製作時期別詳説
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「国鉄ホキ2200形貨車」の記事における「製作時期別詳説」の解説
各年度による製造会社と両数は次のとおりである。 試作車1965年(昭和40年度) - 6両川崎車輛 2両 (ホキ2200 - ホキ2201)TR95A 三菱重工業 2両 (ホキ2202 - ホキ2203)TR95A 日立製作所 2両 (ホキ2204 - ホキ2205)TR95A 前期量産車1965年(昭和40年度) - 90両 第三次債務車日本車輌製造、輸送機工業 35両 (ホキ2206 - ホキ2240)TR207 川崎車輛、富士車輌、ナニワ工機 55両 (ホキ2241 - ホキ2295)TR207 1966年(昭和41年度) - 80両 本予算車川崎車輛、富士車輌、ナニワ工機 20両 (ホキ2296 - ホキ2315)TR207 日立製作所 20両 (ホキ2316 - ホキ2335)TR207 第三次債務車日立製作所 60両 (ホキ2336 - ホキ2395)TR207 大型積込口装備車1967年(昭和42年度) - 70両日立製作所 70両 (ホキ2396 - ホキ2465)TR211 後期量産車1967年(昭和42年度) - 110両 第一次債務車川崎車輛 50両 (ホキ2466 - ホキ2499、ホキ12200 - ホキ12215)TR211 日立製作所 60両 (ホキ12216 - ホキ12275)TR211 1968年(昭和43年度) - 90両 民有車川崎車輛 30両 (ホキ12276 - ホキ12305)TR211 日立製作所 60両 (ホキ12306 - ホキ12365)TR211 1969年(昭和44年度) - 135両日立製作所 135両 (ホキ12366 - ホキ12500) 1970年(昭和45年度)川崎重工業、富士車輌、ナニワ工機 日立製作所 1972年(昭和47年度)川崎重工業、富士車輌、アルナ工機 日立製作所 1973年(昭和48年度)川崎重工業 三菱重工業 1974年(昭和49年度)日本車輌製造 日立製作所 川崎重工業
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製作時期別詳説
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「国鉄ワキ10000形貨車」の記事における「製作時期別詳説」の解説
試作車 高速貨車の走行性能を検証するための試作車として、1965年(昭和40年)3月に1両 (ワキ10000) が汽車製造で製作された。 車体はパレット輸送対応有蓋車ワム80000形(2代)の構造を基に大型化したもので、床面積は 35.9 m2 、内容積は 87.8 m3 (パレット使用時 59.5 m3 )である。屋根は天井板を設けた丸屋根で、総開き構造の側扉はプレス加工の普通鋼製である。室内の中仕切りは比較のため、ワム80000形の中仕切りから表張りを省いた格子状の仕切り枠とパイプ式の仕切りとの両方が設けられた。外部塗色は側扉も含めた車体全体を緑2号(濃緑色)とし、後年に黄緑6号(ウグイス色)に変更された。 台車は性能比較のため、枕ばねが異なる2種が用意された。空気ばね台車の TR93 形は汽車製造東京支店製で、鋳鋼製の台車側枠に 550 mm 径の空気ばねを装備する。コイルばね台車の TR94 形は台車1両分のみが三菱重工業三原製作所で製作された。台車側枠は鋼板溶接構造、2連2重のコイルばねに防振ゴムを併用する。軸距はともに 2,000 mm である。 ブレーキ装置は CLE 方式で、専用列車での限定運用を企図したためブレーキシリンダの使用圧力は一般貨車より高い 7.5 kg/cm2 に設定され、シリンダ直径は 220 mm とされた。元空気溜管 (MR) は車体側面下部に設けられ、大型の供給空気溜を装備する。留置ブレーキは片側側面のみに足踏み式のブレーキテコを設ける。 落成後は東京鉄道管理局(汐留駅常備)に配置された。各種試験に供されて車両の基本性能が実証され、パレット輸送対応の車体構造はワキ5000形に、台車・ブレーキ装置など高速走行の基本仕様はコキ10000形の試作車編成に反映された。 本車は一般貨車との併結運用を考慮した仕様変更がなされた結果、自重過大 (24.0 t) となり、標記荷重どおりの積載不能と判断され、量産車との共通運用には用いられなかった。試験終了後は TR93 形台車を常用し、荷物車代用とされて一時的に荷物列車に使用された。その後、汐留駅構内で長期間留置され、1978年に廃車されている。 前期形 1966年(昭和41年)に40両 (ワキ10001 - ワキ10040) が川崎車輛(兵庫工場)で製作された。 