国鉄20系客車とは? わかりやすく解説

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国鉄20系客車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 07:36 UTC 版)

国鉄20系客車(こくてつ20けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1958年昭和33年)に開発した寝台列車用客車である。


注釈

  1. ^ ただしこの表では、ナハフ21形10両を改造両数に、カヤ21形18両を新製両数に計上しているため、差し引き8両多い481両を新製両数としているが、32-33頁の表、及び35頁の記述どおり473両が妥当である。
  2. ^ 電源車については全車金属ばね台車を装着した。
  3. ^ 国鉄では当初製造メーカーである日本車輌と日立製作所に塗装案の提出を要求した。これに対し日本車輌はグリーングレーとワインカラーのツートン、日立製作所は濃淡の異なるグレーによる塗り分けを提案したが、当時はまだSL牽引区間が長く煤煙による汚れを考慮した結果、メーカー案はいずれも却下され、国鉄案であった青15号にクリーム色1号の帯が採用された。下回り塗装を初期車はグレーとしたが後に黒に変更された。
  4. ^ ナハフ20形1958 - 59年製造車は平面ガラス2枚。
  5. ^ 当時の総理大臣であった岸信介が地盤の山口県と東京との往来に愛用した逸話もある。
  6. ^ 戦前の鉄道院基本形客車などでは政府高官用として特別室と称する個室を備えた車両が存在したが、これは通常の営業には使用されておらず、一般向けは1等寝台室であっても定員2名以上となっていた。
  7. ^ 後に「乗客乗務掛」を経て「車掌補」に改称。
  8. ^ 国鉄の正式な役職としては廃止されたが、OBは外郭団体に再雇用されて引き続き乗務していたため、実態としては一斉に全廃されたわけではない。
  9. ^ 「おが」の普通列車区間では乗客を座席車に案内した上で、ドアを開放したまま運転した記録が残されている[10]
  10. ^ 当初は愛称を表示板内部のガラス板に直接記入しており愛称の差し替えは不可能だったが、後に差し替え可能なように改造・設計変更された。
  11. ^ 絵入りのサインマークでは漢字の「男鹿」とされた。なお、絵無しのものは「おが」「OGA」(貫通型のみ)と表示されていた。
  12. ^ 車両運用共通化の観点から、1963年製の「みずほ」用の増備車以降は固定式だった行先表示灯と列車名表示灯を長山式と呼ばれた手動巻取式の幕式表示機に変更。
  13. ^ ごく少数残っていた普通車については青地の無表示。
  14. ^ 牽引・走行性能が確保されていれば暖房供給装置を持たない機関車でも本系列での営業運転に使用できることとなったが、のちにブレーキ改良による制約が新たに生じている。
  15. ^ 冷房フル稼働となった1959年夏には故障が相継ぎ、急遽途中駅で大量の氷柱が運び込まれたこともあった。また日立製のAU22形搭載車の場合、下松駅に臨時停車させ乗客を乗せたままその場で駆けつけた日立の技術者が部品を交換して復旧させたというエピソードもある。対策としてシステムの信頼性向上がメーカーと国鉄で行われた結果、点検口配置などを見直したAU21B・AU22B形が開発され増備車から換装された。
  16. ^ 国鉄の車両諸元表(製造時点)にて、電源車以外の重量は一番重いナロネ20(定員18人)で31.5 t,一番軽いナハフ20(定員68人)で28.4 t(最小値)。換算両数の規定どおり20人1 t(=50 kg/人)と洗面所用等の所定量の水を積むと、「ナ」級積車重量の上限32.5 tは実際には当初より超過していた可能性があるとされる。鉄道ピクトリアル通巻763号23頁
  17. ^ 後年追加装備で結局実質「オ」級になっている
  18. ^ 連絡回線として牽引機関車側にも装備されていれば有効ではあるが、未装備の機関車も多く1970年代半ばから機関車側との連絡が無線に移行したため装備する機関車間とも使用停止となった。
  19. ^ このため一時は最高速度100km/hで運転される高速貨物列車の方が寝台特急より高速という逆転現象が発生した。
  20. ^ 新造当初よりAREB改造を想定した機器配置としており、後年になってブレーキの緩解不良対策として制御弁をA動作弁からKU1制御弁に換装したことによりCREBへ称号変更された。
