国鉄キハ37形気動車とは? わかりやすく解説

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国鉄キハ37形気動車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/19 01:13 UTC 版)

国鉄キハ37形気動車
キハ37 1とキハ20形加古川線列車
厄神駅、1985年4月29日)
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
西日本旅客鉄道
水島臨海鉄道
製造所 新潟鐵工所富士重工業
製造年 1983年
製造数 5両
運用開始 国鉄:1983年
水島臨海鉄道:2014年
運用終了 JR東日本:2012年
JR西日本:2009年
水島臨海鉄道:運用中
主要諸元
軌間 1067 mm(狭軌
最高速度 95 km/h
車両定員 0番台:138人(座席64人)
1000番台:146人(座席66人)
自重 0番台:31.6 t
1000番台:30.7 t
全長 20000 mm
車体長 19500 mm
全幅 2928 mm(乗務員室側開戸手すり間)
車体幅 2800 mm
全高 3865 mm(通風器上端)
車体 普通鋼高張力鋼
台車 軸箱守式コイルばね台車
DT22E・TR51D
動力伝達方式 液体式
機関 DMF13Sディーゼル機関
機関出力 154.5 kW(210 PS) / 1600 rpm
変速機 TC2AもしくはDF115A
変速段 変速1段・直結1段
制動装置 DA1自動空気ブレーキ直通予備ブレーキ手ブレーキ
保安装置 ATS-S
備考 製造当初のデータ
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国鉄キハ37形気動車(こくてつキハ37がたきどうしゃ)は、1983年日本国有鉄道(国鉄)が導入した気動車である。

5両が製造され、1987年国鉄分割民営化に際して東日本旅客鉄道(JR東日本)に3両が、西日本旅客鉄道(JR西日本)に2両が引継がれた。2024年時点では水島臨海鉄道がJR東日本からの譲受車3両を保有する。

概要

本形式はキハ40系の後を受け、その反省点を多分に盛り込んだ次世代車両として開発・製造された。

導入の経緯

1970年代の国鉄では、代替が必要となっていた初期の液体式気動車の置き換え用として、キハ40系約900両とキハ183系約100両を導入していた[1]。しかしながら、輸送の効率化や特定地方交通線の廃止等の動きがあるなかで気動車の所用両数の減少が見えてきたため、一般形気動車は1982年度、特急形気動車は1983年度をもって一旦導入を取りやめ、急行形気動車と一部の特急形気動車の特別保全を実施しながら、1990年前後から置換時期を迎える、1965年前後に大量に導入された気動車の代替を検討することとなった[1]

当時の日本では、1970年代に起こった2度のオイルショックを契機にエネルギー安全保障の観点から省エネルギーが謳われるようになっており、あわせて国鉄の経営状況と燃料価格の上昇に鑑み、1981年当時の国鉄では気動車に関し、エンジン直噴化や車両の小型軽量化による省エネルギー化と、機関の大出力化による高出力車の2基→1基エンジン化や新設計エンジンによる省力化が構想されていた[2]

具体的には、一般形気動車として、キハ40系が導入された線区よりも経営環境の厳しい路線での運用に使用するために車両費・運行経費を削減できる車両が計画されており、例えば17 m級車体や小断面車体の採用、廃車発生品や自動車用部品の活用、耐用年数の見直しなどが総合的に検討され[3]、一方ではキハ58系を代替する急行用気動車が計画されており、エンジン1基で必要な性能を確保するためにステンレス車体、DMF15系の直噴機関の採用などが検討されていた[2]。これと並行して新型エンジンの開発も進められており、1981年時点ではキハ40系のDMF15HSAを直噴化改造したDMF15HSA-DI、DMF15HSAをベースに直噴式・電子ガバナ装備の新設計とした、新形式急行用気動車向けのDMF15HZB、軽快気動車用として舶用機関を転用したDMF13Sの開発が進められていた[4]

キハ37形の概要

前項のような経緯を経て、「気動車本来の目的である比較的閑散な線区での合理的な運営に役立つ[1]」車両として、地方線区の輸送実態に対応し、新製コスト・運行経費の低減を目的とした地方交通線用の一般形気動車であるキハ37形が開発され[5]、1981年度3次債で5両の量産先行車が製造されて同年2月より久留里線加古川線で運用されている[6]

前形式のキハ40系は、幹線での長距離運用や連続高速運転なども念頭に設計された[要出典]ため、極寒地・寒地向けでは空気ばね台車を使用するなど、接客面での質は大きく向上したものの、ローカル線向け車両としては過剰な面もあり、新造費も高かった。一方、機関と変速機は 設計の陳腐化[要出典]と、コストダウンおよび重量制限の影響で、増加した車両重量を補う分のみの機関出力向上とされ、燃料整備などの維持費も減らなかった[要出典]。キハ37形は、その点からの再検討も行った結果、地方交通線の実情に合わせた、必要十分な性能と製造・維持コストの低減を目的とした新しい設計となった。例えば、標準搭載される装備は最小限に抑える一方、地域ごとに必要になるものはオプションとすることで、各地域の特徴に合わせた装備ができるよう配慮されていた[7]

