川崎車輌式冷房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:22 UTC 版)
「国鉄マロネ40形客車」の記事における「川崎車輌式冷房」の解説
1945年の終戦直後時点で、日本において使用可能な鉄道用車載冷房装置は、川崎車輌のKM式が唯一であった。 正式には「川崎式KM式客車空気調和装置」と呼ばれるこのシステムは、メチルクロライド冷媒式で、戦前にスシ37850形に試用したものを改良した方式である。 車軸の回転力を2組のベルトで取り出し、ギアとジョイント付プロペラシャフトを介して、車体側に固定された電磁接手へ動力を伝達する。電磁接手は励磁機を併設しており、高速時の回転数を極力一定に保つ役割をしている。 ここから更に隣接する冷凍機箱に、ベルトで駆動力を伝達する。冷凍機では冷媒を圧縮し、熱を発散させている。現代の冷房における室外機の役割である。 圧縮された冷媒は配管を介して車両屋根裏に設置された室内機へ送られ、電動ファンの送風によって室温を吸収、再び床下の冷凍機箱に送られる。 この冷房装置の動作原理は現代の電動式冷房と同じ冷媒式だが、駆動装置が非常に大がかりで、客車床下の半分以上を占めていた。重量がかさむことから、冷房シーズンを外れると工場入りして取り外し、シーズン前には改めて取り付けていた。蒸気機関車の非力さを少しでも補うには、無駄な荷重を減らさねばならなかったのである。また、冷房搭載車は車体に断熱材を充填する工事も行っている。 最初に戦前製2等寝台車のマロネ37形・マロネフ37形各1両が、1945年末に冷房搭載改造された。続いて戦後賠償の一環である終戦処理費を財源として、1946年2月から5月にかけ、戦前製の1等寝台車および1・2等合造寝台車が計8両、冷房搭載改造された。その多くは地方の基地から主要都市の病院へ傷病兵を移送する病院列車向けであった。1947年までにKM形冷房装置は2形式35台が製造され、1・2等車の冷房化に用いられた。 資材も人材も不足する中で、冷房装置の製造・搭載には大変な困難が伴った。決して単純とは言えない構造であり、工作・材質の不十分さから作動トラブルも多かった。当時の担当者たちは進駐軍から厳しい叱責を受けつつ、苦心して冷房化を進めたという。
※この「川崎車輌式冷房」の解説は、「国鉄マロネ40形客車」の解説の一部です。
「川崎車輌式冷房」を含む「国鉄マロネ40形客車」の記事については、「国鉄マロネ40形客車」の概要を参照ください。
- 川崎車輌式冷房のページへのリンク