残存車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 15:02 UTC 版)
「東中野駅列車追突事故」の記事における「残存車」の解説
クハ103-278 事故車補充用として翌1989年2月17日付けで三鷹電車区に転入、他車両基地からの転入車と代替編成を組成した。7ヵ月後の同年9月には豊田電車区(現・豊田車両センター)に再転出し青梅線・五日市線・武蔵野線で運用。さらに1991年には中原電車区に転属し南武線で運用され、1993年には再び習志野電車区に配属され中央・総武緩行線で運用され1995年に廃車された。 クハ201-3 復旧工事の際に緊急整備されたATS-P形を搭載し、改造のために編成から外された同形車の代車として組み込まれる運用に投入されたが、三鷹電車区在籍の201系全編成の改造が終了した後は使用目的も無く、同区内に留置された。1997年には大月駅列車衝突事故の事故当該車であったクハ200-116の代替案が浮上し大井工場へ回送されたが、最終的には当該車が復旧されたために再び三鷹区に戻された。その後2001年11月をもって三鷹電車区に所属する201系の編成がなくなったものの、クハ201-3は有効な使い道のないまま2005年12月まで留置され、同月大宮総合車両センターに廃車回送後解体された。これによりカナリアイエローの201系は消滅した。
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