1980年代の時点で使用されていた国鉄の気動車は、戦前の基本設計で、既に陳腐化していたDMH17系エンジン、もしくはDMF15DML30系エンジンを使用していたが、性能的にも陳腐な上、設計が不十分で熱問題を抱え、維持費の増加も顕著になってきていた。そこで、排気量の割に非力で燃費も優れない従来の機関に対し、性能向上と省燃費を実現するため、キハ37形は国鉄の気動車として初めて直噴式ディーゼルエンジンを採用した[注 1]ほか、製造コスト削減の見地から廃車発生部品が再利用された。

キハ37形以降の国鉄気動車の動向

キハ37形は5両が量産先行車として製造されたが、同時期に第1次特定地方交通線の廃止が具体化し、また、経営改善計画に則った輸送改善が1982年11月、1984年2月、1985年3月に実施されることとなって車両需給が見通せなくなったため、一般形気動車の新製は一時中止されることとなり、本形式の量産は実施されず[10]、一方で、並行して設計されていた新形式急行/特急形気動車[注 2]の導入も見送られ、キハ40系の直噴化(DMF15HSA-DI化)改造も1987年までに北海道配置の112両に実施されたのみとなった。

キハ37形の量産が見送られた後の1985年の時点では、一般形気動車の所要数は約2200両で、うち約600両は特別保全工事を実施した急行形気動車を、1000両はキハ40系を継続使用するが、残る約600両は1990年手前頃より順次代替する必要があると見積もられており[15]、まずは車両需給の見通せない状況下で導入しても手戻りとならず、かつ優先度が高いと考えられたキハ35系の代替が実施されることとなり[10]、キハ37形をベースとしたキハ38形が導入された[15]。並行して北海道、四国、九州向け気動車の設計も進められ[15]、分割民営化の時点でこの3島に残る1965年度以前製造の一般形気動車約300両のうち、輸送効率化、電化、路線廃止等による必要数削減後も残ると見積もられる約100両を代替することして、キハ54形キハ31形キハ32形計82両が導入されている[16]。これらの国鉄最末期(1986年 - 1987年)に導入されたキハ38形、キハ54形等には本形式での経験が活かされた[注 3]

また、DMF13Sが搭載された気動車は国鉄では本形式が唯一で、以降の直噴式エンジンはこれを横型としたDMF13HSとDMF15・DML30系のDML30HSJの2種が使用されたが、本形式の導入時期は特定地方交通線を転換した第三セクター鉄道の草創期であり、DMF13Sと同型の新潟鐵工所製6L13ASエンジンが三陸鉄道36-100形・36-200形神岡鉄道KM-100形・KM-150形鹿島臨海鉄道6000形7000形で採用されている[注 4]

構造

設計

本形式の車両構造および機器類は運用に必要な装備を有する標準型を設定し、そこに使用線区の要望に応じて用意されたオプションを装備する方式としており[17]、標準型は平床の片運転台式、片側2扉ロングシートトイレ・冷房無し、キハ25形ベースの保安機器・運転台機器となっていた[18][注 5]。オプションとして両運転台式やクロスシートの装備、トイレの有無等を選択することが可能で[20]、計画されていたオプションは以下の通りとなっており[21]、量産先行車にも高運転台、トイレ(0番台車)、制輪子の自動隙間調整装置、キハ40系と同じ内外両方向に開閉できる運客仕切戸、運転台の蛍光灯時刻表差しなどがオプションとして装備された[18]

キハ37形オプション一覧[21]
項目 標準仕様 オプション 先行量産車の仕様 備考
運転室 運転室 片運転台 両運転台 片運転台
運転台 低運転台 高運転台(床面上350 mm)
運客仕切扉開方向 運転室側 運転室・客室両側[表注 1]
正面貫通扉膨張性シールゴム 隙間風防止用
暖房装置 温風暖房 温水暖房の増設 温風暖房
時刻表差し照明 スポットライト 蛍光灯
運転台窓ウィンドウウォッシャー
客室設備 座席配置 ロングシート セミクロスシート ロングシート 側面窓配置は共通
トイレ 一部有 先行量産車は0番台にのみ設置
扇風機 総括制御 分散制御 総括制御
冷房装置 AU79改 電源装置は一部車両に100kVA発電機を設置、併せて暖房装置を電気暖房に変更
機器・装備 運用地区 暖地 寒地
酷寒地
暖地 寒地:出入台構造変更、暖房強化
酷寒地:台車[表注 2]を除きキハ40形100番台相当
排障器・スノープラウ
制輪子自動隙間調整装置
連結器自動解結装置[表注 3] 先行量産車は設置スペースを確保[22]
機関ブレーキ[表注 4]
  1. ^ 客室側にも開くことで事故時に乗務員の客室側への避難が容易となる
  2. ^ まくらばね、軸ばねともにゴム被覆付きのコイルバネとする
  3. ^ 電気連結器を左右に、空気連結器を下部に併設した密着自動連結器と空気シリンダ式自動解結装置を装備する[22]
  4. ^ 1963年度本予算車以降のキハ58系の一部以降の各形式に装備されている[23]

量産先行車の5両は車両価格低減のため、廃車発生品を国鉄工場で整備の上で製造メーカーに支給をしており、台車(一部部品を新製)、推進軸、連結器、MC19主幹制御器、制御回路スイッチ類[注 6]、ME23Dブレーキ弁、A制御弁、その他弁類[注 7]、空気圧縮機および調圧器、ブレーキシリンダー、コック類、機関予熱器および注水三方弁などが再利用されている[24]

