矢部線とは? わかりやすく解説

矢部線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/11 20:18 UTC 版)

矢部線
旧:北川内隧道
旧:北川内駅附近(福岡県八女市上陽町)
概要
現況 廃止
起終点 起点:羽犬塚駅
終点:黒木駅
駅数 10駅
運営
開業 1945年12月26日 (1945-12-26)
廃止 1985年4月1日 (1985-4-1)[1]
所有者 運輸省
日本国有鉄道
路線諸元
路線総延長 19.7 km (12.2 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
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停車場・施設・接続路線
(廃止当時)
鹿児島本線
0.0 羽犬塚駅
1.5 花宗駅
九州自動車道
3.9 鵜池駅
5.1 蒲原駅
6.8 筑後福島駅
8.0 今古賀駅
9.3 上妻駅
11.7 山内駅
星野川
15.2 北川内駅
北川内トンネル
中原トンネル
19.7 黒木駅
黒木駅附近に展示されているC11形蒸気機関車(福岡県八女市黒木町)

矢部線(やべせん)は、かつて福岡県筑後市羽犬塚駅八女郡黒木町(現:八女市)の黒木駅とを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線地方交通線)である。1980年の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行により第1次特定地方交通線に指定され、1985年(昭和60年)4月1日に全線が廃止となった。

なお、路線名の「矢部」とは、予定線の終点とされた八女郡矢部村(現:八女市)のことである。

路線データ(廃止時)

  • 管轄:日本国有鉄道
  • 区間(営業キロ):羽犬塚 - 黒木 19.7km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:10駅(起点駅を含む)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化
  • 閉塞方式:スタフ閉塞式

歴史

改正鉄道敷設法別表第111号の2に規定する予定線「福岡県羽犬塚ヨリ矢部ニ至ル鉄道」の一部で、1936年に追加されたものである。沿線には軍事施設や関連の工場が多かったため、太平洋戦争が激化し、不要不急とされた鉄道路線が次々と休止に追い込まれる中でも建設工事が続行、終戦後の1945年12月にすでに路盤が完成していた羽犬塚から黒木までが開業した。太平洋戦争が終結してからわずか4か月、日本の鉄道路線では終戦後初めて開通した記念すべき路線である。

将来的には大分県日田郡中津江村(現:日田市)の鯛生を経て宮原線の肥後小国までを結ぼうとしていたが、結局黒木より先への延伸は成らなかった。

なお、本路線に並行する形で1903年8月には軌間914mmの南筑馬車鉄道(1907年に南筑軌道に改称し、1915年に動力を内燃に切替えた)が羽犬塚 - 福島間に開業、同年12月には山内まで延長された。1916年には黒木軌道の手により黒木町まで延長、1923年に南筑軌道が黒木軌道を合併し、羽犬塚 - 黒木町間が一本化されたが、矢部線が鉄道敷設法に追加されたことにより、軌道線は1940年6月に廃止され、乗合自動車路線は堀川バスに合併されている。

1977年4月時点では、羽犬塚 - 黒木間の普通列車が1日6往復運転されていた。唐津運転区所属の気動車[注釈 1]が使用されており、朝に西唐津駅から唐津線長崎本線直通)佐賀行きで出庫。佐賀駅から佐賀線の定期列車で瀬高駅まで運行し、瀬高駅から鹿児島本線の羽犬塚行きとして昼前に羽犬塚駅に到着。前日から運用されていた車両と交代する形で午後の矢部線の運用に入り、下り最終列車で黒木駅に到着後、同駅にて夜間滞泊を実施。翌朝の上り始発列車で黒木駅から矢部線を2.5往復運行した後、当日朝に唐津運転区から出庫してきた車両と交代する形で鹿児島本線の羽犬塚発瀬高行きの普通列車となり、瀬高駅から佐賀線の佐賀行き、佐賀駅から唐津線の西唐津行きとして運行された上で唐津運転区に入庫するという運用が組まれていた[2][注釈 2][注釈 3]

年表

  • 1945年(昭和20年)12月26日 羽犬塚 - 黒木間 (19.7km) が矢部線として開業、鵜池・筑後福島・上妻・山内・北川内・黒木の各駅を開業[4]
  • 1958年(昭和33年)2月1日 地元請願駅の花宗・蒲原・今古賀の各駅を新設。
  • 1974年(昭和49年)10月1日 筑後福島 - 黒木間 (12.9km) の貨物営業を廃止。
  • 1978年(昭和53年)10月1日 羽犬塚 - 筑後福島間 (6.8km) の貨物営業を廃止。
  • 1981年(昭和56年)9月18日 第1次特定地方交通線として廃止承認。
  • 1985年(昭和60年)4月1日 全線 (19.7km) を廃止し[1]堀川バスのバス路線へ転換。

駅一覧

全駅福岡県に所在。接続路線の事業者名、所在地は矢部線廃止時点のもの。

駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 所在地
羽犬塚駅 - 0.0 日本国有鉄道鹿児島本線 筑後市
花宗駅 1.5 1.5  
鵜池駅 2.4 3.9   八女市
蒲原駅 1.2 5.1  
筑後福島駅 1.7 6.8  
今古賀駅 1.2 8.0  
上妻駅 1.3 9.3  
山内駅 2.4 11.7  
北川内駅 3.5 15.2   八女郡 上陽町
黒木駅 4.5 19.7   黒木町