  21. ^ ED73形1000番台EF70形1000番台などの改造車、EF65形500番台(P形・F形)・1000番台(PF形)EF66形EF81形ED75形1000番台ED76形1000番台などの製造当初から装備を搭載して新製された形式が存在する。しかし、一部線区では軌道条件あるいは車両性能の問題から最高速度は100km/hに制限された。
  22. ^ 95km/h以上の高速域でブレーキ圧を1段増圧することで応答性能を向上させる。
  23. ^ 通常のK14弁などに電気接点を追加してブレーキ指令が通常のA動作弁に対するもの以外に各車の電磁給排弁に対して伝達されるようになり、空気圧指令で問題となる最後尾車への指令到達までの遅延時間が大幅に短縮された。
  24. ^ 本系列を牽引する定期運用への充当に際し元空気溜管を新たに設置したEF58形P形(車番については原番号のまま)・ED74形EF80 1 -12DD54 32 - 37などと、製造当初から重連運転総括制御に対応するため元空気溜管を装備するDD51形500番台以降・DF50形・ED75形0番台などの2グループが該当する。なお非常時の迂回運転や車両基地・工場への回送等の際には、元空気溜管引き通しを持たない機関車の牽引例も存在するが、この場合はブレーキ取扱に制限がある。
  25. ^ 2人用個室であっても寝台券は1人分ずつ別個に発売されており、いわゆる「相部屋」の状態がしばしば発生した。
  26. ^ 細部設計を製造メーカーごとで任意とさせることで、デザインや技術力の向上というメリットがある反面、同一形式でありながら複数のマニュアルが存在して現場が混乱したり、予備部品を余分にストックする必要が生じるなど保守面では大きなデメリットも存在する。
  27. ^ 中段寝台の収納方法は、在来車の座席使用時の背ズリを兼ねる下方収納から、上方格納に変更され、下段座席の背ズリ部は新たに設けられた物が固定された。
  28. ^ 寝台の組み立て・収納時に座る場所を提供する。
  29. ^ a b 1958年の本系列登場当時は、出張旅費で2等車が認められても寝台料金は認められないという規程を持つ会社が多く存在したことからの対応で夜行列車であっても座席車の連結は必須事項であり、当初計画での全寝台車編成を変更して座席車を設定した背景がある。また、東海道新幹線開業前は「特急列車の最終便(上りでは始発便)」となっていたことから、東京-名古屋・大阪といった東海道区間での座席需要自体も存在した。
  30. ^ 特ロ。のちグリーン車
  31. ^ 20系登場以前にもカシ36形食堂車の厨房において試験的に電気レンジや電気冷蔵庫が採用されたことがあったが、車軸発電機の電源を使用していた故に不具合の発生が多かったこともあって、僅か1年で旧来の石炭レンジと氷冷蔵庫に戻され、同時にカシ36形もマシ35形に編入されている。
  32. ^ 営団地下鉄6000系などで採用された比較的シンプルなデザイン。
  33. ^ 電話室から車販準備室への設計変更は実際の使用実績ならびに以後の計画もなかったためである。しかし後に青森運転所配置車が青函連絡船交信用無線機を搭載することになり、電話室車が列車電話用配線や一部機器を利用したほか、車販準備室設計変更後の24 - 26(1970年製造)も同様の改造を施工された。
  34. ^ 日立製作所は1963年に本系列の製造を打ち切ったため1968年の設計変更該当車はない。
  35. ^ 最終増備車が1970年製であり 法定耐用年数に達していない車両も存在していたことによる措置。それらの車両は品川運転所や厚狭駅などの側線に留置されていた。
  36. ^ 当時「あさかぜ」に連結されていたオハニ36形の荷物室の容量に合わせたことによる。
  37. ^ 映画「特急あさかぜ」では日立製作所笠戸工場で“スニ20 51”として製造中の映像が確認できる。
  38. ^ 明かり窓の位置は1と51・52とで異なっていた(51・52は同一)。
  39. ^ 当初は燃料タンク1基で東京 - 博多間の片道約17時間に余裕を持たせた20時間の連続運転を想定、これを往復分の2基としたが、実運用では片道ごとに給油する形となり、かつ長崎までの運転区間延長にも余裕があると判断された。
  40. ^ 1963年(昭和38年)製の3・53では電源装置の機器や車体内外の部材変更等で軽量化を図ったが、それでも不十分であった。
  41. ^ TR66形台車は24系客車の電源車でも一部仕様を変更の上で採用された。
  42. ^ 長崎本線は戦前戦中長崎港を経て上海へ至る中南支方面への重要補給ルートに位置づけられており、このため単線ながら東海道山陽線の軌道等級「特甲」に次ぐ軌道等級「甲」で整備されていた。カニ22形導入にあたり、長崎本線での牽引機にはC61形を充当、後にC60形に変更されたが、これらの「さくら」以外での運用範囲をも考慮し、佐世保線大村線の軌道強化も行なっている。