本形式の自重はトイレ付の0番台が空車31.6 t、積車39.7 t、トイレ無の1000番台が空車30.7 t、積車38.7 tとなり[25]、トイレ付・片運転台車での比較において、キハ47形0番台より約4 t軽く、キハ25形からは約1 - 1.5 tの増に納められている[注 8]。その結果、積車時の性能曲線においては、キハ40系との比較では、約53 km/hまでは本形式の加速力はキハ40系を上回るが、約53 - 63 km/hでは若干下回り、約63 km/h以上では若干上回るかほぼ同等、キハ35系との比較では全ての速度域で上回る性能となっており、上り25パーミルでの均衡速度はキハ35系が約28 km/h、キハ40系は約33 km/hであるのに対し、本形式は約38 km/hとなっている[27]

車体

構造

トイレ付きキハ37形0番台
幕張車両センター木更津派出 2007年4月7日)

キハ40系と同じ片側2扉であるが、居住性向上のため車体の長さと幅を拡大したキハ40系に対し、車体長を20.8 mから19.5 mに、車体幅は2900 mmから裾絞りのない2800 mmへとそれぞれ縮小し、キハ20系の1基エンジン車と同寸法となった。一方、エンジン上端部がレール面上1218 mmとなることから、台枠上面高さがキハ40系の1170 mmから1255 mmとなり、床面高を抑えるため、エンジン上部が台枠内に入り込む構造としたほか、キハ40系では火災対策のため波型鋼板とアルミ板の二重床(厚さ70 mm)であったのに対し、本形式では台枠上に2 mm厚の鋼板を貼ったのみの構造となり、床面高はキハ40系の1240 mm、キハ20系やキハ35系の1250 mmと大きくは変わらない1260 mmとなった[28]。また、床面にはエンジン点検口が設置された[29]

客用扉は片側2ヶ所で、扉幅1000 mmの片開き引戸とされ、側開戸や正面貫通扉とともに、キハ40系ではステンレス製であったものが、価格低減のために一部を除き鋼製となっている[30]。扉配置は、酷寒地仕様車との共通性[31]および 将来のワンマン運転を考慮して[要出典]前位側の客用扉を運転台に隣接させる一方、乗客の流動に配慮して、後位側の客用扉は車体中央に寄せ、2両編成を組んだときに扉の間隔が均等になるようにしている[31]。戸閉機械はキハ24形、キハ46形、キハ40形と同じ鴨居設置、自動・半自動切換式の[32]TK105を使用しており[25]、軽量化のため戸袋窓は省略された[28]

前面は三面折妻で中央に貫通扉を配し、キハ40形まで使われていたパノラミックウィンドウから平面窓に変更となり、助士席側窓上に手動の種別・行先表示器が備わる。量産先行車では運転士の前方視界確保と踏切障害事故時の安全性確保のための高運転台構造とした[33][注 9]。運転席を530 mm高くし、前面外板を4.5 mm厚とするなどの前面強化・安全確保策を行なったキハ40系に対し、本形式では運転席はキハ58系と同じく300 mm高くし、従来の一般形気動車における前面強化改造車と同等の前面強化としているほか、キハ40系と同じく運客仕切戸を事故時の運転士の避難を容易にするためにどちら側にも開くものとしている[33]前照灯は貫通扉上にまとめられ、前面窓下両端部に尾灯を備える。

運転台は鉄道労働科学研究所の推奨事項を参考に機器配置、居住性などが検討されており[33]、奥行は1630 mmで、キハ40系などの1940 mmよりは狭いものの、キハ45系の1415 mmやキハ25形の1305 mmより広くなっている[34](いずれも前面構体厚を含む数字)ほか、主幹制御器やブレーキ弁等は手前に10 °、表示灯は奥に27 °それぞれ傾けて操作性・確認性を向上させている[25]

車体塗色は褪色防止のため赤11号急行形気動車の窓周りの赤と同じ色)の一色塗りに変更となり、キハ40系などの在来の一般形気動車に施されていた朱色5号とは色合いが異なる[33]

車内設備

暖房用吸気ダクト(扉横)と冷房室内機(天井付近)
1000番台室内(共にJR東日本車)

座席はキハ40系のセミクロスシートに対して本形式では運転線区の実態から全席ロングシートとしているが、窓や出入口の配置などの客室構造はオプションのセミクロスシート仕様と共通となるよう設計されている[注 10][29]。定員はトイレ付きの0番台が138人(座席64人)、トイレなしの1000番台が146人(座席66人)である。座席は座布団、背摺りともに幅2180 mm(1000番台の車端部のみ1300 mm)[35]で、ロームブラウン色をベースに中央1人分をヘーゼルナッツ色として着席区分としたものを並べて配置しており、ゆったり座れるよう奥行きを深く、高さを低くすることとして[36][33]105系と同じく背摺を含む奥行を600 mmとしている[35]キハ35形と同様、トイレの向かい側のみ4人掛けのボックスシートとなっている[35]

座席に対応する位置の長手方向につり革荷物棚が装備されている。袖仕切りはステンレス製パイプで袖仕切付近の吹寄部には灰皿が装備されていた[25]が、後に灰皿は撤去され、2位側扉との間の袖仕切りが板状のものとなっている。

