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矢部藤七

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 16:07 UTC 版)

矢部藤七

矢部 藤七(やべ とうしち、1885年(明治18年)7月21日[1] - 1959年(昭和34年)4月11日[2])は、大正から昭和時代の政治家醸造家大日本帝国陸軍軍人衆議院議員栃木県上都賀郡西方村長。

経歴

栃木県上都賀郡本城村(西方村、西方町を経て現栃木市)出身[1][3]。矢部儀一郎の二男として生まれ、1909年(明治42年)家督を相続する[4]1903年(明治36年)栃木中学校卒業[2]。陸軍に入り歩兵少尉に進んだ[2][3]

酒造業を営み、西方村長、栃木県会議員、同副議長、上都賀郡農会長、県農会長、西方村産業組合長、県信用購買販売利用組合連合会副会長を歴任した[2]。ほか、村会議員、郡会議員、帝国在郷軍人会分会長、消防組頭、大政翼賛会県支部常務委員なども務めた[3]

1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では栃木県第1区から翼賛政治体制協議会推薦で出馬し当選[2]。衆議院議員を1期務めた[2]。在任中は翼賛政治会政調農林、内務兼務委員を務めた[3]。戦後、公職追放となった[5][注 1]

脚注

注釈

  1. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。

出典

  1. ^ a b 衆議院事務局 1942, 12頁.
  2. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 1962, 520頁.
  3. ^ a b c d 議会新聞社 1943, 431頁.
  4. ^ 人事興信所 1943, ヤ21頁.
  5. ^ 総理庁官房監査課 1949, 一般該当者名簿722頁.

参考文献




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