  43. ^ 1960年(昭和35年)製造分は荷重3 tであったが実際には2 t積みで運用され、1963年(昭和38年)製造分では設計が変更されたため2 tとされた。
  44. ^ この2ページにそれぞれ1枚ずつ掲載されている写真では、「はやぶさ」を牽引するC61形の次位に連結された電源車がパンタグラフを下ろした姿のカニ22形であることから、カニ22形がパンタグラフ撤去前にもカニ21形の代走として「はやぶさ」に充当されていたことが検証できる。よって、一部の文献にある、「はやぶさ」にはMGとパンタグラフを搭載した時代のカニ22形は使用されなかった、と言う記述は厳密には誤りということになる。なお、カニ22形を運用する場合は、70 km/hの速度制限を実施していたため、熊本 - 西鹿児島間では遅延状態となっていた。
  45. ^ このため「あさかぜ」で使用されていたマニ20形が「はやぶさ」に捻出される一方で、「さくら」で使用されていたカニ21形を「あさかぜ」充当に変更する、電源車の玉突き的交換が実施された。
  46. ^ 「はくつる」「ゆうづる」運転開始時には東北本線・常磐線も電化区間ではED75形やEF80形といった軸重16 tの電気機関車が入線できるよう軌道強化され、非電化で残る区間もC62形・C60形の入線や電化工事の延伸に伴って軌道強化が進められており、MGを搭載した状態のカニ22形でも運用が可能であった。
  47. ^ 撤去当初は山陽本線全線電化後にMGの再装備を想定していたことからパンタグラフや配線類を残していたが、上り列車での電源車故障に備える予備車として門司客貨車区に転属することになった1965年(昭和40年)までに撤去された。また、荷物室の荷重は3 tとして運用された。
  48. ^ 供奉車460号の改造実績を参考に施工している。
  49. ^ 発電容量が低いことと、発電装置設置に伴う車両重心の偏りから来る速度制限から、本務電源車の代用とする際は山陽線内で途中交換とすることが決められていた。実際、予備車時代に数回故障した電源車の代車として使用され、品川から下り列車で手配される電源車と岡山付近で交換されたほか、1968年(昭和43年)頃に新大阪まで代走した記録がある。ただ1963年11月には鶴見事故の余波(ダイヤ乱れ)により起きた衝突事故(11月11日未明発生)で電源車が不足し、「あさかぜ」用電源車として下関 - 東京の全区間走行したところを撮影(鶴見 - 川崎、11月12日朝)した写真が納められている。鉄道ピクトリアル通巻763号p.89
  50. ^ 山口線でのイベントの際にC57 1の牽引を受けたことがあるが、これが実現したのもカヤ21形への改造施工があったため可能となった。
  51. ^ 電源車がカヤ21形の場合であっても、20系のみもしくは20系併結改造を施されたワサフ8000形8800番台を連結した編成かつ元空気ダメ管を持つ機関車が牽引に当たる場合はカヤ21形のCPは使用せず機関車側から元空気溜管が引き通される。
  52. ^ 本系列において座席車として製造された車両は、当時既に寝台車への改造や廃車によって消滅していたため。
  53. ^ 改造工事の遅れで「十和田」の置換え時には座席セット状態のナロネ21形が使用されたが、網棚がないなどの苦情が多発した。
  54. ^ 日立製作所は「オリエント急行'88」のメインスポンサー
  55. ^ ナハネフ23 8は日本車両製であるが、日立製作所製の20系客車は比較的初期に製造された車両が多かった関係上、1980年度までに全車廃車となっていたことで、既に当時残っていた20系客車は日本車両製しかなかった。
  56. ^ 板谷峠を擁する福島 - 山形間では、書類上牽引定数に足るとされたEF71形が単機で牽引していた「あけぼの」の空転が積雪による影響で粘着係数が低下する冬期に続出。原因に出火対策工事による製造当初と比較しての重量増加が挙げられた。このため「あけぼの」での冬期運用は、暫定的にED78形を補機とした重連運転で編成重量増加に対処。24系化後は編成重量が増加したことから粘着係数に絶対的余裕のあるED78形重連限定、編成短縮後はED78形+EF71形の重連となった。
  57. ^ 多層建て列車に対応しつつ、防火対策を強化の上、2段寝台化した14系15形への置き換えによる。
  58. ^ 改造種車である14系や12系とも連結可能。
  59. ^ 牽引機はEF58 150が充当され、新大阪駅では記念式典が行われた。
  60. ^ 老朽化により2005年に解体。