客室窓は、上段下降・下段上昇の外ハメ式ユニット窓で、軽量化と価格低減のため、窓幅をキハ40系の1080 mmから930 mmに狭めつつ、窓錠の受穴を設けるためのスレ金を省略して窓外枠に直接受穴を設けるなど構造を簡略化しているほか、各窓に灰色をベースに青色の縦縞を入れたロールカーテンを備える[37]

ベンチレーターは押し込み形で、天井にはその換気口と扇風機各6基が交互に装備されている[35]。キハ40系に引続き温風式暖房装置が採用されており、同系列では室内・室外の双方に吸気口を設け、熱交換器を2台搭載して室内左右座席下に温風ダクトを設置していたが、本形式では熱交換器は1台で吸気口は室内の4位側戸袋部の天井付近となり、床部からダクトが立ち上がっているほか、温風ダクトが室内片側のみの設置となっている[25]。床下の熱交換器でエンジンの排熱もしくは機関予熱器[注 11]により加熱されたエンジン冷却水と熱交換された温風は、座席下のダクトから室内へ吹出される。

ワンマン運転を想定した設計とされている[要出典]が、JR西日本、JR東日本所属車共にワンマン化改造は行われていない。

主要機器

機関および変速機

国鉄の気動車としては初めてとなる[注 1]過給器付き直噴式縦形(直立シリンダー形)エンジンDMF13S (210 PS / 1600 rpm) [40]を1基搭載している。直噴式は予燃焼室式のエンジンに比して10 %程度燃費が良い、構造が簡単で部品点数も少ない、燃焼室および排気温度が低いためエンジンの信頼性が向上する、冷間時の始動性に優れる[注 12]といった特徴がある一方で、最大爆発力が高く騒音・振動が大きい、燃焼に対する燃料噴射ノズルの状態の影響が大きいためその的確な点検が必要といった欠点があるとされていた[42]。DMF13Sは船舶用エンジンとして定格出力330 PS / 1900 rpmで使用されていたものを鉄道車両用に設計変更したもの[4][注 13]で、新規にエンジンを設計する場合に比較してコストが抑えられている[注 14]

液体変速機は廃車発生品のTC2AもしくはDF115Aを流用しており、エンジンとともに機関吊用共通台盤に装荷されるため、変速機油配管が一部が変更されているほか、エンジンのセルモーターがDMH17H機関から変更となったため、リングギヤおよびハズミ車が変更されている[46]

機関制御方式はキハ40系は電磁式燃料制御装置[47]、DMF15HSA-DIは電子式燃料制御装置[13]であったのに対し、本形式のDMF13SではDMH17系エンジンと同じ空気式燃料制御装置に戻された[27]ため、長時間の留置等により車両の空気圧が低下しても機関の起動を可能とするために必要となる燃料制御装置専用の圧縮空気を確保する[47]機関起動補助装置が搭載されている[18]。併せて、冬季の留置時に機関冷却水の水温に応じて機関の停止・アイドリングと機関予熱器水ポンプを自動的に制御する[48]機関自動起動装置の準備工事がされている[18]

台車・ブレーキ装置等

DT22E形台車
TR51D形台車

台車DT22・TR51系のDT22AもしくはDT22C(動台車)[注 15]「交通、TR51AもしくはTR51B(付随台車)廃車発生品を、本形式への転用にあたり改造したものを使用しており、動台車はDT22E、付随台車はTR51Dとなっている[50]。改造は車両の軽量化に伴い荷重条件が変更となったためのもので、上揺枕は新設計のもの、下揺枕はキハ40系用のDT22D・TR51Cと同じものに交換し、オイルダンパーも特性の異なるものに交換したほか、側受は101系電車と同一の防振ゴム式のものとしている[51]

ブレーキ装置はキハ40系に使用されている、長編成対応で応答性・保守性の良いCLE電磁自動ブレーキから、キハ44000形以降キハ45系までの一般形気動車に使用されていたDA系自動ブレーキに戻されており、本形式には片運転台車両用のDA1が使用されている[52]。DA系ブレーキはM23ブレーキ弁およびKB5脚台、A制御弁および管取付座、圧力調整弁等で構成される[53]が、ブレーキ部品にも廃車発生品が使用されている[18]。また、ブレーキシリンダは台車の車端部寄りの床下に設置され[38]、自動隙間調整装置を併設している[18]

空気圧縮機は1935年以降に製造された機械式気動車[注 16][54]と、DMH17系エンジンを1台搭載する各形式において使用されていたC600直列3気筒空気圧縮機をエンジン側面に1基搭載しており、歯車駆動であるキハ40系のCW750に対し、本形式は他のC600搭載車と同じくベルト駆動である。

蓄電池はキハ45系以降に使用されている[55]TRK15-12を長寿命化したTRM-12を2個搭載して容量175 Ah(5時間放電率)としている[56][注 17]ほか、充電発電機はキハ40系の出力4 kVAのDM99交流発電機1基からキハ58系以降に使用されている出力2.5 kVAのDM80D交流発電機1基に戻されている[25]

