国鉄22000系客車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/07 04:09 UTC 版)
国鉄22000系客車(こくてつ22000けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院・鉄道省が1919年(大正8年)から1927年(昭和2年)にかけて製造した17m級木造二軸ボギー式客車の形式群である。
- ^ 2ABは2 Axis Bogey、つまり二軸ボギー車を示す。これは三軸ボギー車のオハ28400形などと区別するための呼称であり、両グループを合わせた大断面車体を備える客車の総称としては鉄道院基本形客車(後に「中形客車」と呼ばれた)に対して大形客車という呼称が用いられた。詳細は国鉄客車の車両形式#1928年称号規程を参照。
- ^ これは軌間の1,067mm(狭軌)から1,435mm(標準軌)への改軌も念頭に置かれていたとされ、合わせてこの時期以降、改軌計画が立憲政友会の原敬内閣によって葬り去られるまでの間に製造された車両では、車軸の長軸化が実施されている。
- ^ 本系列は最終的に1927年のオハ31系への切り替えに伴う製造打ち切りまでに、実に2,760両もの大量生産が実施されている。
- ^ 台枠の相違から後の称号改正時にナハ22000形とナハ23800形に区分されたが、実質的には一形式であり、その量産の規模は後のオハ35形を上回った。
- ^ ダブルルーフあるいはレイルロードルーフとも呼ばれる。なお、大井工場製の最初の2両の試作車には明かり取り窓が最初から設けられていなかった。
- ^ 前世代の制式客車(鉄道院基本形客車)の基幹形式であったホハ12000形では車体幅2,600mmであったため、これと比較して200mmの拡幅が実現され、三等車の場合単純計算で1人あたり50mmの座席幅拡大が実現したことになる。
- ^ これにより、最大幅は2,840mmに抑えられていた。
- ^ ただし、救援車などの事業用車としては国鉄に車籍を残すものがその後も存在し、事業用としてはヨンサントオ改正の頃まで残っていた。また、地方私鉄では三菱鉱業美唄鉄道オハ11(元オル27701)や夕張鉄道ナハ52・53(元ナハフ24507・ナハ23879)、それに雄別鉄道ナハ11(元ナハ23670)など、1960年代まで木造のまま旅客営業に供される払い下げ車が北海道の運炭鉄道に複数存在した。
- 1 国鉄22000系客車とは
- 2 国鉄22000系客車の概要
- 3 概要
- 4 車体
- 5 終焉
固有名詞の分類
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