場が進出し、沿線に通勤・通学需要が創出されていった。 1977年(昭和52年)の路線図では「細島線」は次の2系統が存在した。系統および主要停留所は次のとおり。島田駅前 - 島田三丁目 - 島田五丁目 - 島田七丁目 - 御仮屋 - 栃山橋 - 島田工業高校前 - 六合公民館前 - 細島 - 科研化学入口 - 五平 - 忠兵衛 島田駅前 - 島田三丁目 - 島田五丁目 - 島田七丁目 - 御仮屋 - 栃山橋 - 島田工業高校前 - 六合公民館前 - 細島 - 科研化学入口 - 科研科学前 - ニチビ工場前 - 日清紡前 - 善左エ門 - 忠兵衛 1984年(昭和59年)の路線図では「藤枝忠兵衛線」ネッスル工場系統の忠兵衛 - 藤枝駅間と併行して藤枝駅まで延伸している。系統および主要停留所は次のとおり。島田駅前 - 島田三丁目 - ジャスコタウン島田前 - 島田七丁目 - 御仮屋 - 栃山橋 - 島田工業高校前 - 六合 - 細島 - 御請 - 科研製薬入口 - 五平 - 忠兵衛 - 高等職業訓練校前 - 青島中学校入口 - 文化センター前 - 藤枝駅前 島田駅前 - 島田三丁目 - ジャスコタウン島田前 - 島田七丁目 - 御仮屋 - 栃山橋 - 島田工業高校前 - 六合 - 細島 - 御請 - 科研製薬入口 - 科研製薬前 - ニチビ工場前 - 日清紡前 - 善左エ門 - 忠兵衛 - 高等職業訓練校前 - 青島中学校入口 - 文化センター前 - 藤枝駅前 藤枝忠兵衛線:ネッスル工場前 - 持田製薬前 - 科研製薬前 - ニチビ工場前 - 日清紡前 - 善左エ門 - 忠兵衛 - 高等職業訓練校前 - 青島中学校入口 - 文化センター前 - 藤枝駅前 1988年(昭和63年)の時刻表では忠兵衛 - 藤枝駅間が廃止され、科研製薬経由のみで朝晩1往復にまで減便されている。島田駅前 - 島田三丁目 - ジャスコタウン島田前 - 島田七丁目 - 御仮屋 - 栃山橋 - 島田工業高校前 - 六合 - 細島 - 御請 - 科研製薬入口 - 科研製薬前 - ニチビ工場前 - 日清紡前 - 善左エ門 - 忠兵衛 1990年(平成2年)8月現在の路線図からは消滅している。
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