格下げ改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 03:40 UTC 版)
1959年以降、10100系(新ビスタカー)・10400系(エースカー)といった後継車両が増備されると次第に置き換えが進み、1960年に5両が特急運用を離脱、一部が3扉化されて一般車に格下げられた。この時両運転台であったモ2255は片運転台化され、モ2255と2257は形式が2200系ラストナンバーに続くモ2247形2247・2248に改番された。この時点で残っていた他のモ2250形については欠番を埋めるため、2256→2255・2259→2256・2260→2257(いずれも2代目)に改番している。 また特急用に残ったサ3020形のうち6両は名阪乙特急と連絡する伊勢中川 - 宇治山田間の準特急運用に充当すべく、1959年12月付で運転台を設置されてク3120形制御車となっている。残る14両も1963年の11400系(新エースカー)登場によって特急運用から離れた。 特急運用を離脱した後、3扉化改造とモ2247・2248・2251とサ3020形はセミクロスシート化改造がなされ、その他の車両はロングシート化改造がなされた。モ2250形については、モ2251以外の両運転台車については片運転台化された。公衆電話サービスやシートラジオといった特別装備も撤去された。格下げ後もしばらく冷房装置はそのまま使用されたが、1966年に全車撤去された。以後も2200系などとともに大阪線・山田線の急行運用についていたが、その後1974年には電動車について空気ばねを枕ばねとする新型シュリーレン式台車である近畿車輛KD-78への交換が進められ、捻出された3次車用KD-15を付随車に転用するなどの措置が行われている。尾灯についても、オリジナルの旧型尾灯から、新製通勤車同様の標識灯併設型に置き換えられている。 1975年に2610系の投入に伴って名古屋線へ転属し、ここでも主に急行に使用された。しかし非冷房車であったことや老朽化が進んだことから、1983年までに廃車となった。なお、経年の新しいKD-78は1982年落成の界磁チョッパ制御車である1200系の1202F - 1206FのTc車に流用されている。 2250系のうちモ2253・2257・ク3125の3両は初代鮮魚列車用の600系(2代)に改造されてそれぞれモ603・602・ク503として1989年に1481系に置き換えられるまで伊勢 - 大阪間の行商人輸送の任に当たった。一方でモ2251・2258・ク3124・3126の4両を1983年3月に格下げ改造した電動貨車のモワ10形11・12・クワ50形51・52も存在し、クワ50形は両車とも1985年1月16日付で廃車となったが、モワ10形はその後も残された。 最後に残ったのは第三軌条を採用している東大阪線(現・けいはんな線)用の7000系を五位堂駅に併設された五位堂検修車庫へ検査回送するための牽引車として残ったモワ10形11・12で、7000系と連結可能とするために連結器を密着式に交換され、1998年にモト77・78に置き換えられるまで使用され、同年11月13日の7000系回送を最後に引退、11月16日に高安へ回送・廃車解体された。
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