格下げ後
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「山陽電気鉄道820・850形電車」の記事における「格下げ後」の解説
820・850形は1950年代前半の山陽の主力車であったが、1956年に山陽電鉄初のWNドライブ車である2000系第1編成がロングシート車として竣工、翌1957年にはその量産車である2次車と826・827に流用されていた712・713の足回りを活用した2700系が転換クロスシート装備のロマンスカーとしてデビューするに及んで、主役の座をこれらの形式に明け渡した。 特急運用の第一線を退いた本系列はロングシート化されることとなり、850形が1960年に、820形が1961年から1963年にかけてそれぞれロングシート化を実施され、同時に先頭車を貫通式に改造するとともに、他形式との混用に備えて850形の制御器をCS5 (850) および三菱電機CB-16C (852・854) に換装した。 神戸高速鉄道への乗り入れを睨んで、内装の不燃化と妻面への貫通扉設置を実施した際に、各車とも運転台側前面窓をHゴム支持に改造したが、車掌台側の前面窓については2段上昇窓であった820形がHゴム支持化改造を実施したのに対し、1段上昇式であった850形は従前のままとされた。 また、時期は不明ではあるが、830の連結面側運転台が撤去されたほか、1965年からはBW-4・BW-5台車の枕ばねを重ね板ばねからコイルばねに変更して釣り合い梁と台車枠本体を結合するオイルダンパを各2本ずつ付加、軸受を平軸受からローラーベアリングに換装するなどの大改造を実施し、台車の形式名もそれぞれBW-4A・BW-5Aに変更された。 その後も神戸高速鉄道開業までは特急にも使用されていた820・850形であるが、神戸高速鉄道を介した阪急電鉄神戸線、阪神電気鉄道本線への相互乗り入れが開始されると、全長17mの本系列は他の15・17m級車と同様、神戸高速線内までの乗り入れに限定されたことから、必然的に普通列車主体の運用に充当されることになった。また、神戸高速鉄道開業で乗客が増加し3両編成化が求められるようになったため、本系列も同じ17m級2扉車の270形を大阪側、姫路側のどちらか一方に増結して3両編成とした。さらに、1960年代後半から1970年代初頭にかけて、他形式と同様に、営業運転で先頭車となる車両については、貫通扉に行先方向幕および種別表示幕の取付改造を実施した。 この他、1970年に829と830の間で台車の交換を実施し、829がOK-3を、830がBW-4Aをそれぞれ装備するようにしてOK-3を制御車専用とした。また、この時点で営業線上における先頭車としての使用の機会がなくなった850形偶数番車については、運転室内の運転台機器の一部が撤去されて事実上回送運転台とされ、側面の乗務員扉も溶接され、実質的に中間電動車となった。
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格下げ後
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特急運用からの撤退後も、8両編成で急行を中心に運用された。特急の代走に入ることもあり、その際は空気ばね台車の2814Fが優先して充当されている。2817Fは1981年に6両編成となり普通を中心に使用されたが、翌1982年に8両編成に復帰している。 1982年からの7300系の増備により、2800系は急行運用からも外れ、2880形2880番台車を抜いて7両編成化された。1985年の2816Fを最後に8両編成での運用は消滅し、その後は京都本線の普通・準急、梅田‐北千里間の普通が中心となった。脱車された2880形は2両が2300系の7両編成化に、5両が神戸線5000系・5200系の増結に転用されている。 2300系への組込車には客用ドアの張り出しステップを取り付ける改造も実施され、最大幅が2,808mmに拡大した。5000系・5200系への組込車は、搭載されていたコンプレッサー、バッテリー等および屋根上の高圧母線が撤去され、さらに2両単位で5200系編成に組み込まれた車両については、一方の車両に組み込み先の編成と同一の60 kVAのCLG326M形MGが新たに設置された。その後、5000系に編入されていた2880形は、5000系表示幕化改造の際に5200系、2000系2071形との交換が実施された。 また唯一の空気ばね台車装備の2814Fより脱車された2884は、同じく空気ばね台車装備の2300系2311F編成に組み込まれたが、のちに同編成の台車振替に際してコイルばね台車のFS45に換装された(電機子チョッパ試験車の2311は空気ばね台車で存置)。 1991年5月に2815F、1992年6月に2811FがいずれもMc-Tc+Mc-Tcの4両編成で嵐山線運用となり、2300系の2303F・2309Fが本線へ一時転出した。この2800系も1995年8月16日に定期運用を終了、残存2編成を併結した8両編成でさよなら運転が実施された。さよなら運転は複数回行われており、8月の運転では阪神・淡路大震災復旧後の神戸本線へ乗り入れ、10月15日・22日には京都本線梅田 - 桂を2往復し、最後となった10月29日の運転では宝塚本線、今津線に入線し、これをもって2800系は編成としての営業運転を終了した。
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