電車
電動貨車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 10:03 UTC 版)
1 → 4(2代) 1909年の伊那電車軌道開業にともない、前述の電動客車3両(1 - 3)と同時認可により、天野工場で製造された電動貨車である。荷重は2t、25PSの電動機を2基、ブリル21E台車に装架し、車体長を18ftとする記録がある一方で、荷重5t、最大長23ft6in×最大高10ft9 1/4in、最大幅6ft1/2in、電動機36PS×2個とする記録もあり、途中で自社松島工場で車体を新造し載せ換え、または、全く別物の新造車に振替えられた可能性が高い。 第1次大改番により2代目4に改称されたが、昇圧後は使用されなくなり、1932年(昭和7年)7月12日付けで廃車された。 2, 3 → 2(2代), 4 → 3(2代), 5 貨物需要の増加に伴って、1914年(大正3年)に4両が天野工場で製造されたものである。荷重は5t、最大寸法は長さ24ft11in×高さ10ft9 1/2in×幅5ft10 1/4inで、台車はブリル21E、電動機は50PS×2である。 3, 4は、第1次大改番によって2, 3(いずれも2代目)に改められたが、1928年(昭和3年)4月25日付けで岡崎電気軌道(後の名鉄岡崎市内線)に譲渡され、同社の1, 2となったが、同社の記録では車両が引き渡された1927年(昭和2年)7月、伊那電気鉄道松島工場製としており、譲渡の際、台枠、台車、電動機等を再用して車体を新造したものと思われる。 初代2については、その後消息不明。5については1927年7月に筑摩電気鉄道に譲渡され同社のデワ2となったが、いつの間にか後述の6の履歴を受け継ぎ、1918年(大正7年)製となっていた。 6 1918年5月9日設計認可の自社松島工場製 の電動貨車で、荷重は5t、最大寸法は長さ23ft6in×高さ10ft9 1/2in×幅7ftで、電動機は50PS×2である。1921年(大正10年)9月15日認可により、台車をブリル21Eに交換し、電動機も36PS×2個としているが、昇圧により使用されなくなり、1932年7月12日付けで廃車となった。
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電動貨車(→電気機関車)
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「西鉄築港線の電気機関車」の記事における「電動貨車(→電気機関車)」の解説
電動貨車は開業時に製造された1 - 3と、1941年(昭和16年)に増備された9の計4両が在籍した。 1 - 3は博多電気軌道が築港線の開業に合わせて製造した1911年(明治44年)日本車輌製の木造2軸電動貨車。車体は丸屋根で、側面中央部に開口部を設け、開口部の両側に窓を1枚ずつ配している。前面は3枚窓で、前面窓下に前照灯を設けている。台車はブリル21Eである。 9は1941年(昭和16年)に汽車会社から譲り受けた木造2軸電動貨車で、1930年(昭和5年)汽車会社製。原発注者は余市電鉄→(余市臨港軌道)であるが、電化断念でストックされていたもの。譲受当時、1 - 3のほかに電気機関車の4 - 8(後述)が在籍していたため、その後に続く9の番号が付された。車体は1 - 3に比べ少し寸法が大きく、側面中央部に開口部を設け、運転台の横に窓を1枚ずつ配している。前面は3枚窓で、前面窓下に前照灯を設けている。台車は担いバネ支持方式である。 1945年の改番により1 - 3・9→1011 - 1014となった。1954年(昭和29年)、他の福岡市内線電車と同時期に集電装置をトロリーポールからパンタグラフに変更したのち、1955年(昭和30年)には空気ブレーキを装備し、同年3月7日付で電気機関車に車種変更している(このときは番号は変更せず)。 その後、1013は1956年(昭和31年)11月10日付で廃車となった。1011・1012・1014は当時増備を進めていた1000形連接車と番号が重複するため1957年(昭和32年)4月1日付で801 - 803に改番され、1961年(昭和36年)2月11日に築港線が休止になるまで使用されたが、路線休止に伴い運用離脱し同年4月20日付で廃車となった。 築港線休止の時点での車体塗装は藍色であった。
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