出典

  1. ^ 『鉄道ピクトリアル』763号、32-33頁。
  2. ^ 『鉄道ピクトリアル』763号、75頁、「年度末両数表」[注 1]
  3. ^ 『鉄道ピクトリアル』763号、20頁、22頁など。
  4. ^ 『鉄道ピクトリアル』763号、18頁、22-25頁。
  5. ^ 国鉄形車両の記録 20系固定編成客車 P64
  6. ^ 国鉄形車両の記録 20系固定編成客車 P65
  7. ^ 国鉄形車両の記録 20系固定編成客車 P66
  8. ^ a b 『日立評論』第40巻第12号、p.71
  9. ^ 『車掌裏乗務手帳』坂本衛 1998年11月 山海堂より。
  10. ^ 「鉄道ジャーナル」1984年1月号。
  11. ^ 交友社『鉄道ファン』391号(1993年11月号) 62頁。
  12. ^ 『鉄道ピクトリアル』2020年11月号別冊、28頁。
  13. ^ 国鉄形車両の記録 20系固定編成客車 P39-P40
  14. ^ 『鉄道ピクトリアル』2020年11月号別冊、41頁。
  15. ^ 鉄道ピクトリアル アーカイブス セレクション 16 国鉄の客車 1950~60』40頁。
  16. ^ 『鉄道ピクトリアル』2020年11月号別冊、36頁。
  17. ^ 国鉄形車両の記録 20系固定編成客車 P71
  18. ^ 鉄道ピクトリアル アーカイブス セレクション 16 国鉄の客車 1950~60』57頁。
  19. ^ ネコ・パブリッシング「国鉄時代」Vol.54「九州の鉄路」p.49-50[注 44]
  20. ^ 国鉄形車両の記録 20系固定編成客車 P30 P75
  21. ^ 国鉄形車両の記録 20系固定編成客車 P75
  22. ^ 交友社『鉄道ファン』43号(1965年1月号)20頁編成表。
  23. ^ 交友社『鉄道ファン』43号(1965年1月号)表紙 p41頁掲載写真。
  24. ^ キネマ旬報社『蒸気機関車』31号(1974年5月号)p16-17・20掲載写真。
  25. ^ 「かいもん」「日南」は本来集中電源式の24系で置き換えられたが、20系同様スハフ12からの給電であった。
  26. ^ 『鉄道ピクトリアル』2020年11月号別冊、71頁。
  27. ^ 鉄道記録映画社『鉄道ジャーナル』15号(1968年11月号)p.50-52
  28. ^ 鉄道ジャーナル社『リバイバル作品集2 ドキュメント列車追跡 昭和45年』(1982年7月)p.14
  29. ^ 鉄道ピクトリアル通巻763号 2005, p. 39.
  30. ^ “ブルトレ20系客車 さよなら運転 JR西日本”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (1997年12月2日) 
  31. ^ 交友社鉄道ファン』1999年1月号 通巻453号 p.114
  32. ^ SLホテル終着 小岩井農場 開業32年、閉鎖へ - 河北新報、2009年2月26日(インターネット・アーカイブ)
  33. ^ ナハネフ22形式客車を輸送しました。 (PDF) - 鉄道博物館、2006年3月30日
  34. ^ 加藤新市 (2015年9月30日). “国民宿舎 「関ロッジ」廃止 亀山市、赤字解消は困難 /三重”. 毎日新聞 (毎日新聞社). オリジナルの2016年7月3日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20160703142613/http://mainichi.jp/articles/20150930/ddl/k24/010/143000c 2017年2月26日閲覧。 
  35. ^ 鉄道ファン編集部、2017、「POST」、『鉄道ファン』57巻(通巻671号(2017年3月号))、交友社 p. 152
  36. ^ 20系客車ブルートレインについて”. ゲストホテル関ロッジ. 2018年1月14日閲覧。
  37. ^ 日本国有鉄道 ナハ21 9 - 鉄道友の会名古屋支部
  38. ^ プロムナード”. 展示車両紹介. 京都鉄道博物館. 2020年3月10日閲覧。
  39. ^ 小佐野 景寿 (2017年6月17日). “「公園のブルトレ」修復に取り組む社長の熱意”. 東洋経済オンライン. 東洋経済新報社. 2017年6月19日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2017年6月19日閲覧。
  40. ^ 【動画あり】国鉄の名車が泣いている…立ち上がった11歳 「ナハネフ22」救出タッグ - 西日本新聞、2019年10月25日
  41. ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1985年10月号(通巻454号)p.97 沖縄にある保存車両
  42. ^ 交友社鉄道ファン』1998年12月号 通巻452号 p.129


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