番台区分

トイレありの0番台が2両、トイレなしの1000番台が3両、新潟鐵工所および富士重工業で製造された。

  • 0番台 - キハ37 1(新潟鐵工所), 2(富士重工業)
  • 1000番台 - キハ37 1001(新潟鐵工所), 1002, 1003(富士重工業)

改造

冷房化改造

JR西日本所有車は1994年バス用の独立機関式冷房装置を転用したAU34冷房装置を搭載している[57]。AU34はキハ38形、キハ31形にも搭載されているもので、床下に搭載したクーラーユニット内に排気量約2.5 lの冷房用機関1基と冷媒圧縮機、エバポレーター、コンデンサーなど一式を搭載して、エバポレーター・コンデンサーの各送風機も冷房用機関で駆動され、能力は26000 kcal/hとなっている[58]

JR東日本所有車は1999年よりバス用の機関直結式冷房装置を転用した、 デンソー[要出典]AU26形冷房装置を搭載している[57]。室内機は千鳥配置で計4箇所が取り付けられ、その箇所の荷物棚は使えなくなっている。冷房化と同時に機関換装も行われた。AU26はキハ185系やキハ54形0番台、キハ32形にも搭載されているもので、走行用の主機で冷媒圧縮機を駆動し、エバポレーターユニットを室内に、コンデンサユニットを屋根上に搭載(キハ185系、キハ54形、キハ32形は両ユニットを一体として屋根上に搭載)して、エバポレーター・コンデンサーの各送風機は電動式、能力は1セットあたり、主機アイドル時14000 kcal/h・最大21000 kcal/hとなっている[58]

機関換装

JR東日本所属車は、1999年から2000年にかけて機関をカミンズDMF14HZ[57]へ順次換装し、縦形(直立シリンダー形)エンジンには必要であったの室内床面の点検口が埋め込まれた。機関本来の出力は350 PSだが、種車の液体式変速機を存置したため250 PSに落として使用している。

運用

久留里線・木原線

キハ37 2、1002、1003の3両は千葉鉄道管理局管内の佐倉機関区木更津支区(現・幕張車両センター木更津派出)に配置され。1983年2月14日から営業運転を開始した[59]久留里線および木原線で使用され、JR東日本に継承された。

1988年に木原線は第三セクターのいすみ鉄道に転換されたため、以後、全車が久留里線で使用された。同線専用となったことで、東京湾アクアラインをイメージしてクリーム1号の地色に太さの異なる複数の青15号の帯が入る、初代久留里線色に変更されている。1996年より塗装が2代目久留里線色へと順次変更され、1999年からは冷房化と機関換装が実施された。また0番台のキハ37 2のトイレは閉鎖された。

久留里線内では基本的にはキハ38形(1996年に八高線より転入)との共通運用で、キハ30形とも併結して運転されたが、2012年12月1日に久留里線の全車両がキハE130形100番台に置き換えられ、運用を終了した[60][61][62][注 18]。その後、2013年7月10日付で3両全車が水島臨海鉄道へ譲渡された[65]

加古川線など

キハ37 1、1001の2両は大阪鉄道管理局管内の姫路第一機関区に配置され、1983年2月21日[59]から営業運転を開始した。加古川線高砂線三木線北条線鍛冶屋線で使用され、後にJR西日本に継承された。塗色はJR化後にエメラルドグリーンに白帯の「加古川色」に変更された[66]

1990年6月の加古川鉄道部発足に伴い同所の配置となる。同月から始まる同線のワンマン運転には全て同所のキハ40形が投入され、本形式にはワンマン化改造が実施されなかった。

キハ37 1001は米子地区転用を見越して1999年8月に鷹取工場朱色5号の「首都圏色」に変更され、加古川色のキハ47形との編成で運用された[67]。その後、1999年10月のダイヤ改正でキハ37形の加古川線での運用が終了してキハ37 1にも鷹取工場で転属のための整備が実施され、同年10月23・24日にはキハ37 1001とキハ40 2134の編成によりさよなら運転が行われた[67][注 19]

山陰地区

後藤総合車両所へ転属したキハ37 1、1001は当初境線で運用され、2002年3月のダイヤ改正以降は山陰本線米子 - 出雲市間でも運用されるようになった[66]。その後、山陰本線米子 - 鳥取間ほか高速化事業によるキハ121・126形の導入に伴い、2003年10月のダイヤ改正を機にキハ37形の定期運用は終了し[66]2009年1月29日付で廃車となった[68][注 20]

譲渡

水島臨海鉄道

水島臨海鉄道はJR東日本の久留里線で運用されていたキハ37形3両をキハ30形・キハ38形とともに譲受し、2014年5月12日より運用を開始した[69][注 21]。トイレは使用停止となり、キハ38形と編成を組んでいた。導入にあたり、以下の通り改番・塗色変更されており、キハ37 101、102の「水島色」はMRT300形のクリームホワイトの部分を水色に変更したもので、また、キハ37 103は導入以来塗装されたことのなかった朱色4号クリーム4号による「国鉄一般気動車標準色」とされた。

  • キハ37 1003 → キハ37 101 (水島色)
  • キハ37 1002 → キハ37 102 (水島色)
  • キハ37 2 → キハ37 103 (国鉄標準色)

2019年3月改正ダイヤでは、三菱自工前水島 - 倉敷市間を平日朝2往復・夕方3往復運行していた[71]

