一般車への用途変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 15:47 UTC 版)
「京阪1700系電車」の記事における「一般車への用途変更」の解説
1956年に車体を18m級に延伸した1810系が登場し、本系列は1800系やこれと混用の形で引き続き特急運用に充当された。もっとも、1810系の増備で特急車両の運用に余裕ができたため、接客設備面と走行性能、それに乗り心地で見劣りする本系列は順次一般車に用途変更されることが決定された。 まず、1957年秋に1707-1757・1708-1758・1709-1759の3編成6両が2扉のまま、ロングシート・一般色化された。つづいて、1706-1756が特急色のままロングシート化されたが、のちに一般色に変更された。さらに、1703-1753・1704-1754・1705-1755の3編成がロングシート化されたが、これらは多客時の特急運用への充当を考慮して、そのまま特急色が維持された。 1701-1751・1702-1752の2編成はその後もクロスシート装備のまま定期特急運用に充当されていたが、1963年の1900系就役開始とともにロングシート化された。ただし、塗装は1701-1751は特急色、1702-1752は一般色とされた。この頃には窓がアルミサッシ化され、地下線で建設された天満橋・淀屋橋間(1963年開通)を走行する際の車両限界の制約から安全対策として、側窓下部に保護棒が各2本ずつ設置されている。また、1963年には同じく淀屋橋への延長に備え、長大編成化対応としてブレーキ弁に電磁吸排弁を付加してARE中継弁付電磁自動ブレーキ化、ブレーキ応答性能を改善する工事が実施されている。なお、一般車格下げ後は宇治線・交野線でも定期運用されるようになった。 淀屋橋開業後、臨時特急の増発が実施されたことから、これに対応すべく、これまでに一般色となっていた1701-1751以外の8編成も再び特急色になった。 なお、定期特急運用から離脱後の本系列には1968年12月20日の廃止まで奈良電気鉄道→近鉄京都線への乗り入れ実績も存在しており、この際には2両編成で丹波橋から京都まで走行している。 1965年からラッシュ時の混雑対策として特急色の1705・1755を皮切りに3扉化改造工事が開始され、これは1967年までに完了した。この改造工事では、側面窓の割付の関係から増設された中央扉は両開き扉とされている。 塗装は、3扉化工事開始当初は特急色のままであった。しかし、この3扉化開始の時点で既に長大編成対応でしかも収容力の大きな急行・準急向け通勤車である2200系の投入が始まっており、1700系の臨時を含む特急運用への充当の可能性がほぼ無くなる見通しであった。このため、1966年12月に改造工事が竣工した車両から一般色への再変更が開始され、特急色のまま3扉化された車両の再塗装を含め、全車一般色に統一された。 上記の3扉化に続いて1967年には、1700型1707 - 1709・1750型1751 - 1753と2形式で各3両ずつ運転台と客室仕切の撤去を実施し、Mc-Tcの2両編成6本をMc-T-M-Tcの4両編成3本へ組み替えて同年末からの京阪線普通列車の最大7両編成化に備えている。なお、1700形の運転台撤去車は1780型1787 - 1789に改番されたが、1750型は1800系などの例にならってか、形式はそのままとされた。 3扉化後は主に普通で使用されていたが、時に急行に充当されることもあった。また吊り掛け駆動の他系列車両を連結したこともあったが、1970年代には1700系4両と1800系3両を連結した運用が固定化した。 1700系と1800系が混結運用されていた1980年5月の時点での編成は下記の通り。 4両編成:1809-1881-1787=1757 5両編成:1803=1851-1804-1705=1755 1807=1853-1808-1706=1756 7両編成:1801-1802-1882-1701=1751-1704=1754 1805=1852-1806-1703=1753-1789=1759 ※:-は狭幅貫通路、=は広幅貫通路を示す。なお、1700系の連結面間は棒連結器化されていた。 もっともその後1800系が昇圧準備工事の一環として、1981年3月と1982年3月の2回に分けて2代目1800系電車へ主要機器を供出すべく廃車されたため、以後は再び本系列単独で運用されるようになった。 この時期には、17m級で収容力の小さな本系列と1300系は、共に宇治・交野線を中心に4両編成で運用された。初代1800系の残存車が運用から外れた1982年2月以降、本系列は収容力の大きな600系680型を挿入した1700系4両+680型+1700系2両の7両編成3本を組成し、大阪方の区間運用、原則朝夕ラッシュ時限定で普通や萱島折り返しの区間急行などへの運用となった。 昇圧対応車として1983年3月に竣工した6000系第1陣20両と置き換えられる形で1701・1703・1751・1753が1300系16両と共に廃車され、残る14両も1704・1706・1787・1754・1756・1757の6両が検査期限切れで昇圧工事実施直前の同年12月1日に運用を終了、それ以外は昇圧前日の12月3日をもって全車が営業運転を終了、翌日付で14両全車が廃車となり、その後解体された。なお、本系列と同時に1300系や600系(2代)も淘汰されている。
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