試作車の試用成績を踏まえて先に量産された汎用有蓋車 ワキ5000形 の車体構造を遡及して適用し、側扉をアルミ合金製に変更して自重を約 2 t 軽減した 22 t に収めた。屋根は試作車 および ワキ5000形初期車と同一の丸屋根で、天井板を室内に設ける。床面積は 35.9 m2 、内容積は 88.5 m3 (パレット使用時 59.5 m3 )である。 ブレーキ装置は CLE 方式であるが、コキ10000形試作編成の試験結果や運用方の変更に基づき、使用圧力 (7.5 kg/cm2 → 4.5 kg/cm2) ブレーキシリンダ径 (220 mm → 290 mm) などの変更がなされた。連結作業能率向上のため、空気管の空気供給を一括開閉する「締切コック開閉装置」を車端部に新設した。 台車は量産形式の TR203 形で、軸距が 2,100 mm に拡大したが、ボギー中心間距離は試作車と同一の 11,350 mm のままとされた。 後期形 1967年(昭和42年)から1968年(昭和43年)にかけて川崎車輛(加古川工場)にて50両(ワキ10041 - ワキ10090)、 日立製作所 にて100両(ワキ10091 - ワキ10190)の合計150両が製作された。 屋根をプレス加工鋼板に変更し、天井板を廃して断熱材を直接吹付する工法が採用された。軽量化と製作工数低減のための設計変更で、屋根形状は前期形の丸屋根から中央部が高い角屋根とされ、側面同様のリブを有す。床面積は前期形と同一の 35.9 m2 であるが、内容積は 89.6 m3 (パレット使用時 59.5 m3 )に拡大している。 台枠中梁の形状を変更し、ボギー中心間距離を前期形より 500 mm 短縮した 10,850 mm として台車を車体中心に寄せている。これは車端部空気配管の艤装空間を確保するための措置で、車端部の締切コック開閉装置も小型化された。
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製作時期別詳説
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「国鉄タム9600形貨車」の記事における「製作時期別詳説」の解説
試作車 1973年(昭和48年)11月29日に1両(タム9600)が日本車輌製造で製作され基礎試験・積車による試験輸送を経て、翌年から量産した。 車端部の弁装置覆いは巻上式のシャッターを装備し、巻取部となる覆い上部は直線形状である。補助ブレーキ装置は両側の台枠側面に足踏み式のブレーキテコを設け、ブレーキ操作用の手すり・ステップを併設する。 量産車 1974年(昭和49年)から1975年(昭和50年)にかけて3両(タム9601 - タム9603)が日本車輌製造で製作された。 弁装置覆いの扉を「観音開き」に変更し、巻取部をなくした覆い上部はタンク体と同一の円筒曲面となった。補助ブレーキ装置は弁装置のない車端側のデッキ上に回転ハンドル式の手ブレーキを設ける。
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製作時期別詳説
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「JR四国1000形気動車」の記事における「製作時期別詳説」の解説
1次車 1990年に28両 (1001 - 1028) が製作され、徳島運転所に配置された。 2次車 1992年に20両 (1029 - 1048) が製作された。 徳島地区・高知地区の輸送改善用として製作された車両で、1029-1032が徳島運転所に、1033-1048が高知運転所に配置された。高知地区では土讃線のワンマン運転区間拡大に充てられた。 燃料切れ防止策として、運転室に燃料警告灯・点検スイッチを追設している。2008年に10両 (1029 - 1032、1035、1044 - 1048) が1200形 (1229 - 1232、1235、1244 - 1248) に改造された。 3次車 1995年に2両 (1049、1050) が製作され、徳島運転所に配置された。 徳島地区輸送改善用として製作された車両で、2008年に2両とも1200形 (1249、1250) に改造された。 4次車 1997年に6両 (1051 - 1056) が製作され、徳島運転所に配置された。 2006年に1両 (1056) が1200形 (1256) に先行改造され、2008年に残存5両も1200形に改造 (1251 - 1255) された。
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