その後2021年12月にはクラウドファンディングによりキハ37 103が新製当時の赤11号に変更された[72][73]

脚注

注釈

  1. ^ a b 戦前の試作ディーゼル動車のうち、キハ41500形に搭載された三菱重工業製の6100VDおよび、キハ42500形に搭載された同じく三菱重工業製の8150VDはいずれも直噴式であった(南満洲鉄道においても、前者が機械式のケハ3型に、後者が同じく機械式のケハ5型に搭載され、改良型の8150VDaが液体式のケハ7型に搭載されている)[8]、DMF15HSA-DIもキハ47形3両で1983年1月から実運用が行われている[9]
  2. ^ 1982年時点では、準特急列車から快速列車までの幅広い運用を想定し、全長20 m、前面貫通型、片側2扉転換クロスシート、客室窓は2連の2段窓のステンレス車体で、集中式冷房装置、ボルスタレス式台車、直噴式のDMF15HZB(300 PS / 1600 rpm)とDW11液体変速機を装備する車両として設計されており[11]、DMF15HZBは1981年には試作機が製作されて試験が開始され[12][13]、新設計のDW11は変速1段、直結1段で液体変速機部はTC2A・DF115Aと同じ3段6要素で、逆転部には爪クラッチを使用したのものであった[14]
  3. ^ 輸送量がさらに小さな路線向けには、本形式でもなお輸送力が過剰であり、両運転台式でさらに小型軽量なキハ31形やキハ32形が導入された
  4. ^ 鹿島臨海鉄道用向けに1993年まで製造された点が特筆される[要出典]
  5. ^ 1981年発行の『鉄道工場』誌第384号には、低運転台、運客仕切戸が内開きで前位側扉も車体中央寄りに配置された形式図が掲載されている[19]
  6. ^ 制御回路開放器、車掌スイッチ、油圧継電器、始動スイッチ、切換スイッチ、帰路スイッチ、蓄電池開放スイッチ、非常警報器スイッチ
  7. ^ D吐出弁、B7圧力調整弁、B3A吐出弁
  8. ^ キハ47形0番代は空車35.5 t、キハ25形のDT22A、TR51A台車の200番台は空車30.0 t、DT22C、TR51B台車の300番台は空車30.7 t[26]
  9. ^ ワンマン運転を行う場合は運転席高さを客室と同レベルまで下げることが望ましく、国鉄末期以降、低運転台のローカル用気動車が導入された。また電車でも、701系313系などは、ワンマン仕様車を設計の基本としているため、非ワンマン仕様車も低運転台となっている
  10. ^ セミクロスシートのシートピッチは1470 mmで、窓間隔もこの数値となっている[22]
  11. ^ キハ31形、キハ32形は機関予熱器を搭載しないが、キハ37形、キハ38形は機関予熱器を搭載する[38][39]
  12. ^ キハ37形と同時期に試作された富士重工のLE-CarやDMF15HSA-DIは実際に冷間始動性に優れていたが、キハ37形はそれらと比較すると始動性に難があり、現車試験の際にも冬季の朝では3両編成全車のエンジン始動するのに3-4回始動操作を繰り返す必要があった[41]
  13. ^ 船舶用と気動車用の兼用として開発されたとする文献[43]もある
  14. ^ 「交通技術」1983年4月号で国鉄車両設計事務所の高橋保實は本形式のDMF13S機関について「従来のDMH17C機関を6シリンダとし、それを直噴化して出力アップを図るため、過給器を取り付けた機関である」と、DMH17系を改良したとも受け取れる記述をしており[44]、DMF13Sは新潟鐵工所の船舶用エンジンである6L13ASを鉄道用に転用したもの[45]であるものの、6L13ASのルーツがDMF13であるかどうかは不明である。技術業界誌の「交通技術」以外に、 同時期に新車としてキハ37形を紹介した鉄道ファン向け雑誌でも、同様に新エンジンをDMH17系派生である解説した記述がみられる[要出典]
  15. ^ 基礎制動装置部分の一部改造することで、DT22Bを使用することも可能[49]
  16. ^ キハ41000形キハ41113号車以降とキハ42000形
  17. ^ TRK15-12を搭載するとする文献もある[25]
  18. ^ 12月11日から12日にかけて3両ともキハ38形、キハ30形とともに新津へ回送されて[63][64]留置された
  19. ^ 1999年11月5日から6日にかけて、加古川鉄道部から鷹取経由で後藤総合車両所へ回送され、鷹取 - 米子間はDE10形の牽引による無動力回送であった[67]
  20. ^ 運用終了後は保留車として米子駅構内に留置されていた[68]
  21. ^ 当初は同年3月末から営業運転を開始する予定と発表されていた[70]