廃止後の状況

筑後福島駅近くの藤棚

鹿児島本線との分岐点から、山内 - 北川内間で星野川に接近する付近までは全線が道路へ転用されたほか、駅跡地も大半が撤去されて道路の一部や建造物の敷地に姿を変えており、公園として整備された旧:筑後福島駅を除いてその面影を見ることができなくなっている。

花宗駅付近で国道209号がオーバークロスするが、その前後の道路は対面通行が可能であるものの、国道下のアンダーパスは拡幅されておらず、当時の幅員と同じで離合ができなかった。後に国道209号とは平面交差に改良され、2016年2月14日より野町北交差点として供用されている。

筑後福島駅跡地は、当時の駅舎が移転した上で公園の倉庫として再利用されている。公園内にはホームと線路の一部ならびに踏切跡が残されているほか、公園入口にはかつての歴史が掲載された看板がある。また、公園内の藤棚には廃レールが再利用されている。

鵜池駅跡は立体交差する九州自動車道の高架下付近である。上妻駅跡は八女市営上妻団地の敷地の一部、山内駅跡は八女市東公民館の敷地となっている。しかし、いずれも矢部線の跡を示すものは何もない。また、それら以外の駅についても主だった痕跡はなく、場所の特定は難しい。

現在の上山内交差点から星野川の手前までは、福岡県道52号八女香春線の一部となっている。県道はそのまま橋で星野川を渡るが、ここから矢部線は星野川沿いに進んでいた。そのため、護岸沿いに線路跡が残っているものの、こちらも痕跡はなく車両通行止めとなっている。また、一部農道化している部分もあるが、薮が激しい場所もあって全体を歩くことは困難である。なお、途中のトンネルは2012年九州北部豪雨の復興工事のために壊されたとされている。

星野川を渡る橋梁は川の途中で途切れており、手前で道路を跨いでいた橋脚は片側のみ撤去されていた。その後、2016年に星野川の川幅を拡張する工事に伴い、残っていた橋脚も撤去された。

星野川を渡った地点からは再び道路となり、沿線にある八女市地域福祉センターに隣接する駐車場付近が北川内駅跡である。

その後道路は福岡県道70号田主丸黒木線と交差した地点で終わりとなるが、その先駐車場となった横に築堤が残り北川内トンネルが現存している。ただし封鎖されているため立ち入ることはできない。

北川内トンネルを越えた先で廃線跡は農道から三たび道路に姿を変えるが、その先で中原トンネルに到達する。このトンネルの内部は上陽町と黒木町(いずれも現:八女市)の境で仕切りがされ、それぞれ別の酒造会社が酒蔵として利用しているため立ち入りができない。ただし、黒木町側は酒蔵開きが行われることがあり、その際は一般人でも旧町境までトンネルの中に入ることができる。

中原トンネルから黒木駅跡までは道路化されており、黒木駅の跡地は八女市黒木体育センターとなっている。黒木駅跡を示す駅名標と国鉄C11形蒸気機関車が体育センターのすぐ横に設置されていたが、近年になってセンター横に駐車場が整備されたことに伴い、機関車は移設され、駅名標は新しいものに更新されている。

代替交通

堀川バスにより、羽犬塚 - 北川内 - 黒木間に代替バス路線として打越線が設定されたが、この系統の主な利用客は星野から黒木へ向かう高校生で、主な利用区間は北川内 - 打越 - 黒木であり、しばらくして福島発着に短縮された後、通学客の減少により廃止された。現在は、転換前より存在していた北川内を通らない羽犬塚 - 福島 - 黒木 - 矢部柴庵の羽矢線と、福島 - 北川内 - 十篭車庫前 - 浦 - 板屋(浦 - 板屋は現在廃止)の星野線の2路線が、事実上の代替路線として機能している。これにより、北川内から黒木に行くには山内付近まで行き来する必要が生じた。なお、前者の羽矢線は矢部線よりもむしろ南筑軌道の路線に近い[注釈 4]

脚注

注釈

  1. ^ キハ17系キハ17・キハ16・キハ11・キハ10形、キハ20系キハ20形、キハ35系キハ35・キハ30形、キハ40系キハ47形が使用された。
  2. ^ 1977年時点では鹿児島本線の羽犬塚 - 瀬高間の普通列車と佐賀線の列車は別の列車として設定されていたが、1982年11月改正時点では羽犬塚 - 佐賀間の直通列車になっている[3]。所属の唐津運転区との出入りは営業した[2]
  3. ^ 唐津区の車両を使用する以前は、早岐機関区の気動車が松浦線・筑肥線経由で唐津運転区にいったん入庫、翌朝唐津線・佐賀線経由で午後の矢部線の運用に入り、翌日昼前に運用を終え、同じルートで帰区していた。
  4. ^ 南筑軌道も堀川バスに合併した。矢部線の建設決定で軌道線は廃止されたものの、最終的に同じ会社が運行するバス路線に戻っている。

出典

  1. ^ a b “国鉄第一次地交線11線 装い新たに再スタート”. 交通新聞 (交通協力会): p. 1. (1985年4月2日) 
  2. ^ a b 鉄道ジャーナル』「特定地方交通線の実体と問題を現地に見る。矢部線/佐賀線。福田行高/梶川義実」1984年8月号
  3. ^ 『時刻表復刻版1982年11月号』JTBパブリッシング、2022年、pp.223,232,241
  4. ^ 運輸省告示第596号 官報 第5686号(1945年12月24日)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

関連項目





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