出典

  1. ^ a b c 『一般形気動車の車体更新改造』 p.55
  2. ^ a b 『続・これからの車両を考える』 p.240
  3. ^ 『続・これからの車両を考える』 p.241
  4. ^ a b 『直噴式ディーゼル機関の開発状況』 p.12, 15
  5. ^ 『これからの車両(1) 一般形気動車(キハ37) 新形式特急形気動車』 p.11
  6. ^ 『キハ37形式一般形ディーゼル動車について』 p.18
  7. ^ 『電気車の科学』通巻419号、p.22
  8. ^ 坂上茂樹『動車用三菱8150VD系高速ディーゼル機関について』「大阪市立大学大学院経済学研究科 Discussion Paper」 p.2, 6-7
  9. ^ 『ディーゼル車両の省エネルギー化』 p.27
  10. ^ a b 『一般形気動車の車体更新改造』 p.55-56
  11. ^ 『これからの車両(1) 一般形気動車(キハ37) 新形式特急形気動車』 p.12-13
  12. ^ 『直噴式ディーゼル機関の開発状況』 p.14
  13. ^ a b 『ディーゼル車両の省エネルギー化』 p.25
  14. ^ 『ディーゼル車における省エネルギー』 p.23
  15. ^ a b c 由川透(大宮工場設計室) 「気動車の車体更新」『鉄道工場』第37巻第430号、p.16-21
  16. ^ 久須美康博(車両局車両課) 「新形式気動車の新製計画について」『鉄道工場』第37巻第375号、p.17
  17. ^ 『キハ37形式一般形ディーゼル動車』 p.14
  18. ^ a b c d e f 『キハ37形式一般形ディーゼル動車』 p.28
  19. ^ 『これからの車両(1) 一般形気動車(キハ37) 新形式特急形気動車』 p.12
  20. ^ 岡田誠一「国鉄通勤形・近郊形ディーゼル動車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2004年2月号、p.23
  21. ^ a b 『キハ37形ディーゼル動車説明書』 p.2
  22. ^ a b c 『キハ37形ディーゼル動車説明書』 p.11
  23. ^ 樋口高史『気動車のツナギと機器 改訂増補第10版』交友社、p249
  24. ^ 『キハ37形ディーゼル動車説明書』 p.170
  25. ^ a b c d e f g 『キハ37形式一般形ディーゼル動車について』 p.19
  26. ^ 『国鉄気動車形式図集』 p.83-84, 192
  27. ^ a b 『キハ37形式一般形ディーゼル動車について』 p.21
  28. ^ a b 『キハ37形ディーゼル動車説明書』 p.9
  29. ^ a b 『キハ37形ディーゼル動車説明書』 p.10
  30. ^ 『キハ37形ディーゼル動車説明書』 p.13
  31. ^ a b 『キハ37一般形ディーゼル動車』 p.15
  32. ^ 石川誠(車両設計事務所)「戸じめ機械のいろいろ(2) 」『車輛工学』第53巻602号、p.8, 11
  33. ^ a b c d e 『キハ37形式一般形ディーゼル動車』 p.29
  34. ^ 『国鉄気動車形式図集』 p.82-86, 161-162, 166-171, 187-201
  35. ^ a b c d 『キハ37形式一般形ディーゼル動車について』 p.22-23
  36. ^ 『キハ37形式一般形ディーゼル動車について』 p.18-19
  37. ^ 『キハ37形ディーゼル動車説明書』 p.11, 13
  38. ^ a b 『キハ37形式一般形ディーゼル動車について』 p.20
  39. ^ 神田貞夫(大宮工場設計室)「キハ38形ディーゼル動車 」『車輛工学』第55巻621号、p.11
  40. ^ 岡田誠一「国鉄通勤形・近郊形ディーゼル動車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2004年2月号、p.24
  41. ^ 松佐諌夫「車両の性能試験から真実を求めて<DMF13Sエンジン>」『車輛工学』53巻596号、p.76
  42. ^ 『直噴式ディーゼル機関の開発状況』 p.11-12
  43. ^ 佐藤一也「4サイクルディーゼル機関の技術系統化調査」『国立科学博物館技術の系統化調査報告』12巻、p.59
  44. ^ 『交通技術』通巻469号、p.30
  45. ^ 高重達郎「鉄道技術来し方行く末 第111回ディーゼルエンジン」『RRR』78巻9月号、p.25
  46. ^ 『キハ37形ディーゼル動車説明書』 p.57
  47. ^ a b 入山迪夫「機関起動補助装置<新装置紹介>」『車輛工学』52巻586号、p.12-13
  48. ^ 谷操「気動車用機関自動起動装置<新装置紹介>」『車輛工学』52巻587号、p.13-15
  49. ^ 『キハ37形ディーゼル動車説明書』 p.25
  50. ^ 『キハ37形式一般形ディーゼル動車』 p.21
  51. ^ 『キハ37形ディーゼル動車説明書』 p.21, 26-27
  52. ^ 『キハ37形式一般形ディーゼル動車』 p.27
  53. ^ 近藤昭次(車両設計事務所)「車両用空気ブレーキ発展の歴史と将来(その5)」『JREA』第29巻5月号、p.18
  54. ^ 日本国有鉄道『鉄道技術発達史 第4篇』 p.139-140
  55. ^ 日本国有鉄道工作局 『国鉄車両諸元一覧表 昭和51年版』、p.150-170
  56. ^ 『キハ37形ディーゼル動車説明書』 p.78
  57. ^ a b c 岡田誠一「国鉄通勤形・近郊形ディーゼル動車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2004年2月号、p.25
  58. ^ a b 『気動車の新しい冷房装置』 p.21-23
  59. ^ a b 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトアリル」1984年10月臨時増刊号新車年鑑1984年版20P記事。
  60. ^ 久留里線新型車両の導入について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2011年12月15日
  61. ^ “久留里線でキハ30・キハ37・キハ38の運転終了”. 鉄道ファン. 交友社. railf.jp鉄道ニュース. 1 December 2012.
  62. ^ “【JR東】久留里線のキハ30形・キハ37形・キハ38形 運転終了”. 鉄道ホビダス. ネコ・パブリッシング. RMニュース. 3 December 2012.
  63. ^ “【JR東】久留里用気動車6輌 配給輸送”. 鉄道ホビダス. ネコ・パブリッシング. RMニュース. 11 December 2012.
  64. ^ “キハ30形,キハ37形,キハ38形が新津へ”. 鉄道ファン. 交友社. railf.jp鉄道ニュース. 12 December 2012.
  65. ^ JR電車編成表2014冬. p. 357. ISBN 9784330424132 
  66. ^ a b c 和田京太「回顧 JR西日本キハ37形」『鉄道ピクトリアル』2009年9月号、p.104
  67. ^ a b c 和田京太「回顧 JR西日本キハ37形」『鉄道ピクトリアル』2009年9月号、p.105
  68. ^ a b 『鉄道ファン』通巻579号、特別付録p.42
  69. ^ 「キハ37、38、30形式」の運転開始について」『』水島臨海鉄道、2014年4月14日。
  70. ^ キハ30,キハ37,キハ38の6両が水島臨海鉄道へ」『鉄道ファン』交友社(railf.jp鉄道ニュース)、2013年7月10日。
  71. ^ 時刻表, 水島臨海鉄道, http://www.mizurin.co.jp/contents/time_table.html 
  72. ^ 水島臨海鉄道,キハ37 103の塗装変更完了を記念したお披露目運転を実施」『鉄道ファン』交友社(railf.jp鉄道イベント)、2021年12月14日。2021年12月16日閲覧。
  73. ^ よみがえった旧国鉄時代の車両 当時の鮮やかな赤の車体で…水島臨海鉄道で運行開始【岡山・倉敷市】」『OHK岡山放送』2021年12月15日。2021年12月16日閲覧。

参考文献

書籍

  • 鉄道史料保存会『国鉄気動車形式図集』鉄道史資料保存会、1988年。 

雑誌

  • 高橋保實「キハ37形式一般型ディーゼル動車」『交通技術』第469号、財団法人交通協力会、1983年4月、27-30頁。 
  • 神代邦雄(車両設計事務所)、沼野稔夫(車両設計事務所)、久須美康博(工作局車両課)「続・これからの車両を考える」『交通技術』第36巻第447号、交通協力会、1981年8月、14-17頁。 
  • 高木享(車両設計事務所)「直噴式ディーゼル機関の開発状況」『鉄道工場』第32巻第375号、レールウエー・システム・リサーチ、1981年12月、11-15頁。 
  • 高木亨(車両設計事務所)「ディーゼル車における省エネルギー」『交通技術』第37巻第460号、交通協力会、1982年8月、20-23頁。 
  • 清水和男(車両設計事務所)「これからの車両(1) 一般形気動車(キハ37) 新形式特急形気動車」『鉄道工場』第33巻第384号、レールウエー・システム・リサーチ、1982年9月、11-13頁。 
  • 高橋保實(車両設計事務所)「キハ37形式一般形ディーゼル動車」『鉄道工場』第34巻第388号、レールウエー・システム・リサーチ、1983年1月、13-15頁。 
  • 高橋保實(車両設計事務所)「キハ37形式一般形ディーゼル動車<新製車紹介>」『車輛工学』第52巻第580号、車輛工学社、1983年2月、6-12頁。 
  • 高橋保實(車両設計事務所)「キハ37形式一般形ディーゼル動車」『交通技術』第38巻第469号、交通協力会、1983年4月、27-30頁。 
  • 清水和男(車両設計事務所)「キハ37形式一般形ディーゼル動車について」『車両と電気』第34巻第396号、車両電気協会、1983年4月、18-23頁。 
  • 由川透(車両設計事務所)「ディーゼル車両の省エネルギー化」『交通技術』第39巻第479号、交通協力会、1984年1月、24-27頁。 
  • 松佐諫夫、山根章、金澤貞夫、鈴木昭次「キハ37形気動車動力装置の性能」『鉄道技術研究資料』第41巻、研友社、1984年4月、23-24頁。 
  • 久須美康博(車両局車両課)「一般形気動車の車体更新改造」『交通技術』第41巻第506号、交通協力会、1986年2月、22-24頁。 
  • 渡辺一範「キハ37形式一般型ディーゼル動車の概要」『電気車の科学』第419号、鉄道図書刊行会、1983年3月、22-25頁。 
  • 金子良一(車両局設計課)「気動車の新しい冷房装置」『車輛工学』第55巻第623号、車輛工学社、1986年9月、16-23頁。 
  • 「JR車両のデータバンク2008/2009」『鉄道ファン』第579号、交友社、2009年7月、33-48頁。  ※巻末の特別付録
  • 『鉄道ピクトリアル』2004年2月号(No.742)特集「キハ35・45系」、電気車研究会
  • 和田京太「回顧 JR西日本キハ37形」『鉄道ピクトリアル』2009年9月号(No.823)、pp.104-105

その他

  • 車両設計事務所『キハ37形ディーゼル動車説明書』日本国国有鉄道、